『こえ』が聞こえる

北海ハル

裏腹

「ねえ、この投稿見た?」

「見た見た!めっちゃ笑った!」

 とある女子高生が、帰宅ラッシュの過ぎた電車の中でそんな会話を繰り広げている。

 電車の中はスペースこそあるが、空席は無さそうだ。

 その隣には、さと迷惑そうな表情をした男がいた。

 ただ、彼女らの声は決して大きくないし常識の範囲内の声量と言えるだろう。現に他の乗客はそれを気にする様子も見せない。

 ではなぜ男は顔を顰めているのか────それは、もう二つの声にあった。

「ねえ、この投稿見た?(あんまり面白くないんだよなぁこれ……)」

「見た見た!めっちゃ笑った!(は?こいつこれで笑ったワケ?)」

 ────そう、男は腹の底の思い……即ち心の『声』が聞こえるのだ。

 いつからこの能力が身に付いたかは全く覚えていない。ただ気付いたら、周りの声を倍にするように様々な声が自分に届いてきたうえ、そのうち半分の内容がもう半分の内容と全く逆だったからである。

 人間、思っている事を真っ直ぐ言えないというのは男もよく分かっていたため、ある意味この能力を疎ましく思っていた。

 恐らくそれは、誰もが思う事だろう。


 三十余年生きてきた男にとって心の声とは自分自身の理想である。

 それと同時に、消えて欲しい声でもあった。

 思考を持つ生き物としての宿命ではあるが、考えている事とは逆の事を言う事が生きて行く上で役立つ手段であると理解する事も苦痛である。

 理解と思考と生と想い────どれを優先すべきか考えるだけで頭がおかしくなりそうだった。


「あの……。(おい、このクソ野郎)」

 不意に声をかけられ、男が上を向く。前には男よりも二十ほど歳上らしき男性が吊り革に掴まって、少し辛そうにこちらを見ていた。

 額から汗が流れ、どうも只事では無さそうである。

「ど、どうしました……?」

「その……すみません、私、持病で立っているのが少し辛くて……。(おい、こちとら外勤で疲れてんだよ。デスクワークばっかの若造とは違うんだよ。早くどけってんだ)」

 さて。

 ここで読者に考えて欲しい。

 もし仮に自分がこの能力を持っていて、このような声と心の『こえ』が聞こえてきたら────

 席を立つような事はしないだろう。

 ただそれは、状況が周囲と同じという仮定の下で出される答えである。

 このように辛そうな様子で自分よりも歳上の人に声をかけられたら────普通は席を立つ。


 男は、立たなかった。

「嫌です。」

 男性はより辛そうに、また隣の女子高生二人組は「なんで?」というようにこちらを見る。

「そんな……お願いします……持病が……。(おいクソが。てめぇ状況分かってんのか?こんな中で立たなかったら完全に悪者じゃん。ほら、早く立て)」

 ああもう、いい加減にして欲しい。

「外勤で疲れているんですよね?持病なんて無いんですよね?だったら素直に替わってほしいと言えばどうですか?」

 ────男性は完全に虚を突かれたように表情を固める。

 だが、男に対する周囲の猜疑心は拭えなかった。

「ちょっと、それは違くないっすか……?(あー、これ面倒なヤツじゃん。しかも隣って……。とりあえず真面目ぶって追い払うか……)」

 ふと、女子高生二人組の一人が男に言った。

 しかし心の底は筒抜けだ。それでも、訴える事は許されない。出来るはずもない。

「そうですよ?向かいの方、あなたよりも歳上じゃないですか。替わってあげてくださいよ。(あーあーサヨ、言っちゃったよ……。まあいいや。乗じて私も言っておこ……)」

 ────ああっ、クソったれ。

 堪らず前屈みで頭を抱える。やがて降り掛かる叱責は、深く重く男に積み重なった。

「そうだぞ、お前、俺らより歳下だろう!見ていて情けないぞ、こんなのが自分たちの未来なんて!(チッ、めんどくさー……。ここで何か言わないと引っ込みつかないじゃん。ま、鈴木も巻き込んで責めちゃお。)」

 二人組のサラリーマンの一人が責める。

「大人気ねーぞオッサン。譲れ譲れ。(ったく、放っときゃいいのに……。死ねよマジでうるせぇ……。)」

 斜め左の向かいに座る大学生が責める。

「ちょっとあなた、私の息子でもそんな事しないわよ!早くどきなさい!(んもぉ、うるさいわね!さっさとどいて終わらせなさいよ!)」

 車両の端で立つ中年の女性が責める。


 みな、一様に「普通」をしようとしない男を責める。

 だが、誰一人として「替わりに席を立つ」ような真似をする人物はいなかった。

 そればかりか、早くこの状況をどうにかしろと言わんばかりの心の声を持っている。

 やがて────軽い騒ぎとなったこの車両に、少し歳を食った車掌が駆け付けた。


 車掌は言った。

「お客様、皆様のお気持ちもお考えになって、ここは席をお立ちになって下さいませんか……?どうかよろしくお願いします……。(ったくめんどくせぇ……。なんでんな事を言われなきゃ分かんないんだよこのガキは……。早く帰らせろよ……)」


 男は数日後、自殺した。

 遺書にはただ、「本音なんて所詮、正論に隠れた暴論なんだ」と書かれていた。

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