第15話 risoluto~決然と~
まだ薄暗い時間帯、普段より早く目が覚めた。ゆっくりと体の向きを横にして隣に居る人物の寝顔を眺める。昨日のことは夢じゃないんだ。
気持ち良さそうに眠っている美彩を見ているとなんだか優しい気持ちになれる。
「…綺麗」
ずっと見ていたい気持ちを我慢して起き上がる。まずはシャワー浴びよう。店の奥にはシャワーもキッチンもあるし今日は遠慮なく借りよう。シャワーの後は朝食の準備。店ではお酒に合うチーズやハムなどしか常備していない。
「買い物……行くか」
眠っている美彩を起こすのは申し訳ないし朝までやっているスーパーはすぐそこだから一人でサッと行ってこよう…。食パン、卵、サラダにスープ。飲み物やハムはお店にあるから買わなくても良いかな。
美彩が朝食は和食派だったらどうしようとちょっとの不安を残しながら店に戻る。
「…侑!」
「おはよう美彩」
「居なくなったかと思った…」
そう言いながら抱き着いてくる彼女に朝から愛おしさが溢れる。
「ごめん、朝ご飯の買い出し行ってた」
「朝ご飯?」
「うん、簡単なものだけど作ろうかなって」
「ありがとう、私も手伝う」
「うん、じゃまずはシャワー浴びてきなよ」
「シャワーあるの?」
「奥にあるよ」
「侑はもうシャワー終わった?」
「うん」
「…そっか」
「ん?」
「一緒に入りたかったなって…」
「ッ…」
「あっ、顔赤いよ?」
「……」
「照れてる?」
「別に…」
からかわれる事に慣れてないから恥ずかしくて仕方ない。楽しそうに顔を覗き込んでくる美彩はもう確信犯だ。
「侑?」
「…なに」
「可愛いよ、本当に可愛い」
私の顔を包むように両手で頬に触れる美彩にドキッとすると同時に顔中が熱くなる。
「美彩…」
彼女の唇にゆっくりと合わせる。柔らかい、美彩の唇はとても気持ち良い。
「お見合い…断るね」
「…うん」
「侑、もう二度と離さないから今度は嘘付かないから、だからもう一度、もう一度やり直したい」
「…ずっと好きなままだった」
「えっ」
「今度何かあっても次は一人で抱え込まないで?二人で考えよう?美彩だけが傷付くもうなんてそんなことさせないから」
「侑…ありがとう侑」
「好きだよ美彩」
「私も好き」
朝から甘すぎる時間を過ごしてやっと美彩はシャワーを浴びに行った。
卵とハム、パンを焼いて買ってきたスープとサラダをテーブルに並べてやっと朝ご飯。もうお昼頃かと思えば、起きた時間があれだけ早かったからまだ全然“朝”の時間だった。
「洗い物ありがとう」
「ううん、作ってもらったお礼」
「うん」
「ねぇ、侑」
「ん?」
「今日ってなんか予定ある?あ、授業ある?」
「授業は…無いけど予定はあるよ」
「…そっか」
「美彩、学校間に合わないよ?」
「…うん」
「それと連絡先教えて?」
「えっ」
「次いつ会えるかメールしておくから」
「うん!」
年上なのに彼女の笑顔はとても可愛い。高校を卒業と同時に携帯を替えて番号もアドレスも変わった。だから、お互い今の連絡先は知らない。このままだったらまた美彩が店に来てくれないと会えない。そんなの嫌だ。だから、もう一度彼女の連絡先を聞いて二度目の連絡先の交換。今度は罪悪感も後ろめたさもない。
美彩を学校へ送り出し誰も居ない店内で一人ピアノを演奏する。もう一度、ピアノ初めてみようかな…。
「えっ…」
夕方、練習をしに家に来た友香に昨夜の事を正直に話した。
「待ってください…椿先生とより戻したんですか?」
「……うん」
「ってか、藤堂ありえない…」
「クビになった理由はこれかもね」
「いや、もう人として最低ですよ」
「…うん」
「…また失恋」
「友香…」
「ピアノの練習もうできませんね」
「どうして?」
「だって先生とより戻したならもう私と会わない方がいいじゃないですか」
「疾しい事があるなら会わない方が良いね。けど、友香のピアノはもっと上手くなる。 友香には才凄い能がある。友香のピアノが好きだしずっと傍で助けてくれた恩人だからそんな簡単に縁を切るなんてできないよ」
「先輩…」
「これからも一緒に練習しよう?」
「…そんな言い方ずるい」
涙を浮かべた君は、本当に心まで綺麗で純粋で私には勿体ない。友香、いつかちゃんと幸せになってね。
「じゃ、練習始めようか」
「はい!」
私はまたこの人に失恋してしまった。敵わないと分かっていても、いつかもしかしたらって期待を捨てる事は出来なくて…。
先輩、この気持ちを吹っ切るには、凄く時間が必要になりそうです。だから、これからは教え子としてあなたの傍に居させてくださいね。
ずっと大好きです 先輩。
「お疲れ様です」
「侑、お疲れ様。先生は大丈夫だったかい?」
「はい」
「話もちゃんとできた?」
「はい、お互いの気持ちをやっとちゃんと話せました」
「そっか、それなら良かった」
「泊まって良かったです。ありがとうございました」
「良いよ、良いよ」
「お疲れ様で~す」
「お疲れ、由紀」
「侑! 昨日どうだった?ちゃんと話せた?」
「うん、ちゃんと話した。もう一度やり直す事にした」
「えっ本当に⁉」
「うん、お互いの気持ちちゃんと話して…やっぱり好きだからそう決めた」
「そっか、良かった!」
「ずっと心配かけてごめんね」
「うんん、良いよ」
「じゃ今日も元気に格好良く働こう」
「はい」
「侑、今日も頼めるかな?」
「はい」
マスターに演奏を頼まれたは良いけど何を弾こう…
♪~
「おっ、いいね」
「どうしたんですか?」
「侑のピアノだよ」
「侑は昔からピアノ上手いんですよね」
「確かに上手い。でも、この前までは感情が欠けた上辺の演奏だったんだ」
「上辺…ですか?」
「そう、上手く聞こえるけど気持ちが無いんだ。ただ作業として弾いているだけ。でも今日は違う。曲の通り“愛”がある。嬉しさや楽しさも内にあるね」
「そう……なんですか?」
「そうだよ」
「ちなみになんて曲弾いてるんですか?」
「ラフマニノフの“愛の喜び”だよ」
「なるほど」
あぁ、今なら分かる。この曲の意味も何を伝えたいのかも。曲を理解するのに随分と時間が掛かったけど、時間が掛かった分、大切に弾ける。この曲はまるで自分自身だから。
他にも数曲弾き終わった頃、店内が混んできたので演奏をやめてカウンターへ戻ることにした。
「ねぇ、君」
「はい」
「大学生?」
「いえ、フリーターです」
「そっか、ピアノはいつから?」
「物心ついたくらいです」
「どこで誰に教わった?」
「えっ…特には…。高校生の頃は音楽学科でしたけど、技術的な練習は基本一人で…」
「独学って事かな?」
「…はい」
「独学でここまでだなんて…。君、名前は?」
「成瀬です、成瀬侑です」
「成瀬さん今いくつ?」
「二十一です」
「そうか…まだ十分間に合うな…。うちの大学へ来てピアノを学ばないかい?」
「大学?」
「あぁ、私は[[rb:桜花 > おうか]]音楽大学ピアノ科の[[rb:白浜 > しらはま]][[rb:悟 > さとる]]と言います」
桜花大。全国でも有数のエリート音大だ。それに桜花の白浜って聞いたことある。エリートの中のエリートしか指導しないって…。
「桜花はレベルが高すぎます」
「そんな事はない。さっきの演奏はうちの学生なんて比じゃない。君には才能がある。しっかりピアノを学んでプロになるんだ」
プロ。一度諦めた『目標』をまた掲げられるのだろうか。失望させてしまった父は喜んでくれるのだろうか。母の言った『本当にやりたい事』はピアノなのだろうか。
「君は現状に満足してるのか?」
「えっ…」
「ここで毎日数曲演奏するだけで満足なのかい?」
「それは…」
ピアノを演奏するのが楽しいとまた思えるようになった。だからこそまたピアノを始めたいって思い始めていた。でも…
「今更また…」
「今更じゃない。言っただろ、君には才能があるんだ。その才能をこのままにしておくなんて勿体ない。今すぐ、うちの大学に来るんだ」
「…」
「ちょっといいですか?」
「マスター…」
「話が聞こえていたので…。確かにこの子には才能がある。でも、無理やりやらせるのはどうかと…」
「……確かに。失礼。特例で編入できるように学校側には、私から話をするから一度ちゃんと考えてくれないか。名刺渡しておくから何かあったらここに連絡くれ」
「はい」
そう言って白浜さんは名刺を一枚カウンターに置いて店をあとにした。
「マスターありがとうございます」
「いいよ。でもスカウトされるなんて流石だな」
「……」
「僕も見てみたい」
「えっ?」
「プロのピアニストになった侑を」
「マスター…」
「真剣に考えてみたらどうかな?」
「…はい」
その日の夜も美彩はお店に来てくれた。
「桜花の白浜さん?」
「うん、少し前までここに居た…」
「それで、侑はどうしたいの?」
「…分からない」
「侑」
「ん?」
「…ピアノ、好き?」
不安そうに様子を伺うように、そう聞いてきた美彩はきっと自分を責めている…
「好きだよ。美彩のおかげで好きになれた」
「…良かった」
「ピアノはさ、美彩との大切な繋がりだったから…」
「侑」
「だから、ずっと好きだよ」
「私も好き」
「ピアノが?それとも私のことが?」
「好きよ。侑が何よりも誰よりも好き」
いつものお返しにと思って聞き返してみたら、真剣な表情で、真っ直ぐに目を見てそう返されてしまいどきっとした…。敵わないな…。
「ねぇ、侑」
「…なに?」
「我儘言ってもいい?」
「我儘?なに?」
「また、ピアノを始めて欲しいな…」
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