第2話 crescendo~だんだん強く~

「椿先生、椿先生」

「えっ、あっはい」

「大丈夫ですか? しっかりしてくださいね」

「すみません、まだ先生呼びに慣れていなくて」

「今日から嫌と言う程呼ばれますからそのうち慣れますよ」

「…はい」

 憧れていた『音楽の先生』。それも音楽学科の教師になれた。今この瞬間、私の夢は叶ったんだ。教員試験に受かって、無事採用試験にも合格。そして明日からここ聖蘭高校の教師になる。

 着任式前日の今日は予行演習のため学園に来ていた。その時に挨拶をしてくれた生徒会の子たちは皆可愛らしくやっぱり若々しい。高校時代が懐かしいなー。


「そうだ、成瀬くんはどうした?」

 校長先生が言った一言。成瀬くん?

「副会長はコンテストが近いので、今日は練習を優先してもらいました」

「そうか、もうすぐコンテストか。それなら仕方ない、成瀬くんにはまた金賞を取ってもらわねば。コンテストが終わるまでは練習を優先するように」

「はい、伝えておきます」

「あの、成瀬さんって人はいったい」

 私も気になっていた事を同期の先生が口にした。

「あぁ、音楽学科のエースだよ。今まで出場したコンテストは全て金賞。このままいけば有名音大にも推薦でいける天才ピアニストだよ。それと生徒会副会長も務める生徒だ」

 校長先生はそう自慢気に話し、廊下に成瀬さんが取った賞状や盾が沢山飾られていることも教えてくれた。出場した全てのコンテストで金賞って凄すぎる。そんな人本当にいるの?

 成瀬さん、どんな子なんだろう。早く会ってみたい。


 その日の予行演習はすぐに終わりそのまま解散。帰ろうと廊下を歩いていれば、何処からかピアノの音が聴こえてくる。

「…何も感じない」

 一度もミスをしない完璧な演奏。だけど、この人のピアノからは何も感じない。作曲家の想いや演奏者自身の想いとか普通はそう言ったものを感じるのにこの人にはそれがない。

 ただ弾いてるだけでとても無機質。まるで心がないみたい。あなたはどうしてピアノを弾いているの?ピアノが好きじゃないの?

 そんな事を考えていれば、いつしかピアノの音は聴こえなくなっていた。

「誰が弾いてたんだろ…」


+++


 昨日のモヤモヤを残したまま着任式へと向かう。昨日あんなに広く感じた体育館も全校生徒が入れば狭く感じてしまう。登壇したところで1人ずつ自己紹介をすることに。順番待ちをしている最中にふと、隅に待機している生徒会が目に入った。1人知らない子がいる。正確には昨日いなかった子。

 きっとあの子が成瀬さん。綺麗な整った顔にショートカットがとても良く似合う。栗色の髪はきっと地毛だろうな。格好良いなーそんな風に成瀬さんに見惚れていたら気付けば自己紹介は私の番に。


 着任式が終わった後は、音楽学科の練習室を見て回ることになった。先輩の森先生が色々と案内してくれて最後に向かったのが『コンテスト組』の練習室。

 この学園では誰でもコンテストに出場できる訳ではなく、学園内コンテストの上位三名しか外部のコンテストに出場できないルール。だから、コンテスト組は学年関係なしのエリート集団と言う事になる。

「実はこの後、本人にも話すつもりだけど、椿先生に1人コンテスト組で任せたい子がいるの」

「えっ、コンテスト組をですか?」

「そう、でも大丈夫よ」

「…」

「任せるのは、成瀬さんだから」

「えっ…」

「まぁ、任せると言ってもあの子は1人で練習しても十分上手いからなにもしなくて大丈夫よ。形だけ担当になってくれればいいから」

「はい…」

「あ、でも指導できることがあったらもちろん教えてあげてね。あの子には技術よりも大切なものが欠けている気がするから…」

「技術よりも大切なものですか?」

「そうよ。椿先生ならそれが分かると思うの」

 技術以外のものってなんだろう。

 式の時に見た感じだと生徒とも仲良さそうに話してたし先生たちからの評判も良い。どこからどう見ても完璧な子。成瀬さんには何が足りないんだろう。


 成瀬さんの事を考えているとあっという間にコンテスト組の練習室に到着。中はとても広く楽器ごとの個室も完備されている。さすがエリート集団、練習環境も凄く良い。

 コンテスト前の貴重な時間での挨拶に申し訳なさも感じつつ、やっぱり成瀬さんが気になる。その張本人はたった今、森先生から担当変更を言い渡され驚いている。そりゃそうだよね、驚くよね。このタイミングで担当変更なんて普通はありえないもん…

 でも、驚いたり何か考えてる姿も格好良い。この子モテるんだろうな。なんかちょっと切ない…


 森先生と目が合い、慌てて成瀬さんに声を掛ける。

「…ダメかな?」

 こんな風に言われたら嫌なんて言えないよね。しかも教師相手ならなおさら。こんなズルい聞き方してごめんね。

「…宜しくお願いします」

 そう言った君の頬が少し赤い事になんだか私は嬉しくなった。格好良いだけじゃない、成瀬さんは可愛くもあるんだ。


 今思えば、私の方が先に好きになってた。そして侑の担当になったことがきっかけだったね。

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