professeur 〜最愛の君へ〜

雪乃 直

第1話 pesante~重々しく~

 卒業式終わりの寂しさが漂う校舎に残っている生徒はごく僅か。

 沢山の思い出が詰まった音楽室で貴方を見つけた。やっぱりここに居たのね。声を掛けられなくて、あなたを見つめ続ける事しか出来ない。


「本当に…最低な人だ」


 ピアノを触りながらあなたがポツリと呟く。それはまるで、すきと言われている気がしてすぐに強く抱き締めてもう離したくないと思った。でも現実は、[行動に移してはいけない]そう強く強く頭で思い、耐えるしかない…。

 貴方が教室を出て帰っていく姿を確認してから私も小さく声に出す。

「私も好きよ、侑」


+++


「侑さんはどんな人がタイプなの?」

 バイト先のバーで常連のお客様から言われた一言。

「タイプですか?」

「そう、モテるのに誰とも付き合わないみたいだし」

「タイプは…」

「タイプは?」

「嘘を付かない人…ですかね」

「え~それだけ?見た目は?」

「う~ん、見た目はそんなに」

「じゃなんで誰とも付き合わないの?」

「苦手なんです」

「苦手?」

「はい、付き合う事が」

「…どうして?」

「…高校の頃に好きな人が居たんですけど、騙されたと言うか裏切られてしまって。それ以来、恋愛とかは避けてます」

「ごめんなさい、私余計なことを」

「いえ、気にしないでください」

「…ねぇ」

「はい」

「相手はどんな人だったの?」

「とても綺麗な人でしたよ。初めて会ったのは私が高校三年の頃でした」


+++


「えぇ〜、今日からまた新たな一年が始まり」

長い。校長先生の話はいつも長い。

「今日も長いね」

「そうだね」

「飽きちゃった」

「会長がそんな事言わないで」

「侑くんまじめ~」

「くん付けないで。話ちゃんと聞いて」

「いいじゃん、くん似合ってるよ?」

「嬉しくないから」

「会長に対して冷たくない?」

「じゃ、もっと会長らしくして」

「ひど~い」

「ほら、次会長挨拶」

「はーい」

「頑張って」

「うん」


「新入生の皆さん、こんにちは。生徒会会長の桜井です。これから皆さんは――」


「生徒会長の人綺麗だったね!」

「うん!あんなお姉ちゃん欲しい!」


「ふぅー、疲れたー」

「お疲れ様」

「疲れたー」

「由紀、新入生から人気だったよ」

「本当?」

「うん、あんなお姉ちゃん欲しいってさ」

「良かった」

「会長仕事やってる時はカッコ良いからね」

「やってない時は?」

「ダラけすぎ」

「冷~た~い!」

「まぁ、ちゃんとメリハリあるから良いけど」

「でしょ?」

「まぁね」

「あっ、新任の先生って明日からだっけ?」

「そうだよ。明日の朝着任式」

「また校長先生の話あるじゃーん」

「…仕方ないよ」

「あ、いま侑も嫌な顔した」

「…してない」

「なんだその間は!」

「別に、じゃ練習あるからまた明日ね」

「あ、誤魔化した!」


「侑、もうすぐ練習始まるよ!」

「美穂、ごめん遅くなった」

「ううん、生徒会お疲れ様」

「ありがとう」

「生徒会大丈夫? 忙しい?」

「明日の事は他のメンバーに任せてるから大丈夫」

「そっか、なら良かった」

「今日は練習に集中できるよ」

「コンテスト近いし頑張ろうね!」

「うん」


 この学園、聖蘭高校には音楽学科と芸術学科、そしてスポーツ学科がある。私、成瀬侑は音楽学科ピアノ専攻三年。生徒会の副会長でもある。

 さっき全校生徒の前で挨拶していたのが、桜井由紀。由紀は、芸術科油画専攻三年。そしてこの学園の生徒会長を務めている。

 学科は違うけど、由紀とは中学から一緒で一番の親友と言える仲だと思う。やる気が無さそうだったり、だらだらしたり、会長としてまだまだ心配な面もあるけど、やる時はやる、そんな奴。

 生徒会の仕事は正直大変だけど、なんだかんだ由紀が居てくれればどんな事も上手くいくし、楽しい学園生活を送れているのも由紀のおかげ。

 本当は沢山感謝してるよ、会長。いつもありがとう。

 普段はしない感謝を存分にしたところで、コンテストに意識を切り替えよう。着いた音楽室の中を見渡せば、楽しそうに演奏する子や上手く弾けなくて悔し泣きする子に真剣な表情で楽譜とにらめっこする子。色んな子が居ると気付く。


 私は物心付いた時からピアノを弾いていた。だから始めたきかっけなんて覚えてない。弾くのが当たり前だったし上手に弾けたり、コンテストで賞を取れば両親や先生が喜んでくれた。褒めてくれた。だから、頑張れた。

 いつからか、将来はプロのピアニストになるのが目標だった。

[なりたい]じゃなくて[なる]のが当たり前。


 昔は、上手く弾けるようになった事や褒めてもらえる事が嬉しくて必死に練習してたな。でも、今は…


賞を取って当たり前

プロになって当たり前


 親や先生からの当たり前を崩さないようにがっかりされないように必死に練習してる。


「これでいいのかな…」

「なにが?」

 近くに居た同じピアノ専攻の美穂にさっきの独り言を聞かれてしまったらしい。

「ううん、なんでもない」

「侑、なんか疲れてる?」

「そんな事ないよ」

「…そっか、なら良いけど」

「心配してくれてありがとう」

「ううん!」

「練習始めよっか」

「うん」


「成瀬先輩!」

「あっ、皆お疲れ」

「お疲れ様です」

「先輩の演奏今日も素敵でした」

「ピアノ弾いてる先輩本当に格好良いです」

「そんなに褒めても何も出ないよ?」

「あ、いや。そんなつもりじゃなくて」

「ふふ、冗談。いつも褒めてくれてありがとう」

「そんな、本当の事ですから」

「そうです、成瀬先輩は学園のプリンスです!」

「そんなにできた人間じゃないよ」

「いや、もう本当に完璧です!」

「褒め過ぎ」

「コンテスト頑張ってください」

「うん、ありがとう。帰り気を付けてね」

「はい、失礼します」

 可愛い後輩たち。ただ、そんなに良いイメージを持たれるのもなかなかのプレッシャーで正直少し疲れる。はぁ…帰ってからもピアノの練習しなきゃ。


「おはよう、侑くん」

「おはよう」

「新任の先生見た?」

「えっ、まだだけど」

「1人ね、凄い綺麗な人居るよ」

「そうなんだ」

「えー、反応薄いよ」

「興味ないかな」

「本当に人に興味持たないよね」

「ピアノが恋人だからね」

「…寂しい」

「聞こえてるよ」

「あのさ、モテるんだから恋人作りなよ?」

「なんで?」

「恋をすると表現も広がるよ?」

「…」

「それにピアノ以外に大切なものを見つけて欲しい」

「…どうしたの急に」

「なんとなく」

「そっか……ありがとう」

「うん」

「じゃ、式宜しく頼むよ副会長」

「会長も頑張ってくださいね」

「うん」


 長い校長先生の話が終わり、会長である由紀が今年度より学園に来た新任の先生紹介を始めた。

「新任の先生方にも今から1人ずつ自己紹介と軽く挨拶をしていただきます」

 由紀がそう言い終わると若い男の人が喋りだした。今年の新任の先生は男2人、女2人の合計4人。事前に貰っていた先生方の資料を見ながらふと思った、大学を卒業したばかりの人たちにいったいどんな指導ができるのか、身になる事はある?

 受験もある大事な時期だ、出来れば担当授業からは外れていただきたい。そんな失礼な事を考えていた時に聞こえてきた声。

「初めまして、椿美彩と言います。担当は音楽です。主に音楽学科の人達の授業を担当します。これからどうぞ宜しくお願いします。」

 綺麗な声だ。優しくて包み込んでくれるような声。この声の持ち主を見てみたくて舞台上にいるその人の方を向く。

「えっ……」

 声だけじゃない、その人は見た目も凄く綺麗な人だった。

 きれい。椿先生の挨拶が終わったあともずっと目で追って見ていた。

 目が離せない、なんで…


「侑、ゆーうー」

「えっ、あ、由紀」

「なにボーっとしてるの?」

「えっ、あ、いや」

「どうかした?」

「いや、なんでもない」

「ほら、片づけ私たちやるから練習行って?」

「ありがとう」

「ううん、練習頑張ってね」

「うん」

 着任式がいつ終わったか記憶に無い。それほど無意識に椿先生を見ていた。どうして…あの声に魅了された?いや……違う。何かが違う。


「侑、遅い」

「ごめん、由紀とちょっと話してた」

「あっ、生徒会?」

「まぁ、ちょっとね」

「そっかまぁそれなら仕方ないか」

「それよりなんで皆練習始めないの?」

「あー、この後新任の先生来るんだって」

「…で?」

「音楽学科担当だから先にコンテスト組に挨拶したいんだって」

「そうなんだ」

「それにしても椿先生美人だったね」

ドキッ。今、名前を聞いただけでドキッとした?まさか…

「侑? どうかした?」

「あ、ううん」

「あっ、来た!」

美穂がそう言って教室の入口を見る。

「皆さん、ちょっといいですか。さっき挨拶がありましたが、今日から音楽学科に新しく赴任された椿先生です。」

「皆さん、初めまして椿です。コンテスト前の貴重な時間にお邪魔してすみません。今日は練習を見学させてもらって、明日から私も指導に加わります。宜しくお願いします」

「宜しくお願いします」


「成瀬さん、ちょっといい?」

「はい」

「成瀬さんの指導を明日から椿先生にお願いしようと思うの」

「えっ、どうしてですか?」

動悸が激しくなる。これも椿先生のせいだろう。

「椿先生も専攻はピアノだったの。それに私は美穂さんの練習に注力したいと思ってるの…あの子も今が頑張り時だから…椿先生のピアノの腕前は本物よ。指導も分かり易いし安心して?」

「…はい」

「成瀬さん?」

「っ…」

 あの人の声で名前を呼ばれるだけでドキッとする。

「ごめんなさい。コンテスト前の大事な時期に指導者が変わるなんて不安にさせて…。でも、私一生懸命成瀬さんのサポートするから一緒に頑張らせて欲しい、ダメかな?」

 こっちに拒否権なんて無いのにそんな風に言われても困る。初めから「いやだ」って言わせる気ないくせに。コンテストまでは1人で練習するとしてここは表向きだけでも…

「…宜しくお願いします」

「うん、宜しくね」

 そう言ってニコッと微笑んだ彼女はとても綺麗だった。いや、綺麗だけじゃない、この人は凄く可愛くもある。椿先生の笑顔を見た瞬間、まるで心臓を掴まれたような感覚で苦しさに襲われる。

 椿先生のことが好き?いや、そんなのありえない。だって、おかしい。好きだなんて…ありえない。


 生徒会副会長である私が教師を…

 しかも女性を好きになるなんてあってはいけない事だ。全校生徒の見本となり、これからも今までのように両親や先生の期待に応えないといけない…


「良い子でいなきゃいけないんだ…」


 これが彼女との最初の出会いで全ての始まりだった。


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