9:表裏・甘美なる時間
なんの変哲もない通学路、だが、学校生活初日から特別すぎる時間をそこで過ごしていた。ナツメとの帰り道、私は隠しきれない緊張感に胸が締め付けられ、隣で歩くナツメの様子をうかがっていた。
「エレンさん……なんだか顔が赤いですね。もしかして、暑いのですか?」
「……えぇっ!?イヤ、そんなことないッ……デス……む、寧ろ今日は寒いくらいだよ……」
「フフッ……変なエレンさん」
ナツメがそう言い、私との距離を詰める。肩と肩がぶつかり合ってしまいそうな、そんな距離感。私の鼓動が聞こえてしまいそうで、とても恥ずかしかった。
「そういえば、エレンさんのスキルは、ヒーローと仲を深めることでスキルを習得できると聞きましたが、実際、どのような工程を踏まなければいけないんですか?」
「えっ!? あっいや……た、確かに、仲良しになったところで、スキルを獲得できるわけではないんだ……だが……その……」
いずれクラスメイト全員に心の準備が出来たら説明しようとしていたこの件、まさかナツメと二人きりの今説明しなければいけなくなるとは思ってもいなかった。私のスキルはあまりにも特殊で、あまりにも……成長しづらいものなのだ。何故なら、私が成長できるか否かは、修得対象のヒーローに強く依存するからである。
「わっ……わたしが相手のスキルを獲得するためには……キキキキ……キッ……」
震える歯をなんとか一度食いしばり、言葉を一音一音脳内で反芻する。……大丈夫だ。説明をするだけなのだから。
「キ……スをしなければ、いけない。しかも……しっ……舌を交わせ、唾液を……その、お互いに……そ、その……ぅあッ……」
頭に血を上らせすぎたのか、私の目の前の視界が一瞬くらむ。初めてこのスキルの説明を女の子にしたのだ。マトモではいられない。つまるところ、相手ヒーローの純潔を奪うことになる。そういった内容になるのだ。
ナツメは私のたどたどしい言葉と態度に、意外にも冷静な表情をしたまま、私の方をじっと見つめていた。
「なるほど……理解できました。確かに、それはヒーローさんと親密な関係にならなければいけませんね……女子同士の接吻ですら、躊躇う人も多いです。ヒーローだとしても、ヒトであることは変わりません。仮に私のスキルを継承するのであれば……その、私と……ですからね」
ナツメは微かに私から目を逸らしながら、そう言った。……私だって、いかなる理由があれど、純潔を捨てる自信はない。だからこそ、私のスキルを成長させるのは、難しいのである。
「……変な空気にしてごめん。まぁ、私のスキルの事はまた追って説明するから……あっ、ほら!目的のカフェが見えたよ!」
死ぬほど嬉しく、死ぬほど緊張した下校だったが、カフェを目の前にし、また別の意味で胸が高鳴った。見た目は質素だが、品のある外観のカフェの扉を開けると、小さな机と椅子の席が2箇所、あとはカウンター席だけの、小さくも落ち着く空間が待っていた。
カウンターの奥に一人、長い赤髪の若い女性が一人おり、カップを拭いていた。どうやら店員は彼女一人らしい。私達に気づくと、笑顔で頭を小さく下げて挨拶をしてきた。
「いらっしゃいませ。どうぞ、空いているお席へ」
彼女の丁寧な案内通り、奥のテーブル席へと座る。ナツメと向かい合わせになるため、また、変に緊張してしまった。
席につくや否や、赤髪の店員さんは、目の前へクッキーが入った小さなバスケットをテーブルへと置いてきた。小麦のいい匂いがふんわりと香り、ここまで来てようやく落ち着いたのであった。
「これはサービスですので、遠慮なくどうぞ。私の名前はリリアナ、このカフェ、ラピス・ティアーズのオーナーです」
そう言って、リリアナは丁寧にお辞儀をした。かなり上品な風貌で、優しそうな所は、ナツメと似ているところがあり、好感が持てた。
「何かお飲み物をお出ししましょうか? 今日は春という季節ながら、暑かったでしょう? アイスコーヒーがオススメですが、いかがですか?」
私とナツメは、リリアナのおすすめ通り、オリジナルブレンドのアイスコーヒーを頼み、目的のパンケーキを二人分注文した。リリアナは笑顔で承り、先にいい香りのコーヒーを出した後、すぐ近くにあるキッチンでパンケーキを焼き始めた。
クッキーを食べながらパンケーキが来るのを待つ。ふとナツメの様子を伺うと、彼女は何やら窓越しに遠くを見つめていた。
「何を見ているの?」
ナツメに聞くと、彼女は慌ててこちらへ向き直り、すみませんと頬を掻いた。
「こうしている間にも、外では現役のヒーローさんが活動しているのかな、と思いまして」
「確かに、ヒーローは激務そうだよね。能力に目覚めてしまったからには、ほぼ道は一つになったようなものだし、大変な部分はあるのかもしれない。誰しもが、ヒーローになりたいわけじゃなさそうだったしな……」
私のクラスメイトにも、一日中暗い影を落としていた子が何人かいた。ヒーロースキルに目覚めてしまった女子は、ヒーロー協会に情報が渡り、栄華学園への入学が義務付けられる。ヒーローという仕事は、給料こそいいものの、職を選べないことと、突然の出動に備えなければいけないこともあり、なかなかにブラックな部分もあるのだ。
「私としては、この世界の平和を保てる仕事ということもあり、いまの自分の立場に責任感を感じると同時に、誇りに思います。誰かのためになれるということは、とっても気持ちの良いことですからね」
そう言うと、ナツメはこちらを向き、頬を緩ませた。
「エレンさん。私のスキル、継承したいですか?」
「……ふぇっ!!??」
あまりにも突然だった。あれだけ心を乱して説明した継承を、ナツメと……!?
「と、突然だなぁ! 冗談だとは思うけど、そ、そりゃあ使えるスキルが増えたら嬉しいし、何よりその……ナツメのスキルだからさ! 継承したいとも!」
「ふふっ、興味を抱いてくださりありがとうございます。エレンさんのこと、もっと知りたいですし……私、エレンさんなら……キスしても、いいですよ」
時間が、停止したようだった。今の状況を思い返せば、女子とカフェで二人きりという、ありがちなデートのシチュエーションそのものであった。それに……少なからず、私はナツメに惹かれている部分がある。そんな本人にキスしても良いと言われてしまっては、女子に変貌しつつある私だが、緊張を隠せず、またもや慌てふためいてしまったのであった。
「おまたせしました~……あれ、コーヒー……お気に召しませんでした?」
そんなとき、ちょうどいいタイミングでリリアナが焼き上がったパンケーキを運んできたのであった。彼女は、私が緊張して手をつけていなかったコーヒーを見、心配そうな顔をしていた。慌てて私は首を振り、笑顔を見せた。
「あぁ、いや! ……私、猫舌なので! あはは……」
「それならよかったです! では、ごゆっくりどうぞ~♪」
丁度良く現れたリリアナも、気を遣ってか、すぐにカウンターへと戻ってしまった。私はナツメから気を反らすため、ホイップクリームで可愛らしくデコレーションされているパンケーキを一切れナイフで切り、口へと運んだ。
シンプルな味付けながらも、香ばしく、ふわっと口の中に広がる甘みは、私の心を満たしたが、やはり目の前で上品にパンケーキを口に運ぶナツメにどうしても視線がいってしまい、居ても立ってもいられなかった。
コーヒーをぐいっと一気に飲み干し、息をつく。……彼女が冗談を言っているかどうかは関係なく、流石に今日初対面の女子に、そこまでさせるわけにはいかない。ヒーローを目指し、スタートした一歩目からイージーモードでは、手応えが無いのである。
……そういえば、アイスコーヒーだったっけ。気が動転して、リリアナに変な応対をしてしまったな……ともかく、ナツメの厚意はとてもありがたい。だけど、彼女のスキル継承はまだ早すぎると思う。あの研究所でスキルを継承したヒーローだって、私が心を開いたのも、ずっと一緒に居が故のものだからだ。
「ナツメ……確かに、スキルの継承は強力だ。だが、お互いに何も知らないまま継承をしても、いくら心を許していたとて、失敗してしまうんだ。それに、私からしてもまだ早すぎるのではないかな、と思うんだ」
ナツメは、以外そうな顔をし、そうですねと微笑んだ。
「あはは、ちょっとした悪戯のつもりでしたけど、これほど真面目に答えられたら私も降参ですね」
深く一礼をし、丁寧に謝罪をしてくる。
「ですが、いずれあなたにも大きな課題がやってくるはず。私は、その手助けができれば、友人としてとても嬉しいのです。もし、手詰まりな状況に陥ってしまった場合……いえ、そうでなかったとしても、私に遠慮なく助けを求めてくださいね」
「……あぁ、絶対そうするよ」
ナツメが右手をこちらへ差し出してきた。すぐさま私も彼女の手を取り、固い握手を交わす。律儀で誠実な彼女にも、こんな一面があったのだな、と、クラスメイトの殆どが知らないであろう彼女の表情が見られて、なんだか、嬉しい気持ちでいっぱいになったのであった。
***
リリアナにお礼をし、カフェを出る。こんな幸せな時間がずっと続いてしまって、本当に良いのだろうか。私は、この時ばかりは、今後の生活の不安など、すべてがどうでも良くなっていたのであった。
しかし、強い光が私に当たれば、それ相応の影ができるのが、この世の摂理だ。
直後、車が壁に激突したかのような轟音がすぐ目の前で聞こえたかと思う間もなく、それ相応に大きな衝撃が私達を襲った。すぐ先の地面が歪み、コンクリートに大きな亀裂が走った。土煙で視界は霞んでしまい、ナツメを見失ってしまう。
「なっ……!? 何が起きて……」
「やっと見つけたぞ。エレン」
低い女性のような声が私の名を呼ぶ。クラスメイト……? 前が見えないせいで、何も確認できない。だが、これだけはわかる。何か不吉な事が、私を襲おうとしている。まさか……
視界が晴れると、すぐ横で既に抜刀の構えをとっているナツメがいた。どうやら気配から、彼女もただ事ではないのを察知したのであろう。……それほど、声の主は殺気が隠せていなかったのだ。
「あなたは……一体誰ですか? なぜ、エレンさんを知っているんです?」
「クフフフ……それぁ知らない方がいいと思うぜ? てめぇらのためにもな?」
「……ッ! 一体どういう事ですか……!?」
「まぁ細けえこたぁ気にするな。……おーいゼロツー、聞こえるかぁ? ターゲットを発見した。姉貴のスキル、大外れしたっぽいなぁ?」
『……z……zジ……トう……や……コンタクト。……大体、誤差2kmといったところか。連中のジャミングツールは中々のものらしい。対策を練らなければな。』
周りの人は逃げたのか既におらず、 正面に、長身の女性が一人、気だるそうに頭を掻いていた。大体20歳くらいの大学生に見える。……『
「あんた、どこの組織のものだ? ヒーローではなさそうだが」
「まぁまぁそう不審がるなってぇ! ちょーっくら、エレンちゃんのことを調べたいだけだからなぁ……まぁ、一方的にだけどよぉ」
そういうと、謎の女は背負っていたショルダーバッグから、バックルのようなものを取り出し、それを腹の辺りにあてた。カシャンという金属音がすると、それは、大振りなベルトの形状へと変化し、腰に装着された。右腰の辺りには、スマホほどのサイズのものが入るスロットが存在し、彼女は左手に、それ相応の大きさの黒色の基盤を所持していた。
「てめぇなら、これの仕組みも、すぐに理解できるだろうが……まぁ、だからといって、どうということもねぇ、か」
彼女は、ケタケタと不気味に笑い、スロットに勢いよくその基盤を差し込んだ。
『ヴェノム・コア』
「その機械音……まさか……あんたが……!?」
彼が黒い影に覆われ、空間が歪む。まるで、彼女は邪悪を憑依させているかのような状態であった。まさか、ありえない……彼女が身につけているもの……それは……正義とは真逆の邪悪そのもの……あれは……あの組織で作られた……「私と対なるもの」……!!
「さぁ……俺を沢山、気持ちよくしてくれぇ……変身……」
『フェイズ:チェンジ・オールグリーン』
黒い光が、私を舐めるように、眼前を闇で染め上げる。
あの存在は忘れもしない。私の運命をただ一方的に捻じ曲げた、英雄の虚構。
対英雄特化型殲滅機、連中はあれを「ジェノスアクター」と呼んだ。
『モード:ヴェノム・ファントム』
私は、闇に抱擁されて初めて、夢から現実へと引きずり降ろされたのであった。
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