箱庭の思想
この文章は、スマホから書く
さて、川端康成の「雪国」と、エミリー・ブロンテの「嵐ヶ丘」の2作は所謂「セカイ系」的
な物語の始祖とも言われますが、それというのも、この2つの物語は箱庭のように「閉じて」いる作品であるからです。
「書けない」ではなく、積極的に「書かない」、自分の作品から外部を閉め出すというのも難しいと思うのですが、さらにいうとこの2つの物語は長編小説です。
つまり、何百ページに渡って自作の外部を遮断するという荒行であるわけです。
注:実際は「雪国」における「島村の妻子」や、「嵐ヶ丘」における「ギマトン村」のように外部についての描写はあるけど、恐ろしいほどに存在感はありません。
僕はそんな作品を書きたいなあ、と常々思うのですが、残念ながら誰も読まないので、人に合わせるくらいしかできません_φ( ̄ー ̄ )。
終わらないのが終わり。
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