【幕間】私と、誠くん。 -②


 文化祭初日を返上しての稽古は、自画自賛にはなってしまうが、予想以上と言っていいだろう。ほたるの台詞と動きは、ほぼほぼ頭の中に入っていたのだ。自分でもちょっと驚き。


「そういや台本を直すとき、何も見ないで黒板に台詞を書き出したりしてたっけ」とは誠くんの言葉。言われてみれば、確かに。


「でも、宮子ちゃん主体で変えた最新版じゃなくて、私が書いたころのが相当混じっちゃってると思うけど大丈夫?」

 酷いところになると、宮子ちゃんが「私にとってのほたるは、この言葉は声に出せずに飲み込んじゃいます」なんて削った台詞も言ってしまったりまでした。


「そこは想定内ではあるし、こっちで対応するから、思う存分気の向くままに演じてくれていいよ」


 誠くんは気楽に言ってくれるが、なかなかに難しいことだと思う。私も以前、ろくに台詞を覚えていない人と、短い場面だけだったが共に舞台に立ったことがある。その時は、相手が何を言い出すのかと身構えてしまった結果、相手と私との台詞の間に一瞬の微妙な間が空いてしまい、酷くテンポの悪い演技となっていた。

 その点、誠くんとの今の練習は、本当はどの台詞が正しいのか分からなくなってしまうほど自然な演技となっていたと思う。「誠くんは凄いね」と口にすれども、彼は「そりゃどーも?」と首を傾げる程度の反応。


 その後の、役者が全員そろっての通し稽古も、まあなんとか、最初から最後までやり通すことができた。

 十分な出来に思えた稽古の不安材料は、しかし、稽古を進めれば進めるほど宮子ちゃんが不安気に眉をしかめることだった。

 最初のころは「これならひょっとするとひょっとしそうです」と顔をほころばせてくれていたから、たぶん、私がほたる役を取って代わったからではないと思う。……たぶん、だけど。


 帰り際、雨の当たらぬ軒下で、ご両親が車で迎えに来てくれるというのを待つ宮子ちゃんに問いかけた。


「あのさ、宮子ちゃん、その……忌憚なきご意見を賜りたく候!」

「…………。ごめんなさい。上手く返せませんでした」

「全面的に私が悪かったですごめんなさい……」

「いえ。それで何のお話ですか?」

 いつもの少し困ったような表情で笑う宮子ちゃんだが、今の私にはそれがどん引きした表情に見える。


「えっと、私の演技について、思うことがあったら教えて欲しいなって」

「そんなことですか。ふふ、それくらい普通に言ってくださいよ。でも大丈夫だと思いますよ。とても急遽の代役には見えない、堂に入った演技でした」

「でも宮子ちゃん、稽古中眉間にしわを寄せてたよね?」

「それは――って先輩!?」

 宮子ちゃんの眉間を、指でうりうりと揉んでやる。両脇に松葉杖を挟んでいるため抵抗されないのをいいことに、ついついエスカレートしてしまう。笑い交じりの悲鳴をあげる宮子ちゃんが悪い。


「どうだ? ゲロっちまう気にはなったか?」とあくまでふざけて言ってみる。宮子ちゃんは「誰ですか、まったく」なんて笑ったあとで、だけど真面目に答えてくれた。


「そう、ですね。アカネさんは、あの日の会話どこから聞いてましたか? 私がほたるの台詞を変えたいと言い始めた日のことです」

「……文芸部の先輩が言ってたとかいう、私が当て書きに失敗してるって話のこと?」

 宮子ちゃんは苦笑いのようなものを浮かべつつ頷いた。


「やっぱりあの時、だいぶ早くから聞いてらしたんですね」

「しょうがないでしょ!? 二人して照れ照れ照れ照れテレテレテレテレして、出ていくタイミング掴めなかったんだから」

「そ、それはあの時してた練習内容のせいですよ……!」

 宮子ちゃんは顔を赤くしている。あーはいはい、かわいいかわいい。いや、本当にかわいいな……。改めて今回の劇に出れないのが惜しいくらい。


「話を戻すけど、私はあの話『あんたに劇部ウチらの何が分かるんだ』くらいのことは思ってたんだけど……。沙織さん、あの人と仲がいいって言ってたっけ?」

「劇部以外だと一番とまで言ってましたね。沙織さんって、なんというか、黒幕ムーブお好きですよね?」

「言いたいことはわかるけどさぁ……」

 二つ下の後輩に「黒幕ムーブが好き」と評される沙織さんってホント沙織さんって感じ。


 微妙につぼにはまってしまい、クツクツと笑い続ける私の横で、けれど宮子ちゃんは殊の外真面目な声色で「私の勘に過ぎませんけれど、アカネさんが読み違えているのは……アカネさん自身のような気がするんです」と呟いた。


「……それは役者としての勘?」

「いえ。強いて言えば女子としての勘、でしょうか?」


 雨で下がった気温が、私の背を撫で上げる。

 疑問文のような口調とは裏腹に、淡く微笑む彼女の目が、私を射抜いていた。


 私自身、か……。私は元々舞台に立つ予定は欠片もなかったのに、なんでそんなことを言われるのか――と思わなくもないけれど。


「昔、あれは初めて台本を書くことになったときだったかな、沙織さんに言われたんだよね。知らない出来事は調査と想像で書けても、知らない感情は書けないよって」


 話しかけるようで、独り言のような言葉を、宮子ちゃんは黙って聞いてくれていた。


「だからたぶん、そういうことなんだと思うけど……。あと一日で――正確にはもう半日か――一体何ができるんだろ」


 そのズレとやらを直すために、宮子ちゃんが一体どれだけの努力をしてきたというのか。本来は私が演出として果たさなければならなかったことを、宮子ちゃんは自力で成し遂げたのだ。それは私が半日足らずで追いつけるようなものではない。


「ごめんなさい。もう迎えが来てしまいましたので、手短に言いますね。……アカネさんは、素直になるだけでいいんだと思います」


 俯いて考え込んでしまった顔を上げると、そこには宮子ちゃんの笑顔があった。頬の筋肉をつり上げた、瞳の見えない、目をつむった笑い方。

 それを見て、私はなんだか少し泣きたくなる。



「明日、頑張りましょうね」


 傘を差し出して、彼女が目の前に止まった車に乗り込むのを助けていると、宮子ちゃんは最後にそう言った。


「もちろん」


 精々不敵に見えるよう、私は笑みを浮かべる。

 でもそれは、今にも崩れ落ちそうな、こわばったものではなかったか……?



     *  *  *



 気づけば、とうに幕は上がっていた。

 もはや劇の三分の一は終了している。幸いなことに、現時点では大きな問題は発生していなかった。


 ところで、舞台上からは観客の反応は案外わからないものだ。今回のように、舞台と客席が離れていると、なおさらのこと。

 ギャグが受けたかどうかくらいは笑い声でダイレクトな反応がくるけれど、わかるのはそれくらい。


 それでも、劇の出来映えをなんとなく察してしまうこともある。

 今回私は、黒衣役の羽里ちゃんの雰囲気から「きっと私の演技は宮子ちゃんに及ばないのだろう」と察してしまった。


 よい劇が出来ていれば、公演中の裏方にも、自然熱が入るものなのだ。それは公演を更によくしてやろうという熱であり、裏方であろうとも劇の一員として参加できる喜びによる熱だ。

 無論、彼女が手を抜いているわけではない。むしろとても真剣だ。周りをよく見て、冷静に正確に動いている。


 結局、私は台本をなぞることで精一杯になっていた。そして台本ほたると私の間には、人に指摘されてしまうほどの齟齬がある。

 それでも、たとえ私の演技が宮子ちゃんのようにプラスアルファを表現することができなかったとしても、ストーリーさえ伝われば何か面白味を感じる人もいるかもしれない。今や私のよすがは、それだけだった。


 ――元々は役者に憧れて劇に関わり始めたというのに、土壇場で頼るのは江見明音ストーリーだなんて。


 雑念があったせいだろう。

 私は一つ、ミスをした。


 捌け口を――一つの場面が終わり退場する先を――間違えた。ミスとしては、致命的ではない部類。少なくとも、この台本この段階においては。冷静に考えれば、影響など展開の仕掛けにはならない小道具が一つ、使えない程度のはずだった。


 けれど、台本通りに演じることを最後の心の支えにしていた私は、どうしようもないほどに、動揺してしまうのだった……。




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