【幕間】私と、誠くん。 -①


 私は衣装に袖を通しながら、窓の向こうに視線をやった。昼が過ぎ、どうやら雨は止んだらしい。


 衣装は、ちゃんと着ることができた。

 和風ファンタジーめかしたお姫様衣装。わざわざ衣装を製作する公演は久しぶりだけど、いつもよりクオリティが高いのは、家庭科部の手伝いがあってのこと。


 この衣装の件にしろ、台本会議のあとも文芸部から台本への意見を引き出し続けた件にしろ、劇をよくするためなら、彼はあっさりと部を越えて行く。あるいは、もしも部長という立場で縛りつけていなかったのなら、演劇部から簡単に離れてしまっていたのかもしれない……。


 首を振って、思考を止める。

 今考えるべきことは、もしもの事態ではなく目前の公演についてだ。


 文化祭期間に限り、生徒会室は体育館で出し物をする団体の控え室となっていた。劇部の面々は大体はこの部屋に居て、皆それぞれ緊張した表情をしている。

 そんな光景を視界の端に収めつつ、部屋の角に置かれた鏡で己の格好を確かめる。そこに映るのは、宮子ちゃんの為の衣装で身を包む、私こと赤根絵美の姿だ。


 見れば見るほど、この劇のヒロインは宮子ちゃんなのだと突きつけられる。私では、ない。


 私の背丈は、宮子ちゃんよりも少しばかり大きい程度で、衣装を着るだけならば何の問題もない。けれど、宮子ちゃんがこれを身に纏っていたときの、少しダボついた、衣装に着られている感は薄れてしまった。そしてそれは、ほたる役にはふさわしくないことだった。


 ――私のしていることは、きっとこの劇を破壊する行為だ。


 私は演出としての義務だの責任だのと言いはって、怪我をした宮子ちゃんの代役へと収まった。

 台詞を覚えているから、演出としてつけた動きを知っているから、衣装を着れるから――誠くんを説得するためにそんな言葉を吐いた。

 馬鹿にしている。

 演技は、劇は、そんなに甘いものじゃない。たった一年と半年程度しか劇に触れていないけれど、知れば知るほどにその果てしなさを突きつけられてきた。


 やっぱり公演は中止にしよう。そんな弱音をこぼしそうになるのを必死でこらえる。


 公演直前にふさわしくない精神状況だ。あるいはこれも緊張かもしれない。長く息を吐いて深呼吸。

 すると、そんな私にめざとく声をかけてくる人がいた。ぼろっちく見える甚平姿の、顔に泥がついているかのように見えるメイクを施された男子生徒……誠くんだった。「緊張?」と短く問われ「そうかも」とやはり短く返す。


「そっか。ま、緊張だと自覚できる程度なら大丈夫だろ」


 小さく微笑んでそう言われると、自分でも大丈夫な気がするのが不思議だった。

 彼は続けて、自覚できないほどの緊張はヤバいからと呟くと室内を見渡した。そして先ほどから、いささか過剰に貧乏揺すりを繰り返している一年生部員の雅彦君を目に止める。誠くんはすっと動いて彼に声をかけ、肩を叩きながらしばし会話をすると、再び私の横に戻ってきた。近くにあった椅子に腰を落とす彼に問いかける。


「そうやって声をかけて回ってるの?」

「……俺にできることなんて、これくらいだから」

 そう言うと、誠くんは悔しそうに唇を結んだ。


「何? その表情」

「え、どんな?」

「悔しそうな顔」

 誠くんは少し驚いた顔でしばし目線をさ迷わせた後で、ポツリと答えた。


「本番直前に沙織先輩が居ると居ないじゃ、こんなに違うのかって思って」

 目で続きを促すと、彼は観念したように呟く。


「今までの公演だって問題がなかったわけじゃなかったけど、あの先輩はいつだってドンと構えていて、こういうときにも『よーしやったるぞ!』って雰囲気になってた。それに比べたら俺は……と悔しがってしまった、のかな? もしくは単純に、俺も緊張しているのかも」

 努めて冷静に話そうとしてる言葉の端々が、微かに震えていた。なるほど、彼もやはり緊張しているらしい。

 ふと、初めて会った時のことが思い返された。演劇部に誘っても、にべもなく断られたあの日。


「私が言うのもなんだけどさ、どうしてそこまでする必要があるの?」

「ごめん。何を言いたいのかさっぱり分からない」

「私たちがやっているのは……所詮は部活動。ある意味じゃ、自己満足。別にお客さんからお金を貰ってるわけじゃない。つまらない劇をやったって、大多数の人は生暖かい目で流してくれるでしょ」


 金銭のやり取りがなく大会という形式でもない以上、私たちはある種の自己満足のために公演を行うことしかできないし、観客はそれを承知でいわば暇潰しのために来るのだと私は思う。

 私は当然、私自身のために全霊を尽くす。けれど、あの日あんなにもを人の目を嫌った誠くんが、ここまでする義理はないのではないだろうか。


「自己満足、か……」

 小さく呟いて、彼は私が無神経に吐いた言葉を噛み締めた。


「まあ、できれば皆が満足する劇をやりたいと思ってる。もちろん自己満足だって含めて。良い劇ができれば、俺も嬉しいしお客さんもきっと嬉しい。お客さんが良い劇を観たって喜べば、俺だってそれを喜ぶ。そのために頑張るのは、おかしなことじゃないと思う」

「じゃあさ、入部前に言ってたことは? 見世物うんぬん言ってたの」

「そりゃあ違うだろ。あのときの文脈の見世物ってのは、俺の意志が介在しないで一方的に笑われること。でも今は、俺は自分の意志で、赤根の劇をたくさんの人に届けるために舞台に立つんだ。全然違うよ。うん、違う」


 真剣な顔でそんな風に言われると、むず痒くなる。たぶん顔も赤くなったも思う。そんな私を見て、彼は何を思ったか「ごめん。また緊張させるようなこと言ったかも」などと口にした。


 なんか。肩の力が抜けた気がした。きっと、良い具合に。


 ふいに誠くんが何かを呟いた。


「ん、何?」

「だから……ありがとう、って言った」

「急にどうしたの?」

 むしろ私が無理を言って、この公演を強行しようとしているのに。


「昨日今日のことじゃなくてさ、あの日誘ってくれて、しつこく誘ってくれて、ありがとうってこと」

「誠くん、死ぬの……?」

「死なんわ」

「せめて公演終わってからにしてね?」

「鬼か」


 下らない冗談で笑い合う。

 きっとお互い様の照れ隠し。それがこんなにも、楽しくて、嬉しい。


「ドンガラガッシャーン! 凄いよ凄いよー! ミス/ミスターコンすっごいお客入ってる。こりゃ結構そのままウチらに流れて来るかも!? かもかもかも~!!」

 擬音までつけて勢いよく扉を開けながら、愛梨が飛び込んで来た。その後ろにやや苦笑を浮かべた宮子ちゃんが「お疲れ様です」と続く。

 二人には、客の呼び込みをして貰っていた。一つ前の企画――隆明先輩の出るミスコンと沙織さんと楓さんが出るミスターコン――が始まり戻って来たのだろう。


 宮子ちゃんは、昨日よりも随分と慣れた様子で、松葉杖を操っている。ふと、彼女と目があった。

 憑き物が落ちたかのようにニッコリと微笑む彼女と、神妙に頷きを返したりする私。


 昨日の突貫稽古終了後の、宮子ちゃんとの会話が思い起こされていた。



 

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