第47話 「作・演出:赤根絵美」ということ


 踊る演出家。赤根のことを、後輩たちがこっそりそう呼んでいるらしい。


 理由の一つとしては、彼女が演出として稽古を見る際に、舞台正面となる位置からだけではなく上手側や下手側ときには舞台袖に当たる場所まで、視点を色々と変えるという点があるらしい。けれどその異名は、もう一つの理由が大きいだろう。


「リンちゃん、今の台詞さ、言ってて違和感なかった? 今、何を目的として演技してた?」

 台本を片手に持ったまま行う半立ち稽古の最中、赤根が手を二度叩き、稽古を止めながら言った。その後、悪い求婚者役の後輩と認識の擦り合わせをして、おもむろにチョークを手に取る。


「……うん、やっぱりそういう解釈だよね。想定してたのとは違うけど、そっちの方が分かりやすいしリンちゃんにも合ってそう。他の場面との整合性も問題なし。とりあえず今のままもう一回返そうか」

 同じ場面をもう一度繰り返すよう指示を出し、そう言う赤根はというと、先ほど止めた直前の台詞を台本も見ずに黒板に書き出した。そして今度は黄色のチョークを持つと、その台詞に筆を入れ始める。


「それじゃ今度は、例の台詞をこれに変えて読み合わせてみて。これの方が良いかな」

 と指示を出し、納得すると「以降そこの台詞はこれにします」と台本を変更するのだった。


 赤根はこのように台本の訂正・改稿を繰り返している。

 もっともこの例は穏やかな訂正例で、時には「なにこの台本! わかりづら過ぎ! 観客は何度も読み返したり出来ないんだっつうの!」と自分台本を口汚く罵倒しながら直したり、役者に対し「何でそうなるの!? どうして!?」と勢いよくがっつり話し合ったすえに変えることもあった。


 結果として、稽古の度に黒板は端から端までみっちりと台詞とその修正で埋まることとなる。

 時間が惜しいのだろう、書く速度も凄まじいものがあり、黒板を縦横無尽にかける様がまるで踊るようであったため踊る演出家などと呼ばれるようになったという訳なのだとか。

 もっとも台本の変更自体は、稽古中以外にも夜に更新されその連絡が来ることもあるのだが、いかんせん稽古中の印象が強いのだろう。



     *  *  *



「赤根のやつがあんなに台本をいじくり回すの、今回が初めてなんだぜ」

 ふいに芦原がそう言ったのは、体育の授業中、俺と芦原が体育館の壁際に並んで座っていたときのことだった。バスケットボールをドリブルする音や、シューズが床と擦れる音が響く中、ぼそりと言った。


「そうなんだ?」

「そもそもアイツ、自分の台本の演出することスゲー嫌がってたんだよ。で、どうしてもそうしなきゃいけないときも……なんつうか、脚本の自分と演出の自分を分けて考えてるって感じだったんだ」

 芦原が言うには、台本を演出の都合上改変することはあっても、積極的に台本自体を良いものにしようという意図で変えることはなかったらしい。


「それが今回は、もうすでにバージョン二・三だとよ。手ぇ入れまくり」

 芦原は苦々しげな声でそう言う。たぶん、稽古中に黒板に書きだされた台詞の修正を、ネットの共有サービスに上がっている台本に反映させる役割が芦原になっているからだろう。

 ただよくよく見れば、口角が微妙に上がっていて、赤根の変化を悪いものではないと捉えているように感じられた。

 赤根は未だに、どんどんと成長しているのだろう。少し、置いて行かれているような気分になる。


「そんだけ黒木の影響が大きいのかねえ」

 俺がそう呟くと「ハ?」と芦原が返した。芦原比にしては見開かれた目が、こちらを捉えている。


「いやだって、その変化って『自分の台本に責任を持て』っつう黒木の主張の影響じゃないの?」

「……そういやアイツ、ちょいちょいそんなこと言ってんなー」


 芦原は足元に転がって来たボールを拾い上げると、「お前って、結構自己評価低くない?」と口にしたのだった。

 そのことに対し問いただそうと口を開く。けれどその前に、ピーとタイマーの音が鳴り響き、試合が自分達の番となってしまうのだった。



     *  *  *



 赤根の台本改稿も落ち着きつつある頃の昼休み。

 教室で自分の席に座る俺の目の前で、赤根と芦原が音響のことについて話あっている。具体的には、台本を指差し議論しながら、一つのイヤホンを分け合い、何かの映画のサントラを聞いているらしい。

 赤根の「これじゃドンチャカしすぎ。もっと密かに、でもキリッと」という注文に眉をひそめる芦原。そして、あーでもないこーでもないと、議論が白熱し始めた。


「擬音が多すぎ。そんなんでちゃんと演出としてやっていけるんですかー?」

「ハア? 指示する相手に合わせてあげただけですー。難しい言葉使っても分かんないでしょうが、アンタは」

 ……悪口合戦になってるけども。


 俺はというと、そんな二人を尻目に見ながら、昼食の弁当をかっ込んでいた。すぐに弁当は空になり、立ち上がる。


「あ、誠くん。今日はどこ? ヨッシーのところなら私も行くよ」

 赤根が、立ち上がった俺のことを見上げていう。ヨッシーとは、家庭科部の吉田さんのことで、赤根とは彼女の実家みせでのバイト仲間でもある。家庭科部には今回の公演では一部衣装も手伝って貰っていて、その代表が吉田さんになっている。いやホント、夏公に引き続き家庭科部には本当に頭が上がらない。

 ともかく、そういった演劇部外と話を詰める仕事は俺が主に引き受けており、こうして昼休みに訪ねたりしているのだった。

 それにはこうして演出の赤根も付いてくることも多いのだが、赤根が決して行かない所が一つある。


「音響の話はいいの?」

「いいよいいよ。劇部の人とは話せる機会は多いし。じゃあ行こっか」

「行くのは文芸部だけど」

「さっさと行けば?」

 行き先を告げた途端、この変わりようである。

 このように赤根は文芸部には行こうとしない。理由はもちろん、奴と反りが合わないことにある。


「黒木は今日居ないよ?」

「ホント!? うん、それなら――」

「嘘だけど」

「はよ行けい!」

 背中を叩かれ、教室から追い出された。



「……てことがさっきあったんだけどさ、何でお前らそんな相性悪いの? 俺、いい加減メッセンジャー疲れてんだけど」

 不機嫌そうに焼きそばパンを囓る黒木に対してそう言った。


 野郎と二人きりの文芸部室。何が楽しくてこんなところに来ているのかというと、格好つけて言うのなら、台本をより良くするために第三者の意見を求めているといったところ。

 実のところは、赤根と黒木が二人とも負けず嫌いだったという話。以前佐藤さんがメモしてくれた赤根の台本に対する黒木の言い分に赤根が反論し、そこからやり取りが続いていて、なし崩し的に俺が伝言役をやることになったという経緯だ。


 とはいえ、ただの口喧嘩ではなく互いに認めるべきところは認めているのは偉いと思う。分かりやすいところでいうと、赤根の台本がバージョン一・七からバージョン二・〇へと大きく変わったとき、そのきっかけは黒木の助言あってのことであったりする。


 黒木はこちらを一瞥すると、鼻を鳴らした。


「もう大きな改稿もないんだろ? もうすぐ終わるんだから、少しくらい我慢するんだな」

「まあ確かに、そっちがもうアドバイスがないならこの仕事は終わりだな」

 確かに、最近まで書記係として佐藤さんも来ていたのだが、そろそろやることもなくなってきたということでこの場に来なくなっていた。


「ああ、やっと平穏な昼食が帰ってくる思うと済々するよ」

「……何? お前、いつもここで一人で飯食ってんの?」

「…………そんなことないさ」

 黒木は焼きそばパンにかぶりついた。


 そうか。知ってたら、赤根と芦原のイヤホンシェアなんか見てないでこっち来たんだけどな。

 ――ん?


「凄い顔してるけど、そんなに僕が哀れかい?」

「いや、そうじゃなくて思考がちょっとバグって」

 音響と演出が、公演で使い候補曲を一緒に聞くなんて普通のことだろう。

 黒木はどうにも俺の表情を見て、黒木に対してどうこう思っていたわけではないと納得したようだった。


「思考のバグ、ね。ヘンテコな言葉だ。詳しく聞かせておくれよ」

 黒木が小馬鹿にした調子で言う。


「……お前がぼっちなことを笑っただけだよ」

「へえ、そうやって誤魔化そうとすることなのかい! ところでさあ、演劇部には散々協力してやってるんだ、少しはそっちからネタを提供してくれてもいいんじゃないかなぁ!?」

「ネタって寿司ネタ?」

「そうそう、光輝く銀シャリに油の乗った中トロを――なわけないだろ」

 予想以上のノリツッコミである。


「……別に小説のネタになるような話じゃねえから」

「そんなの君が決めることじゃあないね。それとも何かい、君は演劇部の癖に自分の感情を掴めていないのかい? 演劇部は自分の感情を把握するための練習をよく行うって聞いたけど」

 そして、黒木は部長失格じゃないかと嘲った。

 明らかに挑発の為の言葉だったが、全く堪えないわけではなかった。


「もう特に話し合うことはない、それでいいな?」

 と打ち切るように問いかけると、黒木は鼻白んだ表情を浮かべた。


「ああいいとも。それじゃ精々頑張ってくれ」


 今までありがとなと告げ、扉を出ようとした俺の背に「赤根の奴が退部したら取材に行くよ」と、このところ定番の挨拶をかけられた。


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