第46話 ヤな先輩


「求婚者に対する無理難題。なるほど、題材として竹取物語が使われていることはわかる。けれど、結婚を避ける理由が『既に好きな人がいるから』というのはどうなんだい? あまりに陳腐過ぎるだろう」


「いやなに、別に貶すだけのつもりじゃないさ。例えばそう、あの双子のところだ。自らの分身を作り出す薬という要求をされた男が、自らが双子であることを利用する展開は僕じゃ思いつかなかったよ。何せ演劇部員にどんな人がいるかなんて知らないシ、興味もないからネ! 負け惜しみではなく!!」


 沈黙を破った黒木は、その後タガが外れたように語り出した。その内容は赤根の書いた台本「蛍姫物語」に関するものだ。


 その物話は、昔々で始まる類いで、一人の少女の結婚を巡って展開する。


 ある村の長が一人娘に、ほたるという少女がいた。彼女は噂になる程度には可愛らしく、美しかった。その噂は独り歩きし、ついには彼女は遠方の貴族から求婚され始めてしまう。結婚なんてしたくないという彼女は、結婚の条件として無理難題を突きつけ、多くの求婚者を追い返した。

 真相は、彼女の想いは幼なじみの少年に向いていたというだけの話ではあったのだが。

 ともかくも多くの男を追い払ったともなれば、噂はより一層の熱を帯びる。そして最終的に、ほたるはタチの悪い求婚者に狙われてしまい、さあどうなる――というのが大まかなストーリーだ。



 さて、黒木は相変わらず演説の真っ最中。

 最初は、こんなでも赤根に伝えたら何かしらの糧になるかもと考え、なんとか少しでも覚えようとしたのだ。そう最初は。

 けれど、ツラツラと洪水のように語られる言葉はとっくに容量を超え、節々に混ぜられるイラッとくる言い回しに僅かに覚えた部分も削られた。


 けれど文芸部の二人はこの状態に慣れている様子である。

 柳瀬先輩は黒木に渡すはずだった感想文をいつの間にか抜き取って、時折頷きつつ読み進めているし、佐藤さんなんて携帯を取り出してなにやらかなりの速度で指を動かしていた。

 後に残るのは、ただ一人喋り続ける黒木と、その言葉を右耳から左耳に流す俺だけだった。


 一体俺はどれだけの時間こうしていたのか。何故か黒木の話の内容が竹取物語についてとなっている。

 曰く「竹取物語の特徴の一つには『なぜ結婚なんてしなければならないのか』というかぐや姫の態度を通した男性管理社会への批判がある。それなのに、あの台本の好きな人がいるから結婚したくないという設定はどうなんだ」と。あ、最初の話に戻ったのか。


「別にいいんじゃないですか? 現代はその当時と違って、結婚をしないという選択もかなり普通になってきたわけですから。結婚なんてしたくないのにどうして結婚しなければならないのか――なんてテーマはそもそも時代に即してないわけです。むしろ赤根先輩の話みたいに、単純に好きな人とだけ結婚したいというのは、すごく今風だと思いますけどー」

 と唐突に佐藤さんが言う。

 驚いた。何に驚いたかと言うと、今まで全く話を聞いていないように見えた佐藤さんが言い返したという点にだ。聞いていたのかと。


「というより、相田先輩の『聞いてたの?』って顔がショックです……。こんなに頑張ったのに……」

「頑張った?」

「……相田先輩、連絡先教えてください。今すぐに」

 携帯を差し出され、有無を言わさず連絡先を聞きだされる。その直後、かなりの長文――画面を埋め尽くして余りある長い文章が送りつけられた。

 よく見るとそれは、黒木の発言の口述筆記だった。赤根の台本に対するアレコレの発言がまとめられている。


「まだ誤字脱字だらけだと思いますので、今日の部活中には推敲した文章を送りますね。ぜひ赤根先輩に見せて、黒木さんをけちょんけちょんにしてあげてください」

「あ、ありがとうございます」

「いえいえ、昨日は黒木さんをギャフンと言わせて下さって、スカッと来ましたので!」

 そう言って彼女はニカッと笑う。


「こらまて佐藤、なら君はかぐや姫の成長物語としての側面は――」

「えー、旗色が悪くなったら急に違う話ですかー? さっきは結婚うんぬん言ってたのに」

「違うだろ! これは奴の台本における、原典への冒涜たる話題という点において地続きだ」

「ちょちょちょ、今メモってるので少し待って下さい。……『原典への冒涜』っと、ププッ。よしオケ。そもそもですねぇ――」


 呆気に取られていたところ、柳瀬先輩に肩をちょいちょいと叩かれた。


「あの二人にまともに付き合う必要はないですよ。もし内容が気になるとしても、佐藤さんがちゃんとメモを取ってくれていますので。それよりも、いくつか質問してもいいですか?」

 先輩は感想が書かれた紙束をヒラヒラと振っている。俺が頷くと、まずは素敵な感想をありがとうと前置きした上で続けた。


「一つ目の質問、この感想文を書くように指示したのはいつですか? 昨日の会議のあと? それとも前もって決まっていたの?」

「会議のあと、ですね。本番の台本に採用されていた場合、これは公演が終わってからにするつもりでした」

 先輩は目を細めて、唇の端を僅かに上げる。


「なら二つ目の質問。昨日の会議で赤根さんが代役に入る理由となった欠席者は、この花咲さんという方で合っていますか?」

 先輩が持ち上げたのは宮子ちゃんの感想文。その通りだと伝えると、いよいよ先輩の顔はニヤつきを隠せないものとなった。


「でしたら……三つ目の質問です。この花咲さんの感想文、違和感を覚えませんか?」

「違和感、ですか?」

「ええ。だって大事な会議を欠席するほどの風邪を引いていたにしては、長文で、台本案をしっかり読み込んだ感想なんですもの」

 失礼なことが書いてあっては不味いので、全員の感想は事前に一通り読んだ。確かに宮子ちゃんのものは、素人目にもよく書けているなと思わされるものだったけれど……。


「彼女はとても責任感が強いので……」

「その責任感の強い彼女が、欠席するほどの風邪のはずだったのでは? とてもじゃありませんが、そんな風邪を引いた状態でこれだけの文章を書くのは骨かと思います。……もっとも、仮病だったというのなら話は違ってきますけどね」

 はっきりとした口調にたじろいでいると、議論をしていたはずの黒木と佐藤さんがこちらを見ていることに気がついた。


「ヤナセンパーイ、流石にうちの部員以外にヤナセンパイモードを向けるのはどうかと思いまーす」

「ちょっと佐藤さん?」

 先輩に睨まれて口を噤んだ佐藤さんにかわって、黒木が「説明しよう」とふざけた口調で続けた。


「ヤナセンパイモードとは、いやな先輩、つまりヤなセンパイという――」

「黒木君!? さっきの意趣返しというわけですか?」

「いえ。ただ単に、最近の先輩は、推理小説に影響され過ぎているんじゃないかと思っただけですよ。まったく、特撮の真似をする男子小学生じゃないんですから」


 黒木のその発言に、沈黙が降りた。


「……ホント、余計な一言をつけ足す才能だけはピカイチですよね。分かりました。黒木君がそのつもりなら、あの事を佐藤さんにバラしてしまいますから」

 目が据わった先輩の様子に気づいていないのか、黒木はいつもの調子で言い返す。


「あの事、ですかあ。ハハッ、通用しませんよ? そうやってバーナム効果を利用して――」

「昨日の無効票の話です。相田君もご存知ですよね?」

「えっ? あぁ、まあ……はい」

 急に顔を引きつらせる黒木と、対称的に目を輝かせる佐藤さん。


「ごめんなさい。僕が悪うございました」

「是非にお聞かせください! 黒木さんの弱み! 欲しいですっ!」

「う~ん。これは佐藤さんの方が誠意があるかなー」

 完全に弄ぶような声色だ。これはたしかに、嫌な先輩という言葉にも頷かされるかも。


「相田さん? 変なことを考えてませんよね?」

「まさかとんでもない!」

 怖い。何が怖いって急にさん付けに変わったのが超怖い。


「決めました。バラしちゃいましょう。それでは佐藤さん、昨日の決選投票のときを覚えていますか?」

「台本案が、赤根先輩と黒木さんのものに絞られた後の投票のことですか?」

「そうそれです。その投票前に、誰かさんが面白いことを言い出したのを覚えていますよね?」

「確か黒木さんが、候補者ぼくたちにも投票権を寄こせと言ってましたね」

「具体的には『己に投票することは、自らの作品に責任を負うための決意表明であり儀式である』というのが彼の言い分でした」

 浮かんだ薄ら笑いを隠すことなく、先輩は楽し気に語る。黒木はというと、既に諦めたのかぐったりと椅子に座り込んでいた。


「ときに佐藤さん、昨日の結果発表の際、票数が合わなかったことに気がつきましたか? 赤根さんと黒木君の票を足しても、投票数に届かなかったのです。あぁ、何でそんなことが起きたのでしょうか?」

「……無効票があった、ですか?」

「ピンポーン! そしてその無効票になっちゃったお馬鹿さんはというと?」

「それが黒木さんなんですね!」

「イエス、ザッツライト!」

 わー先輩楽しそうだナー。ハイタッチなんてしてますよ。


「えっとそれで、なんで無効票になったんですか?」

 と佐藤さんが尋ねる。


「それは単に、無記名投票なのに投票者として自分の名前を書いたってだけ。でもでも、面白いのはその投票先なのよ!」

「え、じゃあもしかして……?」

「黒木君が投票したのは……赤根さんの台本だったの!」

「えぇ~! あんな態度をとっていたのにですか~!?」

 女子二名はキャーと声を上げている。

 ふと転入前のことを思い出した。女子の方が多いところに行ってしまったら、男子は弄られまくるのではないかと不安に思ったときのこと。劇部で楽しく過ごせているのは、彼女たちの配慮のおかげなのかもしれない。感謝の気持ちを忘れないようにしよう。うん。


「黒木さ~ん、そういうのなんていうか知ってますか~? ツ・ン・デ・レって言うんですよ~! 本当は認めてるのにツンツンしちゃってもう!」

 黒木はそれには反応を示さずに、俺の方を見た。


「……頼むから帰ってくれ」

 ああ、と頷く。正直もう見てられないし、いつかこっちに飛び火するんじゃないかと恐怖すら覚える。

 けれど、そそくさと退散しようとした俺のことを先輩が呼び止めた。


「ちょっと待って相田君。一つ忘れてました」

「何でしょうか?」

「さっきの質問の続きと、あと……あれはどちらかと言えばアドバイスでしょうか」

「あれ、ですか?」


 あれとは何かと尋ねても、「口が滑っただけです」などとはぐらかされてしまった。


「聞きたいのは、赤根さんの台本のことです。読み合わせの時には決まっていた配役は、台本が書けたあとに配役を決めたのではないですね? そうではなく、配役を事前に決めた上でその役者に合わせて台本を書いた――違いますか?」

「そうしよう思っていると、聞いたことはあります」

 柳瀬先輩はチラと視線を斜め上へと向かわせたあと、眼鏡を外しながらこう言った。


「でしたら、赤根さんは一人……いえ二人ほど、読み違えているかもしれません」

「……その人の役の分は書き直した方がいい、ということですか?」

「そこまでする必要はないかと。ほんのささいな食い違いのようですから。何もなければ、何もないまま終わるでしょう」

 すかさず黒木が「何もないときを仮定したのなら、そりゃあ何もないまま終わるに決まってる」と小さく呟いた。

 柳瀬先輩は、黒木の突っ込みを軽く流して「あらやだ、その通りですね」と小さく笑うばかりだった。


「では相田君、お稽古頑張って下さいね。本番も楽しみにしていますから」


 そうして俺は、首を傾げながらも文芸部をあとにした。


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