第44話 チン、チチン、チンチンチン。


 手に持ったストップウォッチの表示時間が十分を超えたところで、卓上ベルをチチンと二回鳴らす。教壇に立つ文芸部の女の子は、冷や汗を浮かべてこちらをチラと見ると、一層の早口で語り始めた。


 話慣れていないその様子につい集中が途切れてしまい、部屋の様子を眺めてみる。

 いつもの講義室ではあるものの、集った人数は普段のそれよりも多い。具体的には演劇部員の他にも、黒木や柳瀬先輩をはじめとした文芸部員。加えて夏公演の手伝いをしてもらった縁で家庭科部や文化祭実行委員会の人にも声をかけ、それぞれ数名ずつ来てくれた。


 今日は文化祭公演に向けた台本会議当日。多くの見慣れぬ顔は、少しでも公平を期するために人を集めた結果である。残念なことと言えば、宮子ちゃんが風邪で欠席しているということだが。



「――あ、あらすじとかは以上です! 時間を過ぎてごめんなさい! えっと次は……何か質問はありますか!?」

 発表者の声に意識を引き戻される。慌ててストップウォッチを見ると、時間は十二分を過ぎたところだった。二つの質問が出たあとで、折よく十五分が経ったため卓上のベルをチンチンチンと三回鳴らす。


 ――八分経過で一回。発表終了二分前の合図。

 ――十分経過で二回。発表終了および質疑応答に入る合図。

 ――十五分経過で三回。質疑応答および持ち時間終了の合図。


 これが司会兼タイムキーパーを務める俺が、ベルを鳴らすタイミングであった。


「これにて佐藤さんの説明は終了です。続きまして、黒木君の説明となります。タイトルは『アカウントラブル』です」

 俺の言葉に従って黒木が教壇へと向かう。気取った歩き方が癇に障る。柳瀬先輩は俺と黒木が仲良くなれると言っていたが、やはり無理だと思います。


「まったく……。準備がなってないったらないよね。分かる? 佐藤さん、君のことだよ? 同じ文芸部として恥ずかし――」

「それ以上続けるのでしたら、それも発表時間として扱いますが?」

 先ほど発表していた後輩をいびり始めた黒木の言葉を遮る。黒木は顔をしかめ、ようやく発表に入って行った。



     *  *  *



 台本会議に集まった台本案は計四つだ。

 赤根と黒木の二本は言わずもがな。残る二本のうち、一本は文芸部の一年生が書いてくれた話。そしてもう一本は、演劇部の一年生がそれぞれ探してくれていた台本から、リハーサルを兼ねて、昨日この会議と同様の形式を経て選んだものだ。



 この会議は前半と後半の二部構成にて行うことにした。


 前半部は、質疑応答の時間を含め各自持ち時間十五分で作品のあらすじを説明してもらう。そしてこの前半が終わったところで一回目の投票を行うことになっている。それによって候補作を二本に絞り、次いで後半を始めることとなる。


 後半部は、絞った二本の作品に対して演劇部員による読み合わせを行う。読み合わせと言っても当然配役は決まっていないため、順番に台詞を読み上げる形となる。国語の授業でよくある、文章を句点のところで区切りながら交代で音読していくことに近い。

 どの部分を読むのかというと、冒頭から十分間で読めるところまでと、発表者に「ここが売りだ。ここを読んで欲しい」と指定された部分の二つだ。一作品につき、これらを合計二十分を目処にして行い、最後に質疑応答および意見・感想を募った後で台本決定の投票を行うこととなる。


 要するに、基本は読み合わせをしてから投票。ただしそれには時間がかかるため、先にあらすじで本数を絞らざるをえないということ。もちろん、台本案は前日の夕方までにネット上のデータ共有サービスにアップしてもらい、各自一通り読んでくるように伝えてはいる。



 さて、会議の方はと言うと、今はちょうど黒木の発表を最後に前半部が終わった休憩時間。隣の空き教室で、無記名投票してもらった用紙を俺と柳瀬先輩の二人で集計をしているところだ。ぶっちゃけてしまうと、前半部での一位は黒木の案だった。赤根の台本は辛うじて二位通過。


 何度数え直しても、赤根の案は二位だった。


「本当に相田君は投票をしなくていいのかしら?」

 柳瀬先輩にも集計結果の確認をしてもらっている途中で、先輩が話しかけてきた。


「一応、司会をやってるんで投票権はなしでいいですよ」

「誰も気にしないと思うけど。それに演劇部の一年生、一人休んでいるんでしょう?」

「……俺の票を入れたところで一位と二位はひっくり返らないじゃないですか」

 先輩は目を細めると「つまり相田君は、赤根さんのお話の方が良かったということかしら」と口にする。俺の考えなどお見通しだと言わんばかりの微笑みを浮かべている。


「……先ほどの発表だけで比べるのなら、黒木君の方が上手かった――面白いと感じさせられたのは事実です」

 文芸部の後輩に準備がなってないと言うだけあって、黒木の発表は上手かった。あれはまるで、分かりやすい歴史の授業のようだったのだ。物語の流れや登場人物の行動理由感情が筋道を立てて説明されていた。


 黒木が書いた話のタイトルは「アカウントラブル」。高校生のSNSをテーマとしたミステリー風の物語だ。

 始まりは一人の女子高校生の死。当初はただただ不幸な交通事故だと思われたが、仲のよかった同級生がSNSの裏アカウントを見つけてしまう。そこには自殺を仄めかすような内容が書かれていた。彼女に何があったのか。事故死なのか自殺なのか。その死の真相を巡って物語は動き出す――という内容だ。


「相田君、怖い顔してる。心配? 黒木君の台本になるんじゃないかって」

「……いえ、心配どころか安心していますよ。どちらになったとしても、良い台本ですから」

「別に強がる必要はないですよ」

 先輩はクツクツ笑うと、けれどふと真面目な顔をして続けた。


「大丈夫。後半では、きっと赤根さんの台本が選ばれるはずよ。私の勘、だけど」

「勘……ですか」

「だってほら、この後の読み合わせには相田君も参加するのでしょう?」

「黒木の作品だからって、手を抜いたりはしませんけど」

 さすがに少しムッと来ながらそう返したのだが、先輩は「もちろんそんなこと分かっていますよ」と軽く言うだけだった。



     *  *  *



 講義室に戻り、これまでの順位を告げた。四位から順に告げたため「二位、赤根絵美作――」の時点で演劇部員を中心に少しざわついた。


「五月蝿いなあ。静かにしておくれよ。これじゃ僕の一位が聞こえないだろぉ!」

 と黒木が立ち上がりながら言う。あー腹立つ。


「……一位は黒木文哉作『アカウントラブル』でした。では続きまして読み合わせの方に移りたいと思います。まず前半部一位の黒木君から――」

「ハハッ! 演劇部の諸君、手を抜いたりしないでくれよお!」


 やかましい黒木はさておき赤根の様子を見ると、彼女は目を閉じてスッと背筋を伸ばしたままで微動だにせず座っていた。

 そしていざ読み合わせが始まると、ペンを手に取り黒木の台本に何やら書き込みをしながら、俺たちの演技を聞いている。

 まさか……諦めたのではないだろうか?

 仮に黒木の台本が通ったとしても、元々今回の劇は赤根が演出を務めることになっている。だからこの行動の意味は、黒木の台本に演出をつける準備を始めているということではないか? そう考えるといつの間にか拳を握っていた。手のひらに爪が食い込んでいる。



 浮かんだ疑念を紛らわすように目の前の台本に集中していると、いつの間にやら黒木の台本の読み合わせと質疑応答の時間が終わっていた。


 次に赤根の台本の読み合わせに入るのだが、赤根がここで小さく手を挙げた。


「あの……一つお願いがあるんだけど、いいかな? 実はこの台本――」


 彼女が口にしたお願いの内容は、少し対処に困るものだった。簡単な話ではあるが、いささかフェアじゃないような……。

 迷っていると、それを認める不遜な声が響いた。


「別にいいんじゃないかい。どうせ僕が勝つにせよ、少しでもポテンシャルが引き出された作品に勝ちたいからね」と黒木。

「まあ、ウチの黒木もこう言っていますし。是非、そうしてください」と柳瀬先輩も続ける。


「……わかりました」


 文芸部の二人の許可もあり、赤根の要望を聞き入れた上で、運命の読み合わせが始まった。

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