第43話 夏休みの宿題、コツコツやるか? 一気にやるか?
日曜から水曜までの三泊四日の修学旅行を終えた木曜日。帰りたての二年生は学校が休みとなる。けれど俺は一人登校をしていた。文芸部と台本の件についての話し合いを詰めるためである。
文芸部の世代交代は、文化祭が終わったタイミングで行われるらしい。最も大きな活動が文化祭での部誌発行のためであるのだとか。つまり現在の文芸部の
授業が終わったであろう時間帯の、文芸部の部室前。ドアをノックすると中から微かに「どうぞ」という声が聞こえてきた。
中には眼鏡をかけたおとなしい印象を受ける女生徒が一人居て、中央にまとめられた机の一つに腰かけていた。椅子ではなく、だ。
「失礼します。演劇部の相田といいますが――」
「ああ。貴方が相田君ね。はじめまして、文芸部部長の
いきなり謝られるとは思っていなかったため、面食らってしまった。
「いえ、僕たちとしても、あー……」
「無理しなくてもいいですよ。余計なお世話だったでしょう? 赤根さんの噂は私も上根さんから聞いていますし、劇を拝見させて頂いたこともありますから」
「そうなんですか。観ていただいてありがとうございます」
「いえいえ。実のところは偵察がてら、四月の新入生歓迎公演を覘きに行っただけなんです」
柳瀬先輩は手を口元に運んでクツクツと笑った。やり辛く感じ、早々に本題に入ることにした。
「
伝えた内容を、柳瀬先輩が復唱する。台本会議をコンテストと表現するあたりに文化の違いを感じるな。
「すみません。どうしても稽古にかかる時間を考えるとこれでもギリギリで」
「大丈夫ですよ。うちの黒木君が急に吹っ掛けたことなんですし。とはいえ台本案を出せるのは黒木君だけかもしれません。部誌の原稿ですら未だ書き上げていない子ばかりで」
柳瀬先輩は小さく舌を出して「かくいう私もまだなんだけど」と言う。
「黒木君ってそんなに書くのが早いんですか?」
スランプなどを批判していたアイツのことだからさぞ筆が早いのだろうと思っていたのだが、返ってきたのは意外な言葉だった。
「いいえ。むしろ頻繁に読み返しながら書いてるみたいだから、一時間当たりの文字数なんかだと遅い方かな」
「そうなんですか? 例えばスランプなんかとは無縁そうな物言いでしたけど。『スランプなんて単なる実力不足だ』みたいな」
先輩は「たしかに彼はそんなこと言いそう」と笑う。
「……ねえ、相田君は小さいころ夏休みの宿題はコツコツやる方だった? 最後にまとめてやってた?」
「低学年の頃なんかは、最終日に半泣きでやっていたような気がしますね」
意図をはかりかねながらもそう返す。
「黒木君は前者なのよ。コツコツ型。少なくとも小説においてはね。彼、毎週決まった曜日にここに来て、必ずパソコンを立ち上げるの。ネットにも繋がってない、テキストエディタしか使えない、ここのパソコンを」
先輩が指し示した先にあったのは、本棚の一角に何台か重ねて置かれた、いささかゴツい見た目のノートパソコン。そう言われても「はあ」と気のない返事しかできなかった。
「でもね。当たり前なんだけど、黒木君にだってどうしても手が止まっちゃうこともあるの。そんなときは彼、手をキーボードの上に添えた体勢でずっと動かなくなっちゃうのよ。私が『散歩にでも行って気分転換したら』と話しかけても『この時間はここで書くって決まってるんで』なんて具合で梃子でも動かなくなってしまう」
指を接着剤でキーボードにくっつけた黒木の絵が頭に浮かぶ。なんかシュールだ。や、実際にはそんなわけはないけれど。
「つまり言いたいことは、物事をやり遂げるための手法はいくつかあるけど、黒木君は習慣化で物を書いてるっていうこと」
柳瀬先輩はそう締めくくると、眼鏡をクイと押し上げた。
確かに、人は習慣に従う生き物だ。習慣化さえしてしまえば、多少面倒な行動でも日々の営みとしてこなせるようになる。例えば、ほとんどの人かやる気がないから学校に行かないということがないように。面倒でも毎日歯磨きをするように。
黒木にとって小説を書く行為は習慣化されたものなのだろう。筆が進まなかろうがやる気が湧かなかろうが、書くことをとめないための手段としての習慣化。
「私なんかは、締め切りが迫らないと頑張れない方なんだけど。夏休みの宿題は最終日にやるものだって思ってますから」
柳瀬先輩は意外にもそう言って、やはりクツクツと笑う。
「黒木君はあんなだけど、物語に対しての気持ちは嘘じゃないから、どうか会議のときも物語そのものをよく評価してあげてはもらえないかしら」
「大丈夫です。元々そのつもりですから。よい劇にするために使えるものはなんでも使えと、教えられてきたので」
なぜだか先輩は悲し気に目を細めた。
「演劇部の先輩方は立派な人たちだったのね」
「柳瀬先輩も、いい先輩だと思いますよ」
でなければ黒木が書く話をちゃんと見てくれなんて言わないだろう。先輩は目を僅かに見開いた後で微笑んだ。
「……ありがとう。ねえ、文芸部と掛け持ちしない?」
突然なにを言っているのか。
「ありがたいお話ですけど遠慮しておきます。さすがに劇部で手一杯です」
「残念。せめて私が引退した後も、黒木君を冷やかしに来てちょうだい。案外仲良くなれると思うの。相田君と黒木君」
「……部に持ち帰って検討いたします」
やっとのことでそう返すと、先輩はまたクツクツと笑うのだった。
* * *
翌朝。朝のホームルームの前に赤根と芦原にも台本会議について説明する。既に概要については携帯に送ってはいたが、確認のためだ。部活のときには一年生にも伝える予定。前に指示していた通り、一年生も既成の台本を探してはいるはずだ。
ふと思い立ち、説明が一段落ついたところで目の前の二人に聞いてみた。
「ところでさ、小学生の頃って夏休みの宿題はコツコツする方だった? それとも最後に一気にやってた?」
芦原はいい笑顔で親指を立てる。
「もちろん! 二学期が始まってからやってたゼ!」
「じ、実は私も……」
――駄目だこいつら。
俺の思いに同意するかのように、朝のチャイムがどこかまぬけに響くのだった。
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