第41話 例えば、石に漱ぎ流れに枕す


 俺の聞き間違いでなければ、赤根を呼び出した黒木という男は、自分が台本を書いてやってもいいだとか言っていたように思う。他の人の反応を見てみようと芦原の表情を窺うと、右手で顎をさすりながら目しばたたいていた。その速さたるや、毎秒三回は閉じて開いてを繰り返している。他二人の反応も似たり寄ったりだ。


「…………ハァ?」

 沈黙を破ったのは、赤根のどすの利いた聞き返しだった。


「劇部でもなんでもない奴が何言ってんの?」

 けれど、黒木はそれを笑い飛ばしす。

「演劇部かどうかなんて関係あるのかい? 聞いたところによると、夏休みにやった劇じゃあ家庭科部が大々的に手伝っていたそうじゃないか?」

「ええ、確かにそれは事実ですがなにか? 言っておくけど、それは私たちの方からお願いしたもので、ましてや貴方のようにエラソ~に『やらせてやってもいい』なんて言っておりませんので」

「なら一つ質問だ。君たち演劇部はどうして家庭科部にその依頼とやらをしたんだい?」

「私たちにはできないことをする技術があったから、でしょうね」

「オーケーオーケー。なら、僕は君より上手く物語を紡げる。これは十分に君たちが僕に頭を下げるに足る理由じゃないかな?」


 うわぁ……なんなんだ、アイツ。吐く言葉もそうだが、いちいち手を動かして気取った動作を取っており、非常に腹が立つ。

 赤根もこれ以上関わるのは時間の無駄だと判断したのだろう「はいはい、部に持ち帰って前向きに検討いたしますですよーだ」と明らかに小馬鹿にした言葉を残し立ち去ろうとした。「待ちなよ」と黒木が呼び止める。


「小耳に挟んでね。君が文化祭の台本を書くのにてこずっているらしいことを。ましてや、それを思い悩んでいるをしていることも。君みたいな奴が僕はとっても嫌いでねぇ。『わたしぃ、書けてないですけどぉ、こーんなに頑張ってるんです~』という具合なんだろう? ハハハハハ!」


 その明らかな挑発を、赤根はスルーすることが出来なかった。


「貴方に一体何が分かるのよ」

「分かるとも! 君みたいにただの実力不足を『スランプ』だの『筆が乗らない』だのほざく自称物書きは枚挙に遑が無いからね」

「……一体何様よ、アンタ」

「アレ? ご存じない? 文芸部のエース――黒木文哉くろきふみやとは僕のことなんだけど」


 知らねーよ。


「その反応、困ったな……。君と違って、僕は筆名なんて使わずに活動しているだけどな。ねぇ江見明音さん?」

「ペンネームを使ってようが使ってまいが、知らないものは知りません。そもそもペンネームがなんだっていうのよ」

「その発言の時点で、もうダメダメだ。だって君の使うペンネームは、逃げの象徴でしかない。その点、僕は違う。自分の作品に対して自信と責任を持って本名で活動しているんだ! それに――」


 その後も自称文芸部のエース様のご高説は続いたが、もはや俺は聞いてなかった。横では芦原が「スゲーなアイツ。古今東西のペンネームを使った作家を否定したぞ」と薄ら笑いを浮かべている。


 結果としてはただただうんざりとする時間ではあったが、赤根の目に久しく途絶えていた生気が戻っていたことが、俺としては嬉しかった。



     *  *  *



「ねぇ誠くん、台本のことなんだけど文芸部のナントカって奴と勝負することになったから!」


 朝食の時間、俺の前の席に運んできた食事を置きながら赤根はそう言った。朝食はバイキング形式で、彼女のトレーには結構な量の料理が盛られている。見ればお米に味噌汁や魚の切り身など和食然としており、たぶん周囲の女子と比べても量が多い。俺とそう変わらぬほどあるんじゃないか? 昨日までは少量をモソモソと食っていたというのに。


「あのー赤根さん? そこワタクシめの席なのですが」

 と少し遅れて同じく料理を運んできた芦原が言う。


「うん? じゃあ借りるね。ありがと」

「いやいや一応部屋ごとにテーブル別れてるでしょ!?」

「いいじゃん。どーせ先生もいなくて、そんな決まり守ってない人多いし」

 たしかにこの朝食の場に先生たちは居らず別室で食べている。どうにも俺らのより豪華な食事が出ているらしいと専らの噂だ。

 ため息をついた芦原に「ごめん詰めて」と頼まれて、席を一つずらす。元よりこの大部屋は生徒を収めて余りあり、またうちの部屋のメンバーも部活の知り合いのところに行っているらしく幸い席は空いていた。

 何故か赤根も俺の前で平行移動。


「で、台本がどうしたって?」

 水を向けてやると、赤根は唇をムッとしたように尖らした。たぶんその表情は黒木のことを思い出したからなのだろう。


「文芸部のナルシストが『ぼぉくが台本を書いてやってもいいよぉ』と言ってきたのよ。嫌味ったらしくね!」

 ものまねが似ていて噴き出しそうになるが必死に堪える。昨日のあの場に、俺は居なかったことになっている。似ていると分かるのはおかしい。


「それについカッと来て、勝負することになったのよ」

「よく分からないけど、勝負ってのはどういうこと?」

「そのまんま。互いに台本を書いて、出来を比べていい方が文化祭公演に採用するの」

「つまり演劇部全体に関わることを独断で決めてきたと?」

「う、それは……」


 言葉を詰まらせた赤根に更に問いかける。


「あとその出来の良し悪しは誰が判断するの?」

「それはー、たぶん読み比べれば自ずと……」

「それでどんな結果になっても納得できるわけ? 当事者だけじゃなくて劇部も含めた全員がだぞ? ちゃんとした会議なりをしなきゃダメだろ」


 赤根は目を泳がせ始めた。が、しばらくしてこちらに視線をしっかりと合わせてきた。そしてその強い眼差しのまま、


「そこは誠くんに任せたっ!」


 と諸々をぶん投げてきた。


「ん。了解」

「えっ!? いいの!?」

 赤根は自分で言ったくせに目を白黒とさせている。そんなにも意外だろうか。ここまで来たら、そりゃあできる限り台本に専念させてやりたいだけなのだが。


「そのかわり黒木とかいう奴に負けるなよ」

「それはもちろん。――アレ? なんで相手の名前が黒木だって分かるの? 私言ったっけ?」


 やーらーかーしーたー! 口が滑った。とはいえ昨日本当は見ていたんだなどと言えるはずもない。呆れたようなため息を長めに吐いて時間稼ぎをする。どうするか。どうしよう。


 ――頑張れ俺! これでも演劇部部長だ、これくらいのアドリブができなくてどうする!


「そりゃあ……。ナルシストな文芸部、一人称が僕ってことから男子生徒、この修学旅行中に持ち掛けられた話なら相手も二年。これだけの情報が揃ってたらそれぐらい分かるだろ」

「そうかもしれないけど……。へー、誠くん他のクラスの男子生徒のこと覚えてるんだ。クラスの女子だって怪しいのに。男子だから? 実はなの?」

「違うわっ!! ちょっと小耳に挟んだことがあるだけだよ!」

「よかったぁ。前の高校も男子校だって聞いたしぃ、本気でそっちなのかとぉ――」

「もう黙れって! おい芦原、距離取ろうとすんな腹立つから」

 誤魔化すことには成功したっぽいが、変な話の流れになってしまった。こんなバカ騒ぎも久しぶりではあるけれど。


 そんなところに、


「さて。楽しそうにしているところに水をさして悪いけど、ちょっといいかな?」

「噂をすれば影がさすといったところでしょうか。なんの用ですか。黒木君」

 声をかけてきた黒木に対し、態度が豹変する赤根。


「昨日の話をそこの演劇部の部長さん――相田君だっけ?――にきちんと僕からも言っておこうと思ってね。釘を刺しに来たってところかな」

「死に馬に針を刺すようなものですね。ちゃんと私から伝えておきましたのでご心配なく」

 ぴしゃりと言い返された黒木は、舌打ちをした後でA4の用紙が入るサイズの茶封筒をテーブルに放ってきた。中には結構な枚数の用紙が入っているようす。


「なによこれ?」

「小説さ。中に入っているのは、僕が去年ある新人賞で一次予選を通過したやつでね。赤根さんが僕の実力を知って勝負を辞退してくれれば、無駄なことをせずにすむだろう?」


 つい、割って入りたくなった。


「黒木君さあ、赤根のやる気を削ごうってつもりなのかもしれないけど。俺からしたらそれ、流れに掉さす行為だと思うよ。ほら、赤根がメラっときてる」

「ハ? ながれに――?」

「あらら、自称文芸部のエース様はご存じないのでしょうか? まさか『水をさす』と混同してはいませんよね?」と赤根が追撃をする。

 黒木は舌打ちをすると「精々今のうちに吠えるといいさ!」と見事な捨て台詞を吐いて去って行った。


「で。どういう意味なの? その流れなんちゃらって」

 と聞いてくる芦原に、赤根は携帯を操作して文化庁が発表している「国語に関する世論調査」のページを突き付けた。


「へえー『傾向に乗って、ある事柄の勢いを増すような行為をする』ね。でも誤用してる人のが多いのね、これ」

「そ。だから劇にしても小説にしても使うべきじゃない言葉よね。誠くんの使い方も、傾向に乗ってるとは言い難い気もするしー」

「や。だって二人して『さす』を使った縛りしてるからさ。じゃなけりゃ普通に『火に油を注ぐ』とか使うよそりゃ」

 芦原は俺たちの顔を交互に見て「なんか感じ悪いねキミら」などと言う。


「えー、黒木ほどじゃなくね?」

「でもアイツさ、修学旅行にわざわざこんなモン持ち歩いてたのかと思うと、ちょっと面白くね? 内心じゃドギマギしてたりして」

 と芦原は封筒を叩いて笑う。けれど赤根は、


「……まあ自分の書いた物語なんて、怖くて疎ましくて、でも這い上がってると願いたくて、谷に突き落としたくなるんだよ」

 そう小さく呟いて時間を確認すると、朝食を慌てて口に運び始めるのだった。


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