第36話 三人寄れば文殊の知恵


「いや、キツイだろ」

 例の話し合いの結果を金井先生に持って行ったのだが、ハッキリとこう言われてしまった。


 金井先生に事前にアポをとると、何らかの当番らしいその日は職員室にいると知らされた。そのためこうして練習の合間の昼休みに向かってみると、蒸し暑い職員室にポツンと先生は一人でいたのだ。

「暑いですね」と声をかけると「万が一他の先生が来たとき、エアコン入れてたらなんか言われそうでな」と返された。


 ちょうどよかったと半ば賄賂のようなつもりで差し入れたアイスコーヒー(レッドルート提供)も、先の発言を顧みるに、効果はあまりなかったとみえる。そのコーヒーを呷りながら先生は言う。


「もし万が一、食中毒にでもなられたら責任はどうすんだっつう話だよ。赤根の実家さんは、まあ色んな免許とか持ってるのか知らんけど、少なくとも家庭科部は素人だろうが」

 正論だ。ぐうの音も出ない。


「それにこの企画を見ても、そこまでのリスクを背負うメリットがあるとも思えない」

「きちんとメリットを提示できたら考えて頂けるのですか?」

 すかさず食い下がると、俺の持ち込んだ要点をまとめた紙を見ながら「そうだなぁ……」と先生は呟いた。


「正直、俺が担当してる文化祭の実行委員を一枚噛ませれば、出来なくはない……かもしれない」

「どういう意味でしょうか?」

「文化祭じゃ食いもんを出すクラスとか絶対に出てくるだろ? それに向けて、文化祭実行委員会が食品提供のノウハウを積むための試行・視察の機会って形にすれば無理が通らなくもないかもしれないってことだ」

 なるほどと頷く俺を、けれど先生はたしなめた。


「ただなぁ、問題はお前らの方だ。企画の対象がブレッブレなんだよ。とりあえず多くの人を対象にした方がいいとか思ってるのかもしれないけど、こーゆーのは対象とする層を絞った方が説得力が出るもんなんだよ」

 紙をペチペチと叩きながらそう言われる。揺れる紙面には『公演後に仲良く雑談会』なんて文字が躍っている。我ながら弱い文句だとは思うが、対象と言われても……。きっと曇った顔をしていただろう俺を見て、一つ言葉が付け加えられる。


「もし俺が言った通りになれば、宣伝にも文化祭実行委員が協力してくれると思うぞ? それをヒントにもう一回考えてみるんだな」

 そう言って、一応は仕事中らしい先生は俺を追いやるのだった。



     *  *  *



 職員室を後にし、そのドアを出たすぐ先には二人分の人影があった。赤根と宮子ちゃんだ。


「何してるの?」

 ひとまず尋ねてみる。


「ほら、ウチ提供の賄賂に効果があったのか確かめないといけないし?」

 と赤根は腕を組ながら言い、

「私は素直に、早く結果が知りたかったからです」

 と宮子ちゃんはニコリと微笑んだ。


「とりあえず宮子ちゃんの勝ちかな」

 そう答えると「何の勝ち負け!?」という言葉が飛んでくる。知らん。なんとなくだよ。



 職員室を後にしながら、二人に金井先生に言われたことをそのまま伝えていく。


「対象を絞る……呼び込みたい客層を決めるということですよね」

「文化祭実行委員の宣伝って……。そりゃそうしてくれたら大きいけど、文化祭で外から来る人ってそんな決まった人たちだっけ?」

 二人ともやはり首を捻っている。


「この高校の文化祭に来る人ってどんな人? 俺、転入で今年からだから、ここ特有の人とか層とか居ても分かんないんだよね」

「いやー、別に普通だと思うよ? 中学の時の友達とか、あとは精々家族とか? あ、宮子ちゃんは去年の文化祭には来た?」

「はい、志望度は高かったので文化祭にも行きましたね」

 生徒の知り合いに、この高校に進学希望の中学生ね。やはり普通だけど……何か引っかかる。金井先生の口ぶりだと、やはりここにヒントがあるような?


「でも先生の言うことも間違ってないかなぁ」

 横で赤根がそう呟いた。理由を尋ねてみたところ、話始めたのは去年の宣伝法についてのこと。


「去年一番力を入れたのは、駅前でのビラ配りだったの。ちゃんと駅員さんに許可取ってね。それでこう、『ブラジル人のミラクルビラ配り』って早口言葉で噛んだ人が罰ゲームで配ってたんだけどー」

「いや、そのブラジル人のミラクルビラ…………とやらはいいから。その効果のほどを教えてよ」

「えぇー。そうやって噛む人には教えたくないかなー」

 早口言葉を言い直すはめになり、都合三回言い直してなんとか言った。途中「ミラクル人」とか言ってしまったが、結果よければすべてよしということにする。宮子ちゃんまで笑っていたのは聞こえなかった。うん。

 赤根は「誠くんも滑舌と発声くらいは自主練しないとだねー」とケラケラ笑う。いいからはよ話を進めろよ。いや、進めてください……。


「結果としては、結構ビラは配ったんだけど、結局それで来てくれた人はほとんどいなかったんだよね。小芝居しながら配ったりもしたんだけど……」

 公演後のアンケートによると、そのビラがきっかけで来てくれた人は数名程度だったのだとか。少なくとも割いた印刷代と労力のわりには……といった具合であったのだと。


「逆に誠先輩がいた学校だと、変わった人が来たりしましたか?」

 話が行き詰まり、今度は宮子ちゃんから俺に振られた。


「変わった人という程じゃないけど、男子校ってこともあって、女子校の人がやたら来たりはしたかもね。俺はそういう人たち苦手だったけど……。わざわざ制服姿で来るんだよね、その手の人って」

 二人はなるほどという反応を返すけれど、だからといってこれはヒントにはならないんじゃないかなぁ。


「うーん……沙織さんを売りにして男子どもを釣るとか?」

「……アカネ先輩本気で言ってるんですか?」

「や、冗談だよ冗談。でも宮子ちゃんを売りにしてもいいと思うよ?」

「先輩は口だとちょいちょい思いつきの適当なこと言いますよね。書かれる台本と違って」

 俺も宮子ちゃんに同意しようと口を開きかける。

 流石に今の赤根の発言は擁護できない。宮子ちゃんは男子に苦手意識を持っているのだから。とはいえ、以前と比べればかなり改善されたけれど。昔の宮子ちゃんは……ん? 昔の宮子ちゃん?


「そうだよ! 宮子ちゃんだよ!!」


 突然声を上げた俺に対し、かなり冷ややかな視線をよこす当の宮子ちゃん。微妙に笑っているのがとても怖い。


「誠先輩までそんなこと言うんですか……?」

「ち、違う違う。そうじゃなくて! 去年の宮子ちゃんを対象にすればいいんだ。つまり話を戻して、この高校志望の中学生をターゲットにするんだってこと!」



     *  *  *



 既に俺が何を言わんとしているのか把握した様子の二人だったが、一応はいつもの話し合いのメンバーが揃ったところで詳しい説明をすることにした。そして弁当を持参していた二人と別れ、コンビニに昼食を買いに行くことにする。



 屋外では、夏の日差しにアスファルトまでもがギラギラと存在感を強くしている。汗だくになりながらたどり着いたコンビニの前で、ばったりと沙織さんと出くわした。

 午前の練習ぶりの再会である。つまり、つい先ほどまで顔を合わせていたという意味で、改めて挨拶したものか迷う微妙な雰囲気。結局「どもっす」と短く挨拶すると「ん」とさらに短い返事が来た。

 ちょうど先輩はコンビニから出てきた様子だったので、すれ違いながら涼しい店内へと入っていく。金井先生との話などでだいぶ時間をとられたし、さっさと食べられそうなサンドウィッチなどを買って済ませた。


 再び太陽の下に舞い戻ると、コンビニの前にまだ先輩は残っていた。ここで食べていたらしいアイスの袋をゴミ箱に捨てている。

 そのままなんとなく、一緒に戻る流れとなった。


「外、暑くなかったんですか?」

 待ってなくともよかったのにと思い、そう聞くと「当たりそうな気がしたんだよ。アイスが」という返事。どうにも当たりがでたら即交換してもらうつもりだったらしい。


「それで当たったんですか?」

「ハズレだったよ、普通に。誠君はそれ昼ご飯?」

「そうですけど、先輩は?」

「私はもう食べたよ。ここには水とのど飴を買いに来て、ついついアイスも買っちゃったってところ」

 そう言うと先輩は、掲げたビニール袋からミネラルウォーターを取り出し、それを飲み始めた。逸らした顎先からの首のラインに、汗が粒になって浮いている。


 見過ぎてしまったためか「ん? どうしたの?」と横目で尋ねられる。慌てて目を逸らしながら「なんでもないです」と答えた。誤魔化すようにさらに口を開く。


「ところで最近、先輩の演技……ヤバいっすね」

 先輩は小さくむせた。


「おいおーい、演出がそんな語彙力でいいのかい?」

「よくはないんですけど、実際ホントに凄いんで。前から凄かったですけど、このごろはさらにエグいな、と」

「ヤバいの次はエグいと来たか。でも、そうだねぇ……確かに少し、考え方は変わったかもなぁ」

「そうなんですか?」

 しばし間ができた。考え込んでいるような雰囲気を感じるが、俺の方はというと、強い日差しとけたたましく鳴く蝉の音のせいであまり頭は働いていないように思う。


「やっぱり誠君のおかげじゃないかな」

「――はい?」

「前はさー、舞台に立ちながらも『自分の演技は観客からはどう映るか』とか、一緒に演じている人に対しても『この人の演技はもっとこうすべきなんじゃないか』とか、どうしても考えちゃってるところがあったのよ」

 先輩は恥じているような、唇の片側だけを歪めたような微妙な笑みを浮かべている。


「だけど、最近はそれ止めたの。誠君のおかげでね」

 表情は一転して、満面の笑み。夏の暑さにやられた頭じゃ、その理由にたどり着かない。


「思い当たる節がないのですが……」

「どう見せたいかじゃなくて……どう言ったらいいのかな? 私の演じる役は――今回の劇で言うと由香は――その瞬間をどう生きるかに集中するようになったってことかな」

 自分の演技が外からどう見えるか、ましてや他の役者の演技がどうであるかの判断は、すべて演出に任せるようにしたらしい。そう思えるようになったのは、俺のおかげだと言うのだが……。


「過大評価ですよ。俺がやってるのは、役者の皆さんが観客や台本に繋がるための、ちょっとしたお手伝いに過ぎませんから」

 それだって、役者の元々の演技があればこそだし、たくさんの人に助けられながら騙し騙しこなしているだけだ。むしろ本当に凄いのは、その意識の切り替えだけで実際に演技がよくなっている先輩の方なわけで。


「……自己評価を落としても、それは万が一公演が失敗した時の言い訳にしかならないよ。あるいはそれが目的なのかな?」

 けれど返って来たのは、妙に厳しい言葉。言い返そうとしたのだが、喉元で言葉が止まってしまう。先輩が俺を見ている気配はするが、やはり何も言えなかった。


「ごめん。意地悪なこと言った。私が言いたいのは、自信を持っていいよってこと。正直ね、『途中で行き詰っても先輩がフォローできるうちに、色々経験させてあげよう』なんて思ってたんだけど、予想以上に頑張ってくれるからさ。嬉しい誤算だった――って言うとなんか感じ悪いな……。まあとにかく嬉しいってことよ!!」

 誤魔化すように、肩をベシバシと叩かれる。


「……公演が失敗しても言い訳するつもりはありませんし、そもそも公演を失敗させるつもりはもっとないです」

 ようやく言えた言葉にも、先輩は「知ってるよそんなこと」と笑って返すばかり。


 そうこうしているうちに、校門を通り昇降口にたどり着く。この学校の昇降口の前には弧を描くように伸びる階段があり、下駄箱の場所が一・二年生の一階と、三年生の二階に分かれている。必然、一度ここで別れることになる。


 階段を数歩上った先輩が、ふいに振り返る。何事かと思い立ち止まった俺に、先輩は言う。


「誠君、ありがとう」

「唐突過ぎて、なんのことか分からないのですが……」

「強いて言えばもろもろ全部かなぁ」

「……唐突さが増したように思います」

 先輩は「そうでもないよ」と言って、階段の手すりに背を預けた。


「もうすぐ私たちは引退だからね。言えるうちに言っとこうと思って」

「まだ気が早いんじゃないですか?」

 半ば願望のように言ったものの、先輩は首を横に振る。


「ううん。知ってるかい? 楽しい時間はあっという間に過ぎちゃうんだよ?」

「……なら、楽しいと思えないくらい厳しく意見を出してあげますよ」

「そりゃあ楽しそうだ。ま、やれるもんならやってみな。どうする、賭けでもする? 時間を一瞬に感じるかどうか」

「しませんよ。というか、そんな漠然としたもん賭け事に向きませんって」

「なるほどなるほど。まぁとにかく、最後までよろしくねってことよ!」

 最後にそう言うと、太陽に照らされながら先輩は再び階段を登り始めた。ついでに「またすぐ顔を合わせるっていうのに、私はずかしいこと言ってんなぁ」と呟いている。

 よほど「聞こえてますよ」と声をかけたかったのだが、そのときの俺はやはり声が出せなかった。



 ――先輩の賭けに乗らなくてよかった。

 日々はまるで矢のように過ぎ去り、夏の日差しはどんどんと短くなる。そうして、なるほど確かにあっという間に、公演の日がやって来てしまったのだから。



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