第37話 夏公演「ゴーストヒーロー」
大音量で流された甲高いブレーキ音と激しい衝突の音で幕を上げた夏公演は、無事終わりを迎えた。
「お。今度は真っ先に俺んとこ来たな。なんだ? この間の彼女には振られたのか?」
「まずあの子は彼女じゃないです」
「いやー、でも相田が来てくれて助かったわ。若人に囲まれてるとオッサンは居辛くてなぁ」
先輩は周りを見渡しながらそう言った。今年は例年よりも客が集まったらしい。あちこちで演劇部の部員であったり家庭科部の部員であったりが、中学生と思しいお客と話し込んでいる。断片的に聞こえる単語は、学校生活のことや受験についてのものが多い。
そう。ブレブレと指摘された企画を修正し、ターゲットとした客層は中学生だ。芦原の言っていた「公演後にお喋り会なんか開かれても困る人が多い」という主張。なら、それで困らない人、むしろそれを目的にさえなりうる人を集めることにしたのだ。
「あ、先輩もこれどうぞ」
手渡したのは、レッドルート提供のコーヒーが入った紙コップと、文化祭実行委員の厳正な監視のもと作られたという家庭科部作のクッキーが乗った紙皿。それをサンキュと受け取りながら、先輩は「まあ『ワンドリンク付き』ってなってる公演も意外と珍しくはないけどさー」と呟いた。
「そうなんですか?」
言われるがままにツイッターにて「公演 ドリンク付」で検索してみると、たしかにドリンク付きの公演の例はたくさん出てきた。
「場所によっては、小屋を借りる条件でワンドリンクを付けるように言われることがあるんだよ。なんでもそういうとこって書類上は飲食店らしいんだわ。劇場として届出をするよりも、飲食店としての方が色んな条件が緩いらしいぞ」
そして飲食店である以上は、飲食物を提供しお金を得る必要があるのだという。おまけがメインになっている玩具付きお菓子みたいだなと感じる。
「でもそれは仕方なしに付けてるだけだし、大抵公演中は飲むなってなるからな。ま、お前たちはよく考えたと思うよ。美味いもんもあって、みんな和やかに話してるじゃねーか」
「赤根のお父さんは、コーヒーよりもオレンジジュースばかりが捌けてて複雑そうですけど」
「まあ中学生ばっかじゃなぁ」と先輩は苦笑する。
「昨日の公演だと、嘘か真か来年はウチで劇をしたいとか言ってくれる演劇部の中学生もいましたよ」
「なあその子、現時点でお前よりキャリアあるんじゃねーの?」
「そうなんですよねー……」
そりゃあ俺のキャリアなんか、もうじきようやっと半年という程度。今回の公演だってなんだかんだ周りにフォローされまくってようやくなんとかやり遂げたものだ。
項垂れた俺に対して、新谷先輩は「そんなお前にプレゼントだ」と言いながら公演のアンケートを手渡してきた。見ると、感想欄にはみっちりと字が詰まっている。
「未熟な君のために、主に演出についてたっぷり駄目出しを書いといたから、精々レベルアップしてくれや。その中学生が入学してくる前にな」
「う……。ありがとうございます」
ひとまず流し読んでみると、確かにケッチョンケチョンに書いてある。
「褒めて育てた方がいいかなーとか思わないんですか?」
「褒めてるだろ、少しは」
嘘だぁと思い調べると、ラストシーンについては堅っ苦しく褒めてなくもなかった。赤根の台本を少しでもきちんと表現したくて、何度も稽古を返し、役者や音照のスタッフともかなり話し合った場面であった。
思わず緩んでしまう頬を引き締めようと、ブラックのままのコーヒーをがぶ飲みした。そしてむせた。
* * *
劇を後方で見守るだけというのは、ある意味で自分が舞台に立つ以上に緊張するものだった。
ゲームやアニメの戦闘シーンで用いられそうなBGMを流し、剣の交わりに合わせた鮮麗な
舞台には、楓先輩が演じる
「終わったね」
「そーだな。復讐も果たしたことだし、これで俺も成仏だ」
ヒカルは大の字に寝転びながら、そのときを待つ。
――心臓が鼓動を刻む音が小さく舞台に響き始める。
しばらくして、困惑した表情でヒカルは口を開いた。
「……なんで俺、死なねえんだ?」
「なら未練が間違ってたんじゃない? もしくは新たな未練ができたとか」
「……お前を一人にはできないとか?」
「ハハ、アハハハ……。アハハハハハ! 嬉しいけど、違うよ」
ほのかは唇を噛みしめて、手で目元を隠しながら、それでも高笑いをする。痛々しいほど演技じみた所作。
「もう時間がないからヒントをあげる。そもそもね、アイツへの復讐は君の未練になりようがないよ。だって――君はアイツに殺されてないもん」
「……意味わかんねぇんだけど」
「きいいぃぃぃぃ――どん!」
ほのかは、劇の冒頭で流れた音を模倣した。目を見開くヒカル。
――心臓の鼓動音が徐々に大きくなっていく。
「思い出した? 君の未練。私の罪。……由香ちゃんに謝るんだよ? 目を覚ましたら、ちゃんとね」
「おい……。待てよ! それじゃお前は! おい!?」
「……ごめん。バイバイ」
唐突に、舞台から光が消える。
――心臓の鼓動音はいよいよもって大きくなる。その音が、胸に圧迫感を覚えるほどに大きくなり……突然の静寂が訪れた。
規則性の破れによって緊張を強いられた一瞬の間が会場を包む。
寝ていた誰がが飛び上がるような「ガバ!」という布をはねのける音が響き、再び照明に灯がともった。ベットの上で起き上がる、ヒカル。そんなヒカルに驚き、抱きつく由香。ヒカルは彼女を抱き返しながら礼を言い、謝る。
「なんかヒカル、変わった?」
ヒカルの様子を見て、沙織先輩が演じている由香は首を傾げた。
「そうか? ならきっと、そうなのかもな。そうだと、いいな」
そうして、ヒカルは自分の置かれた状況を知る。交通事故に遭い、奇跡的に外傷こそないものの先ほどまで意識不明の状態だったのだと。そして尋ねた。
「ところでさ……クラスメイトの、ほのかっていう女の子、分かる?」
「えっと……誰?」
ヒカルは小さく頷いて「悪い。ちょっと行かなきゃいけないとこができた」と言う。
「何言っての!? 今の今までヒカルは――」
「あー大丈夫大丈夫。夢ん中じゃチャンバラする程度には元気だったからさ」
よたよたと走り出すヒカル。
――ゆったりとしたJ-POPが流れ始める。ピアノをふんだんに使い、クラシックの要素を織り交ぜた楽曲。柔らかく伸びのある歌声が響き始めた。
そして教室での最後のシーン。そこには成仏を待つ、ほのかの姿。彼女はじっと手を見つめながら呟く。
「そっかぁ。やっぱり私、また、死ぬのか」
カラカラと開く扉の音。息を落ち着けるようにゆっくりと教室に入って来たヒカルは、辺りを見回した。
「ヒカル君……なんで……」
「なあ、いるんだろ?」
「……うん」
「もう見えないし、聞こえないけど」
「……うん」
もはや意思の疎通が叶わぬ様を表現する二人。一方通行のヒカルの独白は続く。
「復讐が未練だったのって、お前の方だったんだな?」
「……うん」
「あー、別に攻めたいわけじゃなくてな?」
頬を掻くヒカルに、ほのかは「うん」と努めて朗らかに返すが、ヒカルは悲し気に辺りを見渡すばかり。その様子を見て「なんで来るのかなぁ……」と呟くほのか。
「お前に教わったからさ、ちゃんと気持ちを伝えないと後悔するって」
「でも君にはもう私は見えない。この言葉だって届かない。そんなの、ただの自己満足じゃん」
「受け取ったものをちゃんと返したいってのは、間違ってないと思う」
「ふざけないでよ……。それが自己満足だって言ってるの! 私は、君を利用しただけなのに……!」
「だって、あんなヘタクソな演技されたらほっとけないからな」
ヒカルは教室中央の机の端に腰かけた。下手の方を向いており、客席からはヒカルの横顔しか見えない。座った机の空いたスペース、それはまるで上手向きに誰かが座るためのよう。
逡巡の後、ほのかもヒカルと背中合わせになるように腰を下ろした。
「そこに……いるのか?」
問われたほのかは、無言で頷く。膝の上に組んだ手を固く握り、俯き続ける。ヒカルは振り向きかけて、それをこらえる。
「あーヤベ……たくさん、文句とか、下らない雑談とか、たくさんたくさん言いたいことあったんだけど、上手く言葉になんねぇや。でもきっと、もうそんな時間もないんだろ? だから、一言だけ……一言だけ言わせてくれ」
――ありがとう。
流れていた音楽がピタリと止まった後で、ヒカルはそう言い残した。そして、教室から去ろうと歩き始める。
彼が教室からまさに出る直前、これまでずっと俯いて唇を噛みしめていたほのかが、勢いよく振り返る。
「私の方こそ――ありがとう!!」
弾かれたように、ヒカルは振り返る。先ほどまで決して振り返ろうとしなかった彼は、くしゃくしゃの笑顔を晒していた。
再び紡がれ始めた音楽を背景に、ヒカルは小さく頷いて、今度こそ教室から去って行った。
ほのかの消滅を表現するかのように、舞台はゆっくりと暗くなっていく。そして、完全な暗闇に覆われた。そこに小さく風が吹き抜けて、豆電球程度の小さな明かりが舞台を照らす。そこにあるのは、もはや誰の姿もない教室。けれど響く最後の言葉。
「本当に……ありがとう……」
この言葉をもって、この劇は終わりを迎えた。
* * *
『制作側の人間と違い、観客は全ての台詞を把握し記憶しておくことなど土台不可能である。そのため、制作側の意に反し観客視点では物語の展開に論理的繋がりを認めがたく感じる人が多くでることもある。そんな中、最後の場面をそれ単体でも「別れの場面」として成立させようという努力の跡がうかがえた点は評価に値する。――以上。今後も頑張れよ』
アンケートをそんな言葉で締めくくった新谷先輩は「それにしたって居づらいわー」と言いながら早々に去っていった。周りを見渡してみる。公演直後に比べると人はそれなりに減ってはいたが、裏を返せば現時点でも残っている人はかなり熱心に話し込んでいる人たちということでもある。和花先輩など、舞台にまで行って照明を指差しながら中学生に説明をしている様子。
「誠君、お疲れ様」
肩を叩かれ振り返ると、鍵についたリングを指でクルクルと回す沙織先輩の姿があった。見覚えのある鍵だ。
「先輩もお疲れ様です」
「ちょっと上で話さない?」
夏休み期間中ということもあり、屋上へは特に周りを気にする必要もなくたどり着いた。
コンクリートに照りつけた日差しに、目を細めてしまう。冬ならもう暗くなり始めるであろう時間だというのに、まだ眩しいほどに明るい。夏の終わりが信じられないほどに。
「で、どんな無茶な話が飛んでくるのでしょうか?」
「なによその無茶な話って」
「いえ。ここに来ると大体巻き込まれる系の話をされるので」
燃えるような夕焼けに照らされたときのことや、見渡す限りの雨粒に囲まれた景色を思い返す。思い返せば、分岐点となる出来事はこの場で起きていたようにも思う。
「……後悔してたり、する?」
「考えたこともなかったですが、まあそれだけ充実していたということだと思います」
「微妙に質問に答えてない」
唇を尖らせる先輩に、少し苦笑して答える。
「後悔はしていませんよ。楽しいですし。こうして沙織部長と過ごす時間も」
「そ、そうかい。そりゃよかった。……ん? そういや誠君、今久しぶりに私のこと部長って呼んだね?」
先輩はニヤとしながらこちらを向いていた。
「そうですか? あー……公演が終わって気が抜けたのかもしれません」
「ふーん、やっぱりあの日から意識して部長と呼んでなかったわけかー」
鎌をかけられていたのかとは思ったが、分からないふりをして「あの日とは?」と尋ねる。
「言った方がいい?」
先輩の表情はニヤニヤここに極まれりといった具合。
「……夕立のあった日です」
「私が誠君に相合傘を断られた日かなー」
「それで、何の用なんですか」
強引に、話題を元に戻す。しかし、先輩は「もう一度部長と呼んでくれたら話すよ」などと言う。
「だから何の用ですか……あー、沙織部長」
「ありがとう。じゃ、はいこれ」
先輩はヒョイと何かを投げてくる。反射で受け取ってしまったそれは、この屋上の鍵だった。
「もう私のこと、部長って呼んじゃ駄目だからね」
「意味が分かりません」
説明を求めると、先輩は「本当は分かってるくせに」と呟いてから話始めた。
「私たちがもう引退なのは分かってるでしょ?」
「ハイ」
「当然私たちが引退したら、次は君たち二年生が部を引っ張ることになります」
「ハイ」
「そして次の部長は君に決まりました」
「ハイ?」
先輩は空々しくため息をつく。
「ウチの部は、代々引退する三年生が話し合って次の部長を任命する仕組みなの。今年は結構揉めたけど最終的に全員一致で誠君を次期部長に指名したい、という結論に達しました。鍵を受け取った以上異論は認めません。じゃあそういうことでー」
手をひらひらさせながら背を向けて、先輩はあっさり屋上から去って行くそうになる。慌ててそれを止める。
「いや、無理ですよ……! 俺なんか、沙織部長みたいにはなれません」
「なーに言ってんだか。私みたいになる必要なんかありません。むしろ私みたくなって欲しくないのよ。あと部長言うな」
そう言いながら振り返った先輩は、俺の顔を見て噴き出した。俺は意味が分からず目を瞬かせる。
「捨てられた子犬みたいな顔をしないでよ、笑っちゃうでしょが。あのね。誠君は知りっこないことなんだけど、実は去年一騒動あってさ。その後部長になった私は、確かに努めて偉そうに自信ありげに振る舞ってました。でも考えてもみて? 演技なんて、私たちのお爺ちゃんくらい歳のベテラン俳優・女優でさえ、インタビューで『この年になっても学ぶことがある』とか普通に言ったりしてるんだよ? それなのに私みたいな若造が偉そうにしたって、そもそも滑稽なだけなのよ」
先輩は自分の部長としての姿を、そう自虐的に語った。もちろん納得はいかない。
「それでも、先輩はとても立派で尊敬できる部長さんでした」
先輩は顔を赤くして「あ、ありがと」と返した。浮かんだ表情は、まるで笑い慣れていない少女のような、ぎこちない笑顔だった。見慣れぬ表情に戸惑っていると、先輩は頭を掻き毟り、こちらに詰め寄って来た。
「あーもう! とにかく、誠君は誠君なりに頑張ってくれればいいの!! 分かった!? これでもまだ部長無理とか言う!?」
「……わ、分かりました。なんとか、頑張ります」
「それでよし。じゃ、今度こそ私は戻るけど、誠君はその情けない顔を直してから戻るよーに!」
あまりの剣幕に圧されるように頷いてしまうと、今度こそ先輩は有無を言わせぬ速度で戻って行った。
何度か深呼吸をしたあとで、手の中の鍵を見下ろす。その銀色の金属片の歪んだ表面が、俺の顔をぼんやりと映す。僅かに手を傾けると、太陽の光をキラリと反射し何も映らなくなった。
空を見上げると、青い空を背景に白くモクモクとした雲が我関せずと浮いている。
しばらくそうした後で、入り口の扉をチラと見てみる。演出を任されることとなった日は、帰ろうとあの扉を開くと、今日と同じように俺より先にここから去った先輩に驚かされたんだっけな。そんなことを思い返す余裕は出てきた。
俺も戻ろうと思い、そっと扉を開くと……そこには誰もいなかった。そりゃそうか。この扉を閉じる鍵は、今は俺の手の中にある。
俺はその扉を、自らの手で厳重に固く閉ざした。
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