第35話 船頭多くして船山に上る?


「オーディションでの真意、ねぇ……」


 そう呟いて腕を組んだ沙織部長は、窓際の机へと腰かけた。南に面したその窓からは、夕焼けが視界の端に映り、朱から陰への移ろいを正面に臨むこととなる。


「漠然とし過ぎですか? なら、今演じて頂いている由香役よりも、あの日希望したほのか役の方が、本当は演じたかったのかを教えてください」

「……劇の完成度を上げるためには、私が由香を演じることが正解だろうとは感じてた。もちろん、ほのか役はアカネちゃんでね。そういった意味では、誠君を試したとも言えなくはないのかも?」

 部長は心ここにあらずといった様子で答えてゆく。


「あとは……そうね。アカネちゃんとの勝負は『今じゃない』って感じたのと、宮子ちゃんが予想以上にいい演技をしたからねぇ。宮子ちゃんの今後の為にも、私がほのかを演じたらどうなるか、違うほのか像を提示してみたってところかな」

「ちょっと待ってください。赤根との勝負は今じゃないってどういう意味ですか?」

 三年生はこの夏公演で引退のはずだが、今のはまるでのちに勝負する機会があるかのような言い方だ。けれど部長は「さあどうだろ?」と含み笑いをするばかり。


「とりあえず誠君がしないといけないのは、目の前の夏公に全力を尽くすことじゃないかなぁ?」

「――わかりました。その件についてはこれ以上は聞きません。ですが……その言葉、そっくりそのままお返しします」

 最後の言葉を、腹に力を込めて、沙織部長の目を見て、なんとか絞り出した。先輩は驚いた風もなく、ただ僅かに目を細めながらこちらを見据えている。


「どういう意味なのか、聞くべきなのかな?」

 遠回しに尋ねられ、俺は小さく唇をなめて口を開いた。


「今の部長は……いえ、沙織さんは、部長であることに囚われ過ぎていると思います。オーディションでの行動にせよ、そもそも俺を演出として立てたことにせよ、今後のことを考えすぎです。そうではなく、役者として目の前の劇に集中してください」

「それは、演出の立場からの指示ということ?」

「そうとって頂いて構いません」


 先輩は、ほんの僅かに頬を緩めると、窓の外を眺め始めた。窓の外では、山のように盛り上がった雲の側面が、消えゆく西日を留めている。


 しばらくの後、先輩はふいに口を開いた。


「ねえ誠君、今日傘持って来てる?」

「いえ、持ってませんけど?」

「残念。なら、夕立が来そうだから早く帰ったら?」

 あくまで先輩は外を眺めたまま。


「先輩は?」

「私はもう少し台本を読み込んでから帰るよ。一応折り畳み傘は持ってるから。もちろん、相合傘をするには小さすぎるけど」

 その言葉を聞いて「わかりました。速攻で帰ります」と即答してみせる。


「なんだよー、そんなに私と相合傘はいやかよぉ」

「そもそも誰とでも相合傘なんてしたくないですよ。どうせ濡れちゃいますし、まして借りる側なんてまっぴらです」

 ケケケと笑って「わかる」と言う先輩を残し、早々に帰路についた。ちょうど電車に揺らされているころ、確かに窓が白雨に覆われる。けれど夕立など短いものだ。家の最寄り駅に着くころには雨も上がり、世界は独特な匂いに包まれていた。


 なぜかその匂いから「嘘」という字を連想してしまう。あの大量の雨がそれを隠すからなのか、あるいは露わに洗い出すからなのか……。そんな益体もないことを思っていると、自然と視線が下がっていた。

 足元に広がる水たまりが、煌めき始めた街灯の光を反射していることに気づく。いたずら心が沸き立ち、靴が濡れることもいとわず水たまりの中を通り過ぎた。

 振り返ると、水面の揺らぎと共に光が躍っている。「綺麗だ」なんて感想を、街灯の明かりに対して抱いたのは初めてのことだった。



     *  *  *



 役者に集中しろだなんて沙織さんに言った手前、それ以外のことは可能な限り自分でこなさねばならないだろう。

 目下のところ、最大の問題は集客の話だった。

 そのため、現在は週に二日しかないオフの日も、こうして集まることになるのである。



 会議の場所は学校の図書室とした。理由としては閉まる時間が早いため、だらだらとした話し合いを避けようという意識が働くことを期待してのことだ。ファストフード店なんかに行ったら絶対ぐだる。

 この会議のメンバーは主に二年以下の裏方を中心としている。ア・フォー二年生組に加えて宮子ちゃんと羽里ちゃん……そしてなぜか和花先輩も居る。呼んでないのに……。三年の先輩なんて呼ぶわけないのに……。


「そんな冷たいこと言わないでよー。他の三年は役者で劇に出るけど、私は暇でねぇ。照明は羽里ちゃんに任せてるし。『引退公演は、のほほーんとしてたら終わってました』じゃ悲しいでしょ?」

「いやでも、和花先輩にはもうだいぶ手伝って貰ってますし……」

 小道具など、正直手が回っていなかったところの進捗を確認し、時に手伝ってくれていたのは他ならぬ和花先輩だった。


「ほんと面倒くさー。あのねぇ、二人の後輩がいるとします」

 そう言って先輩は、ピンと立てた左右の人差し指を、人に見立てて語り始めた。


「一人は、後輩の力だけで何とかしようと無理をする子。もう一人は、先輩だろうが何だろうが劇を成功させるために使えるものは何でも使う子。先輩にとって安心できる後輩はどっち?」

「……後者です。先輩、公演を成功させるためにお力を貸していただけないでしょうか?」

 和花先輩はあっさりと頷き「はい合格。それじゃあ、本題に入って」と言うのだった。



 現時点で試みていることと言えば、学校内はもちろんとして、公民館や図書館などの公共施設あとは赤根の実家の喫茶店に、草加部さん作のポスターを張ってもらうよう頼んだ程度である。赤根は最初、家にポスターを貼るのは嫌そうだったが、劇のためひいては先輩のためだと、無理を通してもらっていた。

 けれどこれだけで人が来てくれるだろうかと考えると、やはり不安が残る。横で宮子ちゃんが手を挙げた。


「あの、演劇って、観に行くハードルって高くないですかね……? そういう所に貼ったポスターって、劇を見慣れていない人が対象なわけですし」

「そうだよね。劇ってまず拘束時間も結構長いし。そうすると何かプラスアルファがあった方がいいのかな?」

「かといって、映画みたくポップコーンを片手に――って訳にもいかないもんなー」と芦原が俺の言葉の後を引き継いで言う。

「食べ物はともかく、飲み物くらいなら可能だったりしませんかね?」と羽里ちゃん。

「うーん、どうだろ……。目の前の劇に集中して欲しいってのは、表現側のわがまま、なのかなぁ……」

 皆で首を捻っていると、これまでろくに発言していなかった赤根が小さく呟いた。


「その、飲み物の件だけどさ……、あのポスターを見た父さんが、店の宣伝をさせてくれないかって言ってるんだけど……」

「えっと――詳しく教えてくれない?」

 最初は当日配るパンフレットに、喫茶店レッドルートのチラシを挟んでは貰えないだろうかという要望が、赤根の方にあったらしい。まあこれについては、こちらとしてもポスターを貼って頂いた恩もあるし問題はない。

 そして、チラシにドリンク券をつけようという話になり、最後には実際に劇の横で試し飲みができないかという話になったのだとか。


「そのときは『出来るわけないでしょ!』って言ったんだけど……。一応、そういう要望があったとは伝えとく」

 この話に最も食いついたのは羽里ちゃんだった。「あのコーヒー美味しかったなぁ」から始まり「やるならあのコーヒーの魅力を最大限に活かすため、お茶請けをつけましょう! クッキーとか!」と捲し立てている。


「羽里ちゃーん、そうやって暴走したらいけないよー」と和花先輩がたしなめ、そのまま続けた。


「とりあえず、私としては公演の真っ最中の飲食は反対はんたーい。隣の人に飲み物がかかったとかのトラブルが起きたら大変だし。やるとしても、公演後の客出し兼雑談みたいな時間しかないと思うよ」

 先輩が言う時間とは、後説まで公演が終わり、役者やスタッフが観客にいた知人などと話をしたりする時間のことだ。そこにもう一工夫ということか……。


「公演の後にお食事会をする、みたいな話ですか?」

「そこまで大げさなものじゃないだろうけど。あ、もし本当にそれをやるとして、お茶請けが欲しいんだったら私から家庭科部に依頼してもいいよ? 向こうの部長とは知り合いだし、たぶん乗ってくると思うから」

「是非! 是非に!」

「羽里ちゃんは少し落ち着こうか……」

 興奮する羽里ちゃんを抑えつつ、他のメンバーの顔色を窺う。大体は渋い顔や、困った表情を浮かべている。


「普通はさ、公演が終わった後に『今からお喋りタイムで~す!』なんて言われても困るんじゃね? 逆に客足を遠ざけかねないと思うよ、俺は」

 芦原が腕を組みながら口を開く。もっともな意見だ。

 その発言を最後に、皆が黙り込んでしまう。


「……ここで取らぬ狸の皮算用をしていてもしょうがないし、ひとまず教室での飲食が可能かどうか金井先生に聞いてみるよ」

 このままではこれ以上の進展はないだろう。俺はそう言って、この話し合いに一端の区切りをつけた。



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