第34話 初代男子部員の先輩


 合宿も終わり、夏公演に向けた稽古はいつもの講義室Bで行われている。

 稽古は半立ちと言われる台本片手に練習をしている段階だ。


「うーん、ほのかの反応はもうちょっと大仰に反応してもいいかな? はい。じゃあもう一回『友哉が幽霊になって皆に見えていないのをいいことにイタズラをしているシーン』を返します。行きまーす。三、二、一」

 零のタイミングで手を叩き、合図を出す。

 今の時点の練習で意識しているのは、とにかく練習の回数を重ねることだ。半ば台詞覚えだと割り切って、どんどんシーンを繰り返し繰り返し演じさせていく。


 この練習計画の方針は、演劇部OBの新谷にいがや先輩のアドバイスに基づくものである。

 合宿で配役も決まり、いよいよ公演に向けて本格的な練習が始まるというころ、俺はOBの新谷先輩に連絡をして、演出についてのアドバイスを貰っていた。



     *  *  *



 それは先輩の実家のお好み焼き屋ではなく、チェーン展開しているファミリーレストランでのこと。


「よう、相田君。久しぶり」

「……お久しぶりです」

「おう。新人公演の打ち上げ以来だな」

 手を挙げてくる先輩に対し、軽く会釈を返す。

 正直に言うと、この先輩は苦手だ。というのも、新人公演の直後に新庄さんに呼ばれて話していたことを指して「OBへの挨拶よりも女のケツ追っかけた、度胸のあるヤツ」という謎の評価を俺に下しているからだった。

 それでもこうして連絡をとり指導を仰ぐのは、ひとえによい劇を作りたいとの思いからだ。演劇は俺だけで作るものではない。俺の失敗や未熟は、部全体に降り注ぐ。



「で、演出の方法について教えて欲しいって話だったっけ?」

 新谷先輩は注文したステーキが運ばれてきたタイミングで尋ねてくる。


「はい。先輩は演出の経験も豊富だと伺っていますので」

「つーかなんで俺なんだ? 普通に上根に相談しろよ。仲悪いのか?」

「いえ、別にそんなことはないかと……少なくとも僕は沙織部長のこと尊敬してますし」

 先輩はバクバクと肉を食べて始めていて、聞いているのかいないのか。しばらくしてようやっと口を開く。


「尊敬してるって微妙な言い方じゃね? 間に『は』が隠れてそう。尊敬してますって」

「……なら言い換えますが、仲が悪いどころか僕は部長のこと好きですよ」

「それはラブの意味で?」

「演劇の先輩としてです」

 なぜすぐに恋愛に結びつけたがるのか。先輩は「ちぇ、ツマンネー。冷静に言いやがって」と呟いていた。


「でも……部長が何を考えているのか、僕らのことをどう思ってるのかは、よく分からないところもありますけど……。や、部のことを大切にしているのは伝わるのですが」

 自分で自分の発言にギョッとして、慌てて最後の一文を付け足した。ふと口から零れた言葉が真綿となって、喉を締め付けているかのような錯覚に囚われる。けれど先輩は、こともなげに口を開いていた。


「あー……確かにアイツ、腹の底を見せない節があるよなぁ。日常を舞台に持ち込むことに拘ってるけど、逆に日常が演技に侵食されてる的な?」

 少し、驚いた。「沙織部長のことよくご存じなんですね」と伝えたところ、新谷先輩は苦虫をかみ潰したような顔を浮かべる。


「たぶんアイツの三年間で先輩後輩引っくるめて、一番色々言い争ったのが俺だろうからなぁ。ま、所詮は凡人のやっかみさ」

「……もしかして先輩、沙織部長に対して演出の心得みたいなことで怒鳴りつけたことってありますか?」

「さあな。――さて、お前が先輩想いなことはわかったことですし? 真面目にアドバイスぐらいはしてやりますかね」


 そして先輩は「これはあくまで学生演劇レベルの話で、おまけに俺の体感に過ぎないからな」と前置きして話始めた。


「練習の中での具体的なアドバイスや指導については、実際の役者の演技やお前が抱くイメージの問題だから、俺からは何も言えねえよ。だから、時期毎の練習方針について教えてやる」

 そう言って先輩はルーズリーフを取り出すと、数直線を書いて練習期間を序盤・中盤・終盤に分けた。


「まず序盤はとにかく場面ごとの練習を繰り返せ。台本の暗記期間みたいなもんだ。プロの劇団なら稽古初日には台詞を暗記してくるもんかも知れねえけど、部活動でそれを求めるのは厳しいだろ。少なくとも俺にゃ無理」

 笑いながら話す先輩の主張としては、この時期に演技に細かい指導をつけたところで無駄なんだとか。というのも、役者が役を掴み始めるのは、台詞を暗記していつでも脳内でそのキャラクターを転がせるようになってからであり、そこで演技の質がガラリと変わる人も多いという。


「だから序盤にじっくりやっても意味ねえんだ。おまけにお前も初演出で、実際の役者の演技を見てイメージが変わったりすることもあるだろうからな。この時点では、役者の演技がお前のイメージと九十度以上ズレてなければ一旦保留でいい。さて次は、問題の中盤だ」

 先輩はここで飲み物を口に含んだので、俺もお茶を飲んで続きに備える。


「終盤に入ると演出側から大きく演技を変えることは出来ないからな。稽古の中盤が、演出にとって一番重要な時期と言っても過言じゃない。で、俺から言えるアドバイスは一つだけ――大いに争え、ってことだ。『違うな』と思ったことは全部言え。その反応も全部聞け。わかってないのに『はい、わかりました』で済ませようとする役者を許すな」

 その言葉は、俺をジッと見据えながら放たれた。なんとなくだけど、沙織部長もこの目に演出として役者として、育てられてきたのだろうなということを強く感じた。


「人間な、本気でつき合うと、ぶつかったり摩擦が生じたりすることもある。当然だ、感性が違うわけだからな。自己満足のための舞台なら、なあなあでやればいいよ。でもお前らが作りたい劇は、上根が残したい演劇部は、そうじゃないだろ? だからお前は、全力で体当たりして行け。役者は、あの部は、きっと応えてくれるさ」

 どこか懐かし気な表情を浮かべて先輩はそう言った。

 演出を引き受けたあの日、屋上で鍵をクルクルと回していた沙織部長を思い出す。のこす人と受け継ぐ人、バトンは巡って俺のとこまで来ているらしい。

 俺は強く「頑張ります」とだけ答えていた。ここで言葉を尽くしても意味がない、行動で、劇で応えなければ。新谷先輩も無言で頷いていた。



 そして最後に、終盤はスポーツで言うところの「自動化」に当たることや、アドリブはこの期間に一度は吐き出させた方が本番での事故は減るということを教わった。


「ま、今までのは一つの理想論だ。実際のところは『あー時間が足りない』とか『もっと練習したかった』とか思いながら幕は上がる。でもこれはたとえどんなに練習したってそう感じるからな。要は気楽にやれってこと」

 別れ際に新谷先輩は笑ってそう言う。

「今日は本当にありがとうございました」と頭を下げる俺に対し、「面白い劇で応えてくれればいいよ」となかなかにハードルの高い要求を残し、先輩は背を向けて去っていった。



     *  *  *



 講義室Bにはもう人気ひとけがなく、夜を渋っていた夏の太陽もいい加減に沈み始める時間帯。

 夏休みであることを利用して、練習は朝から夕方まで行われている。経過は順調で、ぼちぼち台本が外れる役者も出てきた。そろそろ、新谷先輩が言うところの中盤期間に入るだろう。通し稽古と呼ばれる、劇を途中で止めないで全体を通す練習も、もうすぐ行う予定。



「それで、聞きたいことって何かな?」


 その言葉を受けて、練習後に帰らずに残ってもらった沙織部長に向き直る。


「単刀直入に言いますと、オーディションでの真意を教えてください」


 演出として、まず最初に沙織部長にぶつかって行くことにした。

 あのオーディションの日、この先輩と赤根は予想に反する希望を出した。その意図の確認。このあたりから始めてみようと思うのだ。


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