第33話 喩えるのなら海のよう


 ――オーディションでの遺恨はきれいさっぱり水に流しましょう!


 そんな建前のもと、演劇部員は毎年、合宿最後のイベントとして海にくり出していくのだとか。


 太陽も真上を通りすぎ、いよいよ一日で一番暑い時間帯を迎える頃、俺は砂浜から少し離れた海の上を、身一つでプカプカ浮いていた。

 仰向いた体の背を包む海水は、七月中であるためだろうか、まだ冷たく感じられる。けれどその冷たさは、思い悩んだ頭に心地よかった。

 海水で身をそそいだところで、むしろベタついてしまうように、先程のオーディションでとった自分自身の選択が、今の俺には纏わりついていた。



 オーディションは予定よりも長引いたが、ひとまず配役に決着はついた。

 メインの男役二人は、昨夜の花火で殺陣をやっていた楓先輩と隆明先輩となった。楓先輩が主人公で、隆明先輩が言わばその敵役。ところで、楓先輩は自分で志望したにも関わらず「まーた、男役かよ」なんて言っていたけれど。


 ここまでは、何の波乱もなく決まったことだ。問題はヒロイン格の二役の方。


 ……俺は、赤根と沙織部長の希望は採用しなかった。要するに俺は、二人の希望とは真逆に、配役を決めたのだった。



「宮子ちゃんには、悪いことをしたかなぁ……」

 うじうじする俺を嘲笑っているかの如く澄んだ青を映す空に向かって、小さく呟く。


「え? どうしてですか?」

「いやだって……彼女の立場からしたら、自分の希望していた役を、その役をやりたかったわけでもない人に取られたことになるでしょ?」

「そんなこと気にしませんよ。見くびらないでください」

「別に見くびってなんか――え!?」

 ようやく、突然聞こえた声の主の存在へと意識が向いた。バランスを崩して溺れかける俺へと「大丈夫ですか!?」とさらに声がかかる。


「や、大丈夫大丈夫」

 なんとか体勢を整えて、立ち泳ぎを始めながら息を整える。

 目の前には、心配そうな表情を浮かべた宮子ちゃんの姿があった。


「なんで宮子ちゃんがここに居るの?」

「先輩がずいぶんと遠いところでプカプカしてらしたので『ちゃんと戻ってこれるのかな?』と心配になっちゃって」

 少し照れた様子でそう言われる。場合によっては俺のことを岸まで引っ張って行くつもりだったのだとか。確かに、彼女の立ち泳ぎ姿は、俺よりよほど様になっているように見えた。まるでシンクロナイズドスイミングの選手のように、地面に足がついているのではと見紛うほどだ。


「ありがと、でも大丈夫だよ。泳ぎは去年臨海学校に向けて相当鍛えられたから」

「臨海学校? ああ、転校前の学校で、ということですね。どんな感じだったんですか?」

 彼女は先ほどまでの俺のように、プカーと浮かび上がった。楽な体勢になったということだろう。立ち泳ぎに時には分からなかった水着が露わになる。その水着が少し気になったが、今はそういう話でもないし……。

 俺も同じように、力を抜いて浮かびながら答える。


「どんな感じ、と言われてもなぁ。平泳ぎだけを事前にみっちり練習して、本番は遠泳しただけだよ。こう、野郎どもで列になって、皆で校歌とか歌いながら泳いだ感じ?」

「校歌を歌うんですか?」

 どうしていう響き含まれていたので、理由を返す。


「あまり他の人の迷惑にならないように人の少ない海開き前に行くから、まだ結構水が冷たくてね。少しでも体を温めようと皆で歌うんだよ。他には誰もが知っているような童謡とかも歌ったかな」

「なんだか楽しそうですね。まあともかく、先輩が泳げないわけじゃないとはわかりましたが、こんな遠くにいられると皆さん心配するのでやめてください」

 と少し厳しい声で言われる。


「うん、ごめん。でも宮子ちゃんだってここまで来てるじゃん」

「私はちゃんと『元水泳部です』と伝えてから来ましたので。これでも結構頑張ってたんですよ? 髪の毛もちょっと茶色くなっちゃうぐらいに」

 毎日プールで泳いでいると、塩素のせいで髪が脱色し、少し傷んだ茶色になってしまうのだとか。

 そのときの宮子ちゃんを想像してみる。自然と「似合うな」という呟きが漏れていた。


「私、茶髪の方が似合いますかね……?」

「え? いや、そういうことじゃなくて。どう言えばいいんだろう……そういう努力の跡が似合いそうだなって思って」

 たくさんのメモが記された、彼女の台本を思い浮かべる。宮子ちゃんはきっと、ささいな――けれど積み上げることが大変な類いの努力を、自然にこなして行けるのだろう。だからこそ、努力が残す物が、その身によく似合うのだ。


 宮子ちゃんは「そ、そんな大層な人間じゃないですよ……!」と大きな声を出している。そのあまりの迫力に、思わず笑みが溢れてしまう。


「いやいや凄いって。というか、皆凄いよなぁ……とか最近よく思うんだよね」

 考えてみれば、演劇部の人たちは、本来俺が関わりを持つことなどなかっただろう程に、個性と才能に秀でた人たちばかりだ。もしも本当に、宮子ちゃんが自身を過小評価しているとしたら、それは変に周りと比べてしまっているからだろう。それは良くないよと、先輩風を吹かして言ってみる。


「……先輩、今の『凄い皆』の中に、ちゃんと先輩ご自身のことは含めてますか?」

 少しの沈黙ののち、僅かばかり冷たい声質で問いかけられた。それには笑って返す。


「まさか。男子部員ってことで稀少かも知れないけど、それだけ。凄くはないよ」

 そう答えたら、今度は先ほどよりも長い沈黙が訪れた。どこかから海鳥の鳴き声が聞こえてくる。その声はどこか猫のそれに近い。

 この沈黙に耐えきれなくて「そろそろ戻ろうか」と話しかけるが、返って来たのは「怒りますよ?」という言葉だった。


「初めて会ったときから、私、言ってたじゃないですか。誠先輩のことを、凄いと思いますって。今の先輩自身を貶める発言は、先輩のことを凄いと思う私のことも踏みにじったも同然です。反省してください」

 初めて会ったときというと、新入生歓迎公演を観に行ったときか。確かに、そんなことも言われたかもしれない。


「先輩、返事は?」

「あ、はい。ごめんなさい」

「わかりました。さっきの言葉は聞かなかったことに――水に流して差し上げます。でもまた同じようなことを言ったら、先輩自身を水に流しますからね」

 海で波に揺らされているときに言われると、妙に説得力がある発言だ。


「じゃ、戻りましょう。先輩、女子が着替え終わる前にふらふらーっと海に入って行ったらしいじゃないですか。せっかくの海なのに、女の子の水着を見ないのは損ですよ?」

 そう言って彼女は、俺を先導するように泳ぎ始めた。明らかに俺よりも水をかく回数が少ないのに、簡単にスーイスーイと進んでいく。

 ……その姿を見ながら、先ほどから気になっていたことを聞いてみた。


「ところでさ、宮子ちゃんの水着……なんでスク水なの?」

 規則正しかった彼女の水泳フォームが大きく乱れる。


「え、や、あの、そのっ……! き、奇をてらったら、えっと、迷走してしまったというか……。わ、忘れてくださいっ!」

 よほど恥ずかしかったのか、彼女はそう言うとザブンと海の中に潜って行ってしまった。潜水だ。大丈夫だろうかと心配になっていると、俺などよりもだいぶ早く岸に上がっている彼女の姿が遠くに映った。なるほど、水泳部だったのは本当であるらしい。



     *  *  *



 この海岸はなかなかの穴場であるらしく、いささか狭く砂浜に多少の石が混じっていることに目を瞑れば、人も少ないよい場所だ。

 そのため海から出た俺の姿がすぐに見つかったのだろう。サッと駆けつけてきた誰かに、大きめのバスタオルを投げつけられる。


「自分じゃ気づいてないのかもだけど、かなり唇が青くなってるから!」

 顔面を覆ったバスタオルを取り除くと、そこには赤根の姿があった。水着は淡い水色のパンツタイプで、その上に薄手の白いパーカーのようなものを羽織っている。ただそれ以上に、不機嫌そうな顔が印象に残る。


「……なに?」

「いや、ムスッとした顔はせっかくの水着に似合わないぞと思っただけ」

「誰のせいで……!」

「そうだぞー、誠君。アカネちゃんは君のこと、かなーり心配してたんだから」

 後ろから声をかけてきたのは沙織部長。水着は黒を基調とした大人っぽいデザインだった。ちょうど海から出てきたところなのだろう、髪から水を滴らせている。


「アレレ~? アカネちゃん、さっきまでそのラッシュガード、上まできっちりチャックを閉めてなかったっけ?」

「ちょっと暑いかなと思っただけです!」

「へぇ~、そうなんだ~。てっきり誠君に見せるつもりで――」

「違います!」

 かなり食い気味での否定である。なんだかとても居づらいので、小声で「タオルサンキューな」と呟いて、撤退しようとしたのだが……。


「ちょちょちょい誠君。女子の水着を見たんだから、感想ぐらいは言って貰わないとねー」

 あっさり沙織部長に捕まってしまった。


「……二人とも、似合ってますよ?」

「ブブー」

 なんとか絞り出した感想に、速攻で不正解音を返される。正解も不正解もないでしょうよ……。


「いやいや誠君。君は演出を務める人間だよ? なら『似合ってる』ってだけじゃなくて、何がどう似合ってるのか、あるいはさらに改善するにはどうしたらよいのか、その辺をきっちりと答えてもらわなくちゃ。ね、アカネちゃん?」

「そうですね……私は誠くんがこの水着をどう思うのかなんて全く気になりませんが演出家を育てるという意味で協力するというのなら仕方がないので手伝ってあげようと思います」

「よし、全会一致で決まりだね!」

「あのそれ、俺の意見が含まれてな――」

「ほらほら日が暮れるぞ、さっさと褒めれ?」


 こうして、俺は長々と水着についてひたすら褒めちぎる羽目になり(少しでも駄目出しのようなことを口にすると鋭く睨まれるため、結局褒めるオンリーだった)、いつの間にやら他の演劇部員も集まって、俺の好評に対する駄目だし会のようなものとなってしまった。


 やっと解放されたころには、配役においての悩みはすっかり過去のものとなっていた。……皆に感謝しなければならないだろうな。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る