第30話 夏だ! 海だ! 合宿だ!
「誠君は、靴下の履き方も脱ぎ方も下手くそだねぇ……」
俺を見下しながらそう言ったのは明日香副部長。
遂に迎えた演劇部の合宿当日、俺は生まれて初めて靴下の着脱を貶されていた……!
* * *
期末テストもようやく終わり、一部の部員は赤点の補習も乗り越えて(芦原を草加部さんに任せるんじゃなかったかなぁ……)俺たちはお待ちかねの夏休みを迎えていた。
そしてさっそく、合宿の地――海から徒歩五分ほどの民宿へと乗り込んで来たのだった。
水着を持ってこいなんて言われていた合宿だが、始まったのは案外普通にちゃんとした練習で、普段の倍以上にストレッチや筋トレ、発声練習までをみっちりと行った。
なお、練習は宿のホール部屋で行われている。床は一面フローリング張りで、隅の方にグランドピアノも置かれている。吹奏楽部などの合宿で使用されることが多いらしく、存分に声を出しても良いとのこと。
あと普段と違う点といえば、これまでほとんど演劇部の活動に関わってこなかった顧問の先生が部屋の隅で倒れているというところか。流石に、外部施設での外泊となる合宿には顧問もついてこなければならなかったようだ。
「
「昔はサッカー部だったから行けると思ったんだよ……。いやー、年はとりたくねえなぁ」
楓先輩に馬鹿にされ、ぼんやりと先生は声を上げる。
年をとりたくないなどと言う先生だがまだ二十代の若い男の先生で、演劇部の他にも生徒会の顧問を任され――もとい押し付けられているらしい。
下っ端は大変なんだとは先生の弁。おまけに、元女子高であるため男性教員の数も少なく、逆男女差別を受けていると言い出した。なにやらさらに加えて文化祭の先生側の窓口もやる羽目になったのだとか。
とまあこんな具合に、普段とは場所も人も違う環境で演劇部の合宿は幕を上げたのだった。
* * *
午前のキッチリとした基礎練習を終え、昼の休憩を挟んだ後で、その練習が始まった。
「はい集合! それじゃあ、合宿恒例の三年生によるワークショップを始めるよー!」
沙織部長が全体に集合をかけてそう言った。首を傾げる一年生と俺に対して説明を加えてゆく。
一人当たり一時間ほどで、三年生一人一人がオリジナルのワークショップを開くことが、合宿恒例の練習であるらしい。
「ま、実際にやってみるのが早いということで――トップバッター明日香、よろしく!」
「はいはいっと。それじゃ五人で五時間だからね。さっさと始めるとしましょ! 私が行うのは『日常生活の見つめ直し』よ!」
どういうことかと首を捻る下級生たちを、明日香副部長は満足気に見渡すと「まずは誠君、普段の朝起きてからの行動を皆の前で再現してみて、エアーで!」と指示を飛ばされる。
「朝の行動……ですか?」
「そうそう。起きて――顔洗って――着替えて――ってするでしょ。それを舞台上にいるつもりで、再現の演技をしてみてということ」
そう言われ、いつもどのように過ごしているかを思い出しながら、その様子を演技してみたのだが、出来は散々だった。
そうは言っても、俺の後に同じことを行った部員たちのそれも、俺と大差はない。
日常で無意識に行う動作を、意識して舞台上で再現することは演劇の大切な技術の一つだ。今までなんなくやっていたことだが、このワークショップで意識的に再現することの難しさを知った。
例えば、試しに靴下を脱ぐ演技をしてみて欲しい。――恐らく、足先をじっと見ながら脱いだ人が多いのではないだろうか? では次に実際に脱いでみると、ほとんど足先を見ていないことに気づくだろう。
このように、日常の動作を舞台上で違和感なくこなす為には、日頃から自分の動作の観察が必要だ。
例えば今回の課題なら、朝の準備は(よほど早起きな人は別として)慌ただしくながらの行動が多いと自覚するだけで、演技はかなり変わる。
こんな風に、先輩一人一人がなにかしらのテーマを持った練習を行うのが、今回の趣旨であるのだとか。
そうして、一時間毎に音頭を取る先輩を交代しながら、練習は続いていった。どの先輩の練習も普段とは違った内容で新しく、そして面白く感じ、どんどん時間が過ぎていく。
女子でありながら男役を演じることの多い楓先輩は「男らしく演じるために」というテーマで、男性役を演じる際の立ち方から歩き方、声の出し方で気をつけることなどを教えてくれた。
男である自分でも参考になったと伝えると「誠は男のくせに女々しすぎ。ま、そこがお前のいいところでもあるんだけどな」と笑い飛ばされる。
裏方メインの和花先輩は「音響効果が与える演技への影響について」のワークショップ。同じ台本、同じシーンを演じながらも、そのとき流れる音楽が違えば、自然と役者もその曲に釣られた演技をしてしまうことを、俺たちに実際に演技をさせながら知らしめた。(芦原なんかは「俺が来年するつもりのネタが潰された……」と嘆いていたけれど)
隆明先輩のワークショップは一風変わった内容で、台本ではなく漫画を片手にしての劇の稽古だった。演劇はあくまで物語を表現する手法の一つに過ぎないことを明らかにし、その特性を学ぼうという意図なのだとか。
漫画のコマとコマの間における省略を劇として埋めることが予想以上に大変であると分かったし、漫画では簡単に表現される「心の声」を演劇では行動で示さねばならないことが難しいことなど、思いの外気づかされることが多かった。
「さーてラストは私の番だね!」
四人の先輩による練習が終わったあと、沙織部長の番がやってきた。
先輩が配り始めたのは、適当に持ってきたという一人芝居用の台本。この台本を用いて、二人で劇を完成させろと言う。
そのペアの相手は先輩の方で次々と指名されてゆき、俺は宮子ちゃんとのペアになった。
「一人用の台本を、二人で演じるんですか?」と一年生男子の雅彦君とペアを組むこととなった赤根が沙織部長に問いかける。その顔は「どうやって?」とでも言いたげだ。
「今、皆は二人組のペアになっているでしょ? その二人を『台詞だけ読む人』と『身振り手振りのアクトだけを行う人』で分けて、二十分間の練習で劇を作って貰います。そして発表までをワンセットとして、今度は役割を交代してもうワンセット」
そして先輩はストップウォッチを取り出すと「習うより慣れろ。時間もないから早速始めるよー! 五、四、スタート!」と練習を開始させた。
* * *
「沙織さんの練習は、まさに私たちの為のものでしたね」
「うん。ただこれを先輩方を含めた複数人に行うと考えたら、気が滅入るよね……。どう? 今からでも演出を代わらない?」
「いえいえ、私は補佐で精一杯ですよ」
練習後、宿の休憩所。自販機の音が低く響くなか、俺は宮子ちゃんと先程の練習の振り返りを行っていた。
あの練習は、まさに演出の勉強のためのものであったと気づいたからだ。
沙織部長の課した練習では、台詞を言う人も動作を行う人も、それぞれが役へのイメージを持ちながら演じることとなる。そして必然、二人で一人を演じる今回の練習では、そのイメージの衝突が生じる。
それをすり合わせる行為は、ちょうど演出の仕事とよく似ているように感じたのだ。
「それにしても、宮子ちゃんは色々なことによく気づいているね」
振り返りの材料としている、宮子ちゃんが先ほどの練習で使っていた台本をめくる。彼女は以前から練習中によくメモをとっていて、この練習についても参考になる記述が多い。
「下らないメモも多いですし、字も走り書きで汚いので、あまり見ないで欲しいんですけど……」
「いやいや、綺麗だよ? 凄く読みやすいし」
短く、息が詰まったような音がした。台本から視線を上げると、そこには僅かに顔を赤らめた宮子ちゃんの顔。そんなに読まれたくないのだろうか。
「ごめん、確かにジロジロ読みすぎたね」
「え……? いえいえ! そういうつもりじゃなくてですね!? えとその――」
「宮子ちゃんいたーー!! なになに、練習の復習? 偉い偉い。私たちも一生懸命やった甲斐があったよ。でもごめん、宮子ちゃん借りるから!」
突然現れた沙織部長。この長台詞を一息で言い切ると、困惑する宮子ちゃんの手を引いて、すたこらさっさと去って行った。その様子はさながら暴走機関車のよう。
その背に向けて「何かあったんですかー!?」と大声で問いかける。
「ただ夕食のバーベキューの準備をするだけだよー!」
「俺も行った方がいいですかー?」
「絶対来んなー!!」
そして先輩たちは角を曲がり、俺の目からは見えなくなった。
「なぜ? バーベキューの準備なんて普通は男手が必要だと思うのですが……?」
と誰にも届かない呟きをする俺を馬鹿にするように、自動販売機が低く鳴っていた。
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