第31話 焼肉奉行は誰がため


 暮れゆく空の下、唄うような海のさざめきが辺りに響く……が、それをかき消すように、ジュージューと肉の焼ける音が空間を埋めている。それがとても、腹にくる。


「おらおら男子どもー、早く肉持ってこーい!」

「はいはい、ただいまー!」

 肉を催促してくる楓先輩に短く答え、もう十分に焼けたと思しい肉を紙皿にのせていく。


「誠君、ちなみに楓はピーマンが苦手だ」

 と額に汗を流しながら肉をひっくり返していた隆明先輩に指摘され、しっかりとピーマンを三切れほど紙皿に足していく。


「誠君、グッジョブ!」

「あざます。おーい芦原、次はこれ楓先輩の所に運んで!」

 ちょうど、双子の元へと肉を届け終えた芦原にその皿を手渡す。


「えー、少しは休ませてくれよ」

「じゃあ役割を交換するか? ここ火のせいでクソ暑いけど」

「行ってきまーす」

 と芦原は即答し、楓先輩の元へ向かうと「ピーマンいらねえ!」と理不尽に怒られている声が聞こえた。


「明日香先輩からのオーダーは『なんでもいいから山盛りで』とのことです」とこちらも肉を誰かに届けたあとの雅彦君に告げられる。

 それを聞いた隆明先輩は、もうこれでもかと、肉やら野菜やら炭化物体やらを皿に積んでいた。


 このように焼肉奉行に身を捧げた演劇部男子を尻目に見ながら、顧問の金井先生は「やっぱ女子はこえーなー」と言いつつ箸で肉を拾い上げ、自らの口に運ぶのだった。


「先生も手伝ってくださいよ!」

「やーだよ。ビールを我慢してるだけでも感謝しろ」



     *  *  *



 すっかり日も暮れ、正直あまり食った気のしない夕食のバーベキューが終わる。俺と芦原はクタクタになりながらコンクリートの上に座り込んでいた。すると、首筋に何か冷たいものが当てられる。


「二人ともおつかれ。それに、ありがと。ジュースとお茶とスポドリ、どれがいい?」

 振り返りつつ見上げると、そこには手に飲み物のペットボトルをぶら下げた赤根の姿があった。

 少しドキリとしてしまうのは、その姿が普段のものとは違うから。


 彼女は、浴衣を身にまとっていたのだ。


 その浴衣は深く艶やかな臙脂色を基調としていて、そこに白い梅の花模様が散りばめられている。

 芦原はジュースを選び、俺はスポドリを受け取った。


「サンキュ。あとその浴衣、良く似合ってるよ」

「なぁにそれ、バーベキューを男子に任せた嫌味?」

「なんでだよ。それに赤根はだいぶ手伝ってくれてただろ?」

「油が飛んで来ない場所で、少し野菜を切ってただけだよ」

「それでもスゲー助かったって」



 バーベキューが始まるはずの時間、男子部員はその場所に集合していたにも関わらず、女子部員は一人も来ていなかった。その前に、沙織部長がバーベキューの準備と言って宮子ちゃんを連れ去っていったのに、だ。準備なんかこれっぽっちもされた気配はない。

 男どもで「嫌な予感がする」などと言い合っていると、ようやく女子たちがやって来た。目を瞠ったのは、全員が浴衣姿であるという点。


「僕、ここで死んでも本望です……」

「寝るな! ここで寝たら死ぬぞ!」

 雅彦君と隆明先輩はそれを目撃し、小芝居を繰り広げていた。雅彦君の振りに、先輩が少しズレた返しをしているあたりに動揺の具合が窺える。


「その恰好でバーベキューするんですか? 汚れますよ、その服」

 色取り取りの女子たちの服装を見て、最初に冷静な発言をしたのは芦原だった。

 それに対し「アー、ホントウダー」と白々しい返事をする女子たち。嫌な予感が急速にぶり返す。そして彼女たちが、男子たちに向かって「じゃあ肉を焼くのは男子にお任せします~!」と甲高い声で告げるのだった。

 このような経緯で、野郎どもが焼肉奉行に身を捧げる構図が出来上がったというわけである。



 そんなことを思い返しながらも「まあでも、楽しかったよ」と俺が呟くと「なに? 気を遣ってるの?」と赤根は笑い、芦原は「お前、マゾかよ……」とゾッとした声を上げる。


「んなわけねーだろ!」

「いや……思えば劇部で結構振り回されてるのに、お前案外ケロっとしてるよな」

「ケロケロケロリン」

「ちゃんと疲れてるって! ぶっ倒れたこともあるし! あと今の『ケロケロ』は何!?」

 最後の言葉は赤根に向けた問いかけだったのだが、赤根はブンブンと首を横に振る。


「わ、私じゃないよ!?」

「じゃあ誰だよ?」

「ジャジャーン、アイリでしたー! 私だけ仲間外れにしないでよー。同じ二年生組ア・フォーでしょ!?」

 背後から、いつの間にそこに居たのか、草加部さんが現れた。そのまま赤根にのしかかり、二人そろってバランスを崩していく。そんな二人を、俺は横から支えた。


「ご、ごめん……」

「浴衣が汚れないように、って俺らが肉焼いてたんだから、こんなところでコケて汚そうとすんなよ……」

 赤根は顔を背けて「ありがと」と呟いた。とはいえ、後ろから赤根を俺に押し付けようとしている草加部さんには反省が全く見られない。


 頭に血が上りかけたそのとき「おーい、そこのアホ四人! 花火すっからこっちこーい!」と楓先輩に呼ばれて、ようやく草加部さんは「センパーイ、アホ四人じゃないです! ア・フォーです!」と意味不明な主張しながら退いていった。いつの間にやら芦原の手を引きずっている。

 解放された赤根は慌てて飛びのいて「ワーイ花火ダー」と言いながら二人を追って駆けて行く。

 俺は一つ息を吐き、淡い光を放ちつつある月を見上げた。辺りはすっかり暗くなっており、きっと花火の光も映えるだろう。



     *  *  *



 ドラゴン花火が盛大に火を噴きあげて、そのバカ騒ぎが始まった。


 皆が思い思いに手持ち花火を振っていると「花火の舞!」と言った楓先輩が、花火を片手にやたらと本格的な舞を踊り出した。口笛で音楽までつけている。

 演劇部員がそれを黙って観ているはずもなく、その花火が切れたタイミングで花火二刀流の隆明先輩が乱入し、殺陣たて――もといチャンバラごっこが始まった。

 隆明先輩が花火ブレード(先輩自身が命名)で切りかかる。楓先輩はそれをヒラリと躱すと、二本あった花火の一方を奪い取り、舞うように切り返した。

 花火を一本失い、残された花火を両手持ちに切り替えた隆明先輩は、連続で襲い来る攻撃を耐えしのいだ。そして一瞬の隙を見て鍔迫り合いに持ち込むと、体格差を利用して楓先輩を吹き飛ばす。追撃せんと隆明先輩が駆け出したとき――二人の花火が尽きるのだった。

 すると二人は、まるで何事もなかったかのように普通に花火を楽しみだした。


「アレ、明日に向けた布石なんだって分かった?」

 いつの間にか、俺の横に来ていた沙織部長がそう言った。


「布石……ですか?」

「そう。明日のオーディションに向けた、ね。今回の劇には刀を使った殺陣のシーンがあるでしょ? アレは、いわば一年生たちに対する牽制。『お前らにこのアクションができるか!?』みたいな」

「殺陣って難しいですもんね……」

 新人公演で行った殺陣のシーンを思い浮かべる。あのときの俺の仕事は、一方的にやられるだけだったが、それでも何度も「足運びにテニスの癖が出て不自然」と怒られたのだった。


「ところがどっこい、今年の一年生には恵ちゃんと凛ちゃんがいるからね。二人とも空手をやっていただけあって、素手の殺陣なら三年生より上手いぐらいだし、剣殺陣もそつなくこなしちゃうんじゃないかなあ? 肝心の演技の方に不安はあるけど、配役を決めるのは誠君だから」

 と最後にプレッシャーのかかるようなことを言うと、部長は花火を貰いに去って行った。そして、火のついた花火を口にくわえると、「トリプルアクセル!」などと言いながら明らかに回転数の足りないジャンプをしていたりした。


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