第28話 笑う門では鬼逃げる
店の一番奥に押し込まれた俺たち一行は、店内を笑顔で駆け回る赤根のことを眺めていた。店は予想以上に繁盛していて、常連さんらしいお爺さんやお婆さんの集団から、子供を連れた家族の姿まである。体感としては、喫茶店とファミレスが融合したような感じ。
「さっきのお話の、店長の娘さんってアカネ先輩のことだったんですね」
「エプロン姿、かわいいですー」
「……馬子にも衣装だな」
「アカネちゃん、ときには厨房に入ることもあるらしいよ?」
皆が思い思いの感想を話している。
そんな流れに乗って、俺もつい「料理が上手かったのはこういうことだったのか」と漏らしてしまった。
「――え!?」
同じテーブル席に座った、四人分八個の目が一斉に俺を見る。
しまったと思ったときには、前の席に座る羽里ちゃんに「どーゆうことですか、どぉゆうぅことですかぁぁ!」と詰め寄られていた。
「いや、ほら、調理実習とか――」
「お前が転校してきてからまだ調理実習なんかやってねーだろ」
すかさず芦原に突っ込みを入れられる。その通りなのでぐうの音も出ない。
……ここは変に誤魔化さずに告げた方がいいだろうと思い「体育祭で倒れた翌日になんか見舞いに来てくれた。ただそれだけ」と素直に告げたのだが、
「じゃあ何で、最初に調理実習なんて嘘をついたんですか?」
と宮子ちゃんは微笑みながら言い放つ。どうやら素直になるタイミングが遅かったらしい。「あーそれは……」と戸惑っていると、
「あの日、誠くんは倒れてしまったことを情けなく思ってらしたようなので、そのせいではないでしょうか? はい、お飲み物をお持ちしました」
テーブルの上に先ほど注文した飲み物を、ややほんの少ーし乱暴に置いていく赤根が割って入った。助かったような、そうでもないような。
「あれ、アカネちゃん怒ってる……?」と沙織部長。
「まさか、とんでもないことでございます」と赤根ウェイトレス。
次いで赤根は、僅かばかり首を傾け微笑むと「ごゆっくり召し上がってください」と告げ、一礼をして去って行った。
沙織部長は少し強張った表情で唇をなめ「雑談はこれくらいにして、本題に入ろうか」と口にした。
皆が同意したのは言うまでもない。
* * *
俺が作った資料を見ながら「へぇ」という声を上げる沙織部長。
俺は、先日の各キャラクターごとの変化を表計算ソフトで一覧としてまとめたものを作っていた。
「こういう分析の仕方もあるのねぇ。いいね。特にこの、あくまで変化のみを切り取ってるのがいいと思う」
「どういうことですか?」
「これって、その変化を産み出す行動、その元となる感情についてはそのキャラを演じる役者に任せるってことでしょ?」
「はい。たぶん実際の練習で話し合いながらのすり合わせになるとは思いますが」
沙織部長は、アイスコーヒーにミルクを加えながら「オッケーオッケー」と言って続ける。
「演出さんの中には、時々だけど、最初から『この登場人物はこのシーンでは○○の感情を持っている』とか決めつけちゃう人もいるのよ。ただ私はさ、いい演技の為には役者が元々持ってる……素養って言えばいいのかな? それを広げていく方がいい演技、いい劇になると思うんだよね」
つまるところ、演出の方で最初から感情を決めつけない方がいいということだろう。極端な例かもしれないが、泣くという行為一つとっても、感動で泣くことも、悔しさで泣くことも、あるいは笑い過ぎて泣くこともあるといったところか。
「ま、ガチで凄い役者さんなら、どんな感情を指定されても自然にその感情を引き出して、演技に結びつけるんだろうけどさ。私ら程度だと、そこまでは無理だからねー」
とケラケラ笑う先輩に対し、宮子ちゃんが「先輩でも無理なんですか?」と問いかける。
「そりゃあね? 感情を指定されるだけでもキツイのに『コーヒーに入れたミルクが渦巻くような感じで!』なんて言われたときは『どんなじゃ!?』って感じだったよ。誠君も抽象的に過ぎる指示だしは控えるよーに」
先ほどミルクを入れたアイスコーヒーをクルクルかき回す先輩。カラコロと鳴る氷によって、ミルクの溶け方が面白い。
「それじゃあ次は、宮子ちゃんの読み込みの結果を聞こうかな?」
「えっと、あの……誠先輩の補佐をしろと言われても、イマイチよく分からなかったんですが……」
と宮子ちゃんが申し訳なさそうに言う。すかさず「あ、ごめん。それについては完全に私が悪いわ」と沙織部長が返した。
「たぶん演出補佐とかで調べてもよく分からないよね。というかいわゆる演出補佐とか演出助手とはやって欲しいことが違うし。んー……とりあえず、実際に稽古が始まるまでは自分が演出のつもりでどうやって、劇をまとめるか考えといてくれないかな?」
どうにも話を聞いていると、俺の演出がボロボロだったら、宮子ちゃんに取って代わらせるくらいの考えらしい。
困ったように笑った宮子ちゃんは「一応、私なりの分析です」と一枚の手書きのグラフを取り出してきた。見る限り、折れ線グラフのようなのだが……何を表しているか分からない。
「横軸と縦軸が何を表しているのかは明記してくれないと……」
「あ、ごめんなさい!」
そういって書き足されたのは、横軸に「時間」、縦軸に「シリアス/コメディ度」という文字。横軸はグラフの縦軸中央から引かれており、グラフ上部がシリアス、下部がコメディを意味しているらしい。
「私がこの台本を読んでいて感じたのは、シリアスな場面とコミカルな場面のメリハリがきいているなということでした。これはたぶん、観客の方が観やすいように、観ていて疲れないようにという配慮だと思うのですけど……」
説明をしていく宮子ちゃん。たぶん俺がエンターテインメント的だと感じたのと同じようなことだろう。あとは幽霊なんてものが出てくる分、コメディ要素を強めにしないとその受け入れが難しいということもあるのかも? 一般にコメディ的な作品ほど、非現実的な設定も受け入れられやすい傾向にあると言うし。
「それでですね、演出をしていく上で、どのシーンに大切に力を入れるべきか――大切じゃないシーンなんてないとは思うんですけど――わかりやすくしたいと思って、物語上の重要度をグラフにまとめてみました……!」
改めてグラフを見てみる。
確かに、図にしてみると分かりやすい。序盤から中盤にかけてはシリアスなシーンの合間合間に、箸休めのように笑いを取りにいくシーンや穏やかなシーンが挟まれている。一転して終盤に関しては、
「ようは一本調子にならないように、シーン毎の役割を明確にしようってことだよね。うん、宮子ちゃんもいい視点だよ!」と沙織部長がまとめ、皆でシーン毎の意見や感想を言い合うこととなった。
そうしてテーブルの中央に置いたグラフをのぞき込みながら、やいのやいのと話していると、上から「あの……」と消え入りそうな声が降って来た。
見上げると、そこにいたのは顔を真っ赤に染めた赤根の姿。そういえば、新歓公演のときも脚本を書いたのが自分だと知られたとき顔を赤くしてうずくまっていたっけ。
芦原は「赤根だけに真っ赤っか」なんて茶化していたが、文句を言う気力もない模様。普段なら「バカシ、ウルサイ!」くらいは言うのだけれども。
「お願いですから……台本の話は、ここでしないで下さい……」
あのときは隠していた今にも泣きそうな顔を露わにしながら、彼女はそう懇願するのだった。
* * *
その後は台本の分析などの話から離れ、音響や照明の話を多少した。
音響については、芦原が十分に経験を積んでいることもあり「現代ファンタジーに合いそうな曲を集めときますわー」という一言で終わったが、照明については灯体の種類や個数など具体的な話となった。とはいえ、前もって羽里ちゃんは和花先輩とよく話し込んでいたらしく、そこまで大きな問題はなかった。
ただその中で一つ、印象に残った話がある。演出にも関わる話だ。
「あと気を付けて欲しいのは、場面転換についてね」
「場面転換、ですか?」
「うん。要するに、この台本はわりと場面転換が多いんだけど、可能な限り暗転――舞台を真っ暗にしての場転は控えてってこと。舞台が真っ暗になることが多いと、お客さんの気持ちが切れやすいから」
なるほど。たしかにせっかく演技でお客を引き込めていたとしても、そこで集中が切れてしまうのはもったいない。
「ま、これについては照明だけの問題じゃなくて演出や音響とも関係があることだからよく話し合っていきましょ。極端な手法だと、客席の方で演技をさせてその間に舞台では場転するみたいな手法もあるし」とのこと。
そして最後に「まだ仮だけどテスト後の練習日程ね」と今後の予定表を渡された。目を引いたのは「合宿」という文字。
「合宿、ですか?」
「そうそう。これは例年通りなんだけど夏休みの序盤に一泊二日の……夜間バスで行くから二泊二日かな? まあとにかく合宿をするから、親御さんへの了解はとっておいてね」
「バスってことは、学校の合宿所じゃないんですね?」
「一応ダメ元で申請はしたけど駄目だったよ。基本は運動部優先だからさ……。でもでも、海の近くの民宿に泊まる予定だから、水着の準備もしとくよーに! 楽しい地獄の演劇合宿だ!」
そう言って沙織部長はパチリとウインクを飛ばすのだった。
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