【幕間】花火の音は、光が届かぬ場所までも


 時は少し遡る。

 客席の最後方には、今回舞台に立たない三年生達が陣取っていた。そこに前説を終えた上根沙織が戻って行く。

 彼女の視線の先には、一人舞台に立つ花咲宮子の姿があった。それを見て、上根は小さく笑みを浮かべる。

 舞台上でなされている花火の表現は、役者と音響と照明の三人が息を一つにする必要があり、今回の演出の中でも彼女が最も力を入れたものの一つであった。それが上手く行っていたのだ。


 しかし舞台が進むと、上根の顔が曇るときが訪れた。それは赤根絵美が現れたときのこと。

 上根にとって何より腹立たしかったのは、赤根の演技が始まった際、周りに座る三年生がホッとした空気を漏らしたことだった。

 一見すると、赤根の演技が練習のときよりも観られるものとなっていたからだった。


 けれどそれは、表面的な技術で補ったに過ぎないものであった。例えば怒った演技をするとき、役者が怒りの感情を全く覚えることが出来ずとも、筋肉に力を入れて、大きな声を出し、僅かに語尾を震わせてやればあたかも怒っているかのような演技はできる。しかしそれは、上根の求める演技ではない。


(誠君、あんだけ大口を叩いたんだから、なんとかしてみせなさい……!)

 半ば祈るような気持ちで上根が舞台を観ていたとき、その台詞が訪れた。


「別に、花火大会ぐらい行ってもいいけどさ……」

 この台詞を相田誠は、口を少し尖らせながら、照れたような口調で言った。今までの練習では、ほとほと迷惑そうな口調でしか言っていなかった台詞を、だ。

 呆気にとられた上根だったが、当然彼女に構わず劇は進む。一瞬の後に、舞台は闇に包まれた。暗転である。

 そしてすぐに、花火大会のシーンが始まった。



     *  *  *



 花咲が演じる千佳は、女二人男二人の計四人で花火大会を訪れていた。もう一人の女子は金子羽里が演じていて、男役の二人は見るからにチャラい大学生といった風貌。この二人は雨海恵と雨海凛の二人が演じている。演劇――とくに高校演劇では女子生徒が男役を演じることは珍しいことではない。


「ねぇねぇ、二人ともさ腹減ってない?」と双子の一方が話しかける。

「まあ、多少は……」と花咲が答えれば、

「よかった! じゃじゃーん、た~こ~焼~き~!」と双子のもう一方がたこ焼きを取り出た。


「さ、食べて食べて。あ、でもハズレもあるから気をつけてね~」

「ハズレってなんですか?」

「単に紅生姜が大量に入ってるだけだよ。ちょっと遊び心があった方が面白いかなって思ってね」


 恐る恐るといった具合に、たこ焼きに手を伸ばす花咲だったが、それを口に含んだ途端にむせ返る。

「あちゃーハズレかぁ。はい、コーラ」と手渡された飲み物を慌てて口に含む彼女だったが、すぐにそれを口から離した。


「コレ……苦い……」

「えぇー、そう? 口ん中がたこ焼きのせいでおかしくなってるんじゃないの? ほらほらー、ちゃんと飲みなって!!」

 そう言われ、無理やりその飲み物を飲み切らされると、彼女は地面にへたり込む。かなり苦しそうな様子。


「んーどうしたの? 体調が悪くなっちゃた? 落ち着ける場所に行こうか?」

「ちょっとあんた達、千佳に何を飲ませたのよ!?」ともう一人の女子を演じる金子が吠える。

「別に変なモノは飲ませてないよ? 君も飲んで確かめてみる?」

「ふ、ふざけないでっ!」

 乱暴に掴まれた腕を振り払い、逃げるように駆け出して、金子は舞台から捌けて行く。残された男達も、笑いながら花咲のことを連れて行ってしまう。



 舞台はそのまま明転し、同じように花火大会に訪れていた相田と赤根のシーンとなった。

 二人は楽し気に回っていた様子で、赤根の方は水ヨーヨーで遊びながら「次はどこ回ろっか」と口にしていた。


「つうかもうすぐ花火が始まるだろーが」

「いーじゃんいーじゃん。花より団子ってね。で、次は何を食べよっか?」

「まぁた食べ物かよ……。花より団子っつうより、団子より団子&団子って感じだよな……」

「ンー? ナンダッテ?」

「はいはい、なんでもねぇですよーだ」


 軽口を叩きながらも二人は本当に楽しそうにしており、赤根の方にはつい先ほどまでの平坦さなど欠片もない。

 その様子を上根は緊張した面持ちで眺めていた。


(まずったなー。こうなるって知ってたら、ラストシーンはあっちの方にしたのに……)

 この公演の台本に対し、長らくラストが決まらないと言っていた上根だったが、実のところその表現は正確ではなかった。

 彼女は最初からラストまで台本を書き上げていた。それも二種類のパターンを。元より役者の実際の演技や、その成長に合わせて台本を選ぶつもりだったのだ。


 最終的に彼女が採用したのは、花咲宮子が演じる千佳の成長物語に焦点を置いたラストシーン。こちらを選択した背景としては、花咲の成長を反映しての側面も大きいが、それ以上に赤根の不調によるところが大きかった。

 というのも、もう一つのラストとは、赤根と花咲のそれぞれが演じる二人が奇妙な恋敵のような関係になりながらも、明るい未来を感じさせるもので、いわゆるオープンエンドに近いものであったのだ。


 舞台では、相田と赤根が演技を続けている。


(うーん、弱ったなぁ……。あの二人にいい雰囲気を出された演技をされちゃうと、今のラストが少し不自然になっちゃうんだよなぁ……。まあ、今さらどうしようもないけど……)

 上根が困ったように舞台を観ていると、そこに先ほど双子の男から逃げて来た金子が飛び込んで行った。

 そのまま舞台を走り抜けようとした彼女は、相田とぶつかってしまう。そして、紆余曲折を経て妹が危ないと聞いた彼は、妹を探して駆け出していくのだった。



     *  *  *



 花火の音のみが響く、薄暗い舞台。

 冒頭のシーンのような音に合わせた照明変化はない。


 そこで、殺陣たてが繰り広げられていた。相田がかっこよく妹を救い出している――わけではない。それどころか中学まで空手をしていたという双子に、ボコボコに打ちのめされている。


「ハハッ! お兄ちゃんってばカッコいいねえ。こーんなボロボロになってまで千佳ちゃんのことを助けようとするんだから――サ!」

 そう言いながら相田の腹を蹴り上げる双子の一方。


「お兄ちゃん……! もう止めて!」

「千佳……待ってろ、今……」

「もういいの……もういいからっ! こんなバカな妹のことなんて放っておいてよっ!!」

「放っておけるわけ……ないだろ……!!」

「つーかさぁ――いい加減、お兄ちゃんお兄ちゃんってうぜーんだよ!」

 と双子が刃物を取り出した時だった。


『もしもし! 警察ですか!? 事件というか喧嘩です! ナイフを持ってて! え、あ、はい。場所は――神社の裏の……。はいそうです、花火大会をやってるすぐ近くで! ……警備の人をすぐに派遣する、ですか。ありがとうございます! 急いでください!』

 と舞台袖から大きな声が響く。それを聞いた双子は蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。


 その後ため息とともに現れたのは、幼馴染役の赤根で「馬鹿じゃないの、ホントに……」と呟いている。


「千佳ちゃん、大丈夫?」

「うん。まだ少しクラクラするけど大丈夫……。ありがと、ヒカリさん……」

「で、そっちの馬鹿は大丈夫?」

「駄目かも……」

「はいはい、素直でよろしい」

 赤根は倒れる相田に手を差し伸べると、やや乱暴に引っ張り起こした。


「念のため、さっさと人気のあるところまで戻りましょ」

「あれ、警察を待たなくていいのか?」

「ホントにあんた馬鹿ねぇ。あんなのブラフに決まってるでしょ。ほーら、千佳ちゃんのお友達も待たせてるんだから急ぐわよ」

 そう言って赤根はすぐに舞台から捌けて行く。


 ――そして、ラストのシーンが訪れた。


 赤根に続いて舞台から捌けて行こうとした相田。彼の袖を摘まんで、花咲はそれを引き止めた。


「ん? どうしたんだ、千佳?」

 花咲は、一度うつむき、たっぷりとした間をとったあとで「ありがとう。お兄ちゃん」と口にする。


「別に、兄として当然のことをしただけだから……」

「それでも、ありがとう。心配かけるようなことはもう止める。……あと、これは、感謝の気持ちを込めた、あくまで兄妹のスキンシップだか――」

 花咲はこの台詞を告げながら、小さく腕を開く。この劇は彼女がハグをするかいなかのタイミングで幕を下ろす予定だ。

 オペ台、つまり照明や音響を操作するところでは、照明担当の朝倉和花が、神経を尖らせ、ハグの直前のタイミングで照明を消す準備をしていた。


 ――そのときだった。舞台袖から「ちょっと待ったぁぁーー!!」と赤根が飛び出してくるのは。


 消灯ボタンを押しかけていた朝倉の手がピタリと止まる。


「千佳ちゃ~ん。ほら、さっさと行くよー!」

 そう言って赤根は花咲の腰を抱えて持ち上げると、ドシドシと舞台袖へと向かって行く。


「えっ、ちょっ、ヒカリ!?」と相田が必死に呼び止めると、赤根は足を止めて振り返ると、舌を出して「バーカ!」と言う。


 一人舞台に取り残された相田。

 彼はしばし呆然とした後で、顔を赤くしながら「……馬鹿はお前だ」と呟いた。


 その台詞をキュー替わりに、朝倉はここぞとばかりに照明を落とす。その横で、芦原は必死に笑い声を上げることを我慢しながら、これまた予定にない花火の音を打ち上げた。



     *  *  *



 劇が終わったと気がついた観客たちから、ゆっくりと拍手の音が沸き上がる。

 その後方でいつの間にか立ち上がっていた上根沙織は「アドリブをするなんて……」と呟いていた。

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