第24話 新人公演「花火の音が止む前に」
先輩の指示を受けながら、教室を劇場へと変貌させた明くる日。
本番前の発声練習を終えた俺は、舞台袖で息を潜めていた。舞台袖と言っても、客席とはパイプで二メートル強の縦長の長方形に暗幕をかけた壁で隔てられただけの場所だけれど。
部屋はざわつきに満ちている。観客のほとんどは学内の生徒、それも演劇部員の知り合いらしい。梅雨時の土曜日だというのに思ったよりも人の気配がする。
転入したばかりで他クラスに知り合いなどいない俺には、俺が劇に出るからと観に来るような知人はいない……ということはなく、今朝ソフトテニス部の新庄さんから観に行くとのメールがあった。
けれど不思議と緊張はない。今の俺にとっては、観客の多い少ないなど関係がなかったから。極論、観客ゼロ人でも構わない。
それほどまでに今の俺にとっては、あの舞台の上が全てだった。
俺が演技を届けたいと思う相手は、同じ舞台に立つ者の中にこそ居た。
ふと、肩が触れそうなほどにすぐ横から、俺を見つめる視線に気がついた。
「どうしたの、宮子ちゃん?」
とその相手に問いかけると、彼女は言い淀んだあとで答える。
「……あの、誠先輩。こんな時に言うことじゃないと思うのですが……実は私、あの日の話を、聞いてしまったんです」
俺たちは今、二人きりで下手側の舞台袖に居た。残りの役者は反対側。
舞台袖は狭く、彼女の顔はすぐ近くにある。薄暗いことがせめてもの救いではあるが、こんなに近いと動揺がバレてしまうだろうかと思いながら、聞き返す。
「あの日?」
「……沙織さんに、誠先輩が残ってと言われた日です」
「ああ、聞いてたんだ……」
「私、先輩に協力したいです。その、協力って言っても、私も全力で舞台に立つことしかできませんけど……」
俺はできるだけ柔らかく「ありがとう」と答えて、そっと音が出ないようにグータッチをした。
「本日はご来場いただきまして――」
ちょうどそのとき、部屋はいよいよ暗くなり、沙織部長による公演の前説が始まった。
そして遂に、俺たちの新人公演――花火の音が止む前に――が始まる。
* * *
静寂を破る花火の音。
花火の瞬きに合わせて点滅する照明が、舞台に一人立つ宮子ちゃんの横顔を照らしている。
『こうして花火を観ていると、思い出す。涙に頬を濡らしたあの日のことを。――あの日、まだ幼かった私は、一緒に花火を観ていた家族と、はぐれてしまいました』
一際大きな花火が打ちあがり、彼女はビクと体を震わせる。
『胸を苦しくさせる花火の音。先ほどまであんなにも綺麗だった炎の花は、一人きりで涙を溢す私を、嘲笑うように照らし出します』
再び打ち上がる花火を、穏やかに見つめる彼女。
『けれど、花火の雨に苦しめられる私を、兄と、兄の幼馴染の女の子が――見つけてくれました。そのときの私が、どれだけ、どれだけ嬉しかったか。そのときから私は……』
彼女の最後の台詞をかき消すように、特大の花火が打ち上がり、一瞬だけ舞台全面が照らされる。そしてそのあとに残ったのは、暗闇だけだった。
すぐに俺の出番が来る。この公演は決して長い劇ではない。
多くはない機会で俺は、俺の想いを――あの日、沙織部長に伝えて、宮子ちゃんにも聞かれていた想いを――赤根にこそ、届けなければならない。
* * *
雨音が響くあの日。
沙織部長と二人きりの、練習後の講義室。先輩は表情を変えぬままで、涙だけをボロボロと零していた。
俺が部長の質問に対し「ごめんなさい」なんて返したからだった。
「ち、違います違います! そういう意味じゃないです! 部を辞めるという意味での『ごめん』じゃないです、すみません!」
「じゃあ、どういう意味なのさ……?」
相当に弱った口調で問いかけられる。落ち込んだ姿を見たことはあったけれど、こんな先輩は初めてだ。どれだけ考えなしの発言だったか、反省する。
「あの、自分でも、上手く言えなくて、まとまってないんですけど、聞いていただけますか?」
コクリと頷く先輩。「ありがとうございます」と答えてから、話始めた。
「まず、劇部を辞めるつもりは全くありません。それで『ごめんなさい』というのは、部を辞めないことを、単に赤根に話して終わりにしたくないってことです」
彼女が、こんなにも引き抜きの件を真に受けるというのは、たぶんそれだけソフトテニスをしてた俺が、なんというかしっくり来てたんだと思うから。それこそ、演劇部を辞めてもおかしくないと、思われるほどに。
「そうだとしたら、少し悔しいんですよね。俺は演劇だって、ソフトテニスと変わらない位に、いえそれ以上に、一生懸命にやってるつもりなのに、そうは見えてないってことですから」
それに、アイツとは、あの夕暮れの屋上で交わした約束だってある。今回の公演では果たされなかったけれど、約束したからには成し遂げたいと、応えたいと思っている。
だというのにアイツは、沙織部長の
「だから俺は、劇を通して、一緒に舞台に立って、それを伝えたいと思ってるんです。めんどくさいことを言ってるかもしれませんけど、それが俺の正直な気持ちです」
エチュードで感じた、赤根と演じた時のあの一体感。あれはきっと、俺だけが感じたものではないと、信じている。
「劇を通してというのは、新人公演本番を通してということ?」
と沙織部長に問いかけられる。
「そのときまで赤根に伝わらなければ、そうなるかと思います……」
「最悪の場合、君のワガママの為に一つの公演を棒に振れということだよね? それって」
「それは……」
沙織部長は言い淀む俺をじっと見つめると、諦めたように「そっか……。誠君の考え、しかと聞かせていただきました」と言う。
「今の話、赤根には――」と言いかけた言葉は「言えるわけがないでしょう」と苦笑いを浮かべて遮られる。
それはつまり、俺のワガママを受け入れてくれたということで、俺はただただ万感の思いを込めて「ありがとうございます」と頭を下げた。
* * *
宮子ちゃんのモノローグの後は、ちょうどエチュードで最初に作ったシーン、つまり妹役の千佳が門限を過ぎて帰ってくるシーンだ。
あのときのエチュードと違うのは、俺と父が言い争っているときに、彼女が家を飛び出していくということ。そして彼女は、羽里ちゃんが演じる悪友の子と、花火大会を観に行く約束を交わす。
その一方で、俺は妹を追って再び外で探し回っているときに、幼馴染のヒカリと出会う。
遂に、赤根と一緒の舞台に立っていた。
「待ちなさいって言ってんでしょ! ねえアンタ、それが千佳ちゃんの重荷になってるって自覚あんの!?」
とヒカリが……いや赤根が……俺を引き留めながら言う。もはやこのシーン後半の台詞。
いつかのエチュードでもあった台詞だが、響きがまるで違う。同じものが見えている気が、全くしない。
俺は、一体どうしたらいいんだ……!
……俺は?
――違うだろ。
単純な、気づきがあった。
舞台に立っているのは俺だけじゃない。今の俺は、赤根と二人で、シーンを作っているんだ。
最近の俺は、一生懸命な姿勢を示したいばかりに、自分のことしか考えていない演技をしていなかったか?
それじゃ駄目だろ。駄目だったんだ。
赤根に伝えたいことがあるのなら、彼女の演技をこそよく見聞きし感じる必要があるはずだ。
それなのに俺は、自分のことだけで手一杯になっていた。
大切なのは、俺が何をするかじゃない。俺たちで何をするかだ。
今さら、それに気がついた。遅すぎたと思うけれど、きっとまだ、間に合うはずだ。
そして俺はもう一歩、物語に潜り込んでいった。
どこか平坦な赤根の演技が続いていく。もうすぐ、花火大会に行く約束を取りつけて、このシーンは終わってしまう。
「ねぇ、アンタのシスコン治療の一貫で、一緒に花火大会に行ってあげよっか?」
舞台端の方で振り返りながら、赤根はそう言った。これで、このシーンにおけるヒカリの台詞は最後となる。
俺は、微かな違和感を感じていた。この演技も、まだ平坦なものだったが……まるで、緊張や恥ずかしさを押し隠すための、淡白な言い方や仕草のように感じのだ。こんなことは、テスト休み明けから初めてだ。
脳裏を駆けた、僅かな逡巡。
これを拾っていいのだろうか。俺の勘違いかもしれない。それに何より、稽古ではやっていない演技をすることになる。
つまり、これまでの演出を投げ捨て、沙織部長の元から離れた劇を作ると言っても過言ではない……。
けれど俺は、この僅かなチャンスを見送ることはできなかった。
「別に、花火大会ぐらい行ってもいいけどさ……」
練習ではただぶっきらぼうに言っていたこの台詞を、初めて僅かな照れの感情を込めて表現した。
――赤根は、微かに目を見開いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます