第22話 あたたかいもの


 このところの頭痛や体の怠さは、どうやら過労によるものだったらしい。


 体育祭と球技大会を終えた翌日、俺は家でおとなしく寝込んでいた。そうは言っても、元々今日は振替休日だから不幸中の幸いだとも思う。

 とはいえ、体調は大分よくなった。まあ、クラスの打ち上げにも参加できずに、昨日からずっと寝ていたからな。

 風邪というわけでもなしと思い、軽くシャワーを浴びる。さて、手持ちぶさたになってしまい困った。これ以上眠ると夜眠れなるだろうしなぁ。


 どうしたものかと思っていると、携帯が鳴る。珍しいことに、赤根のやつからの着信だった。


「もしもし?」

「ハ、ハロー? 私、メリー。今あなたのお家の最寄り駅前にいるの」

 突っ込みどころがありすぎる。「ちょっと待て、どこに居るって?」と問いかけると、確かにこいつはウチの近所の地名を口にした。なにやら、ずっとその辺りをさ迷っているのだとか。


「何? 止めでも刺そうって?」

 メリーさんの怪談を思い浮かべながら問いかける。


「そんなわけないじゃん! お見舞い? に行ってあげようかなーと思って。で、家の場所教えてくれない?」

「せめてお見舞いって言い切ってくれよ……。はぁ、近くにコンビニあるだろ? その前で待ってろ」

「え、いいの?」

「そこまで来といて何言ってんだよ」

 赤根の家は、学校の最寄り駅から反対側だと聞いている。となれば定期券外で、交通費だってかかっているだろうに。


「というかちゃんと寝てなよ! 病人でしょ!?」

「こうやって言い争う程度には元気だよ。いいから待っとけ、つうの」

 無理矢理電話を切って、適当なシャツにカーディガンを羽織る。そして、向こうに着いたときに息が上がらない程度には急いで、駅前へと向かった。

 まあ、どうせ暇だったし……?



     *  *  *



「あ、ホントに元気そうだ」

 微笑む赤根の姿が、駅前には確かにあった。不意を突かれた。普段学校指定のジャージ姿に見慣れてしまっているためか、ただのパーカー姿が、妙にこう……目に刺さる。


「そりゃあ、昨日からずっと寝てたからな」

「うん、保健室に運ばれてる最中から寝てたようなもんだしね」

 う、それは覚えてないんだよな……。不安なことがあり、一つたずねてみる。


「ところでさ、俺のこと、どうやって保健室に運んだんだ?」

 それくらいは自力で歩いていて欲しいのだが、運んだという表現をするからには担架とかだろうか……。かなり恥ずかしい。


「覚えてないの? 隆明先輩にお姫様だっこされてたの」


 ――ハイ?


「芦原が心配そうに連写モードで写真とってたから、見たければベストな一枚があると思うよ?」

 二の句が継げないでいる俺に対し、完全に面白がっている風に赤根は畳みかけた。よし、とりあえずバカシハラはしばく、絶対。



 そんな決意を確たる物にしている内に、我が家のマンションの入り口までやって来た。

 その時ふいに、赤根は口を開く。「冷静に考えたらさ、私非常識じゃない?」と。


「なんで?」

「だって普通、体調崩した相手の家に上がり込んだりしないでしょ。今そういう流れでしょ? 私、単にスポドリとゼリーだけ渡そうと思ってただけなのに」

 そう言って赤根は、持っていたバッグからそれらが入った袋を取り出して押しつけてくる。


「そんなこと言ったら、わざわざ来てくれた人をここで突っ返すのも非常識だろ」

「だってさ、ご家族の方だっているんじゃないの?」

「いないけど?」

「え、誠くん一人暮らしなの?」

「いや、単に両親とも夜まで仕事だって話だけど……あーうん、気が変わった。やっぱ家はいいや、どっかカフェとかファミレス行く?」

 彼女の方からしたら、俺の家で二人きりなんて嫌だろう。そう思い口にしたのだが、病人が馬鹿なことを言ってるんじゃないと、結局家に押し込まれた。別に病人ではないのだが。



「なんというか、片付いているというより……殺風景だね」

 家に一歩を踏み入れたときの、赤根の第一声はそれだった。否定はできない。


「引っ越してから必要最低限の物しか、取り出してないからな。向こうの部屋には段ボールがまだ山積みだよ」

「あ、転入の理由って引っ越しなんだ?」

「……まあ、そんなところかな」

 微妙な間を感じ取ったのか赤根はこの話題を広げることもなく、この会話はそれきりかと思われた。

 けれどしばらくの後、お茶を入れて持ってきたとき「転入の理由って聞いても大丈夫?」と尋ねられた。

 俺はスポーツドリンクと氷が入ったコップをコロコロと回す。最初は同じくお茶を飲もうとしたのだが、カフェインを取ったら眠れなくなると止められていた。


「大した話でもないし、面白くもないよ?」

「別に、面白くないかは私が決めることだけど……。でも話したくないなら――」

「端的に言えば、父親が勤めてる会社が赤字になったからかなぁ」

 変に気を使われる前に切り出した。別に隠したい話というわけでもないので、淡々と口を回す。


 きっかけは父の会社の経営不振だった。そのため倒産するほどというわけではなかったが、大規模な希望退職を募っていたのだとか。そしてちょうどその時期に、父の学生時代の友人が起業を考えていて、父に手伝って欲しいとの話があった。

 で、父は会社を辞めその友人の起業を助けることにしたらしい。このこと自体は別に俺がとやかく言うことではない。


「それで俺の転入についてだけど、最初は父親だけ単身赴任して、俺は元の高校に通わせるつもりだったらしいんだ。でもさ、前の高校は私立だったし、そんなベンチャー企業が上手くいく保証なんてないだろ。それで金銭的に不安を感じて、俺も親を説得してこっちについてくることにしたんだよ」

 転入生の受け入れ枠がある公立なんて、男子生徒を増やしたい元女子校ぐらいしかなかったわけだが。


「以上、それだけ」と終わりの合図を告げると「誠くんって家族思いなんだね」などと予想外の返事が帰ってきた。


「いやいや。それでも俺を元の高校に通わせようとした両親に言った言葉が『そんなことより、この転入で浮いた分のお金は全部大学の学費用に貯金してください。奨学金という借金を背負うのは嫌なので』だぞ? 我ながら利己的だろ?」

 過去の自分の発言をなるべく冷たく読み上げた。けれど赤根の奴は笑って「じゃあそういうことにしてあげる」なんて言う。


「……とにかく、以上が事の成り行き。な、つまらなかっただろ?」

「ううん。誠くんのこと知れて、私は嬉しかったよ。……あれ? お母さんは? お母さんも一緒に働いてるの?」

「いや、なんかパートの仕事を見つけて来たらしい。そのくせ俺には転入を飲む代わりにバイトは禁止とか言ってきたけどさ」

 そのぶん青春しろ、というのが母の言い分だった。青春かぁ……。勉学に励めというのなら分かりやすいのだが、青春できているのかはイマイチよく分からない。


「へえ、いい家族だね。ところでさ、お父さんの帰りが遅そうなのはなんとなくわかったけど、お母さんはいつ帰ってくるの? ご飯大丈夫?」

「飯は、母親が帰ってくるの遅いときは自分で作ってるよ」

 麺を茹でたり、肉と野菜を炒める程度だけど。


「今日はお母さんの帰りは遅いの?」

「今週は忙しいってさ」

「じゃあ今日は自炊?」

「うーん、さすがに今日は……」

「だよね……。あのさ、えっと……今日のご飯、私が作ってあげようか?」

 と予想外の問いかけをされた。


 かなり、かなーり悩んだ後で(電話の第一声がメリーさんの怪談だったし?)……ご厚意に甘えることにした。今日は、弁当でも買って済ませるつもりだったから。


 気恥ずかしいから多くは語らないけれど、かなり旨かった。そして節々に感じる体調への配慮が、温かかった。



     *  *  *



 体育祭が終わると、中間テストも間近に迫り、一部大会の近い部活を除いて強制的に休みとなるテスト期間に入った。もちろん演劇部も休みとなっている。

 俺は放課後、いつぞやの約束通りに、図書室で赤根と芦原に勉強を教えていた。特に芦原には、例のお姫様だっこ連写事件のお礼もあり、みっちりがっちりスパルタに指導している。


 そんなとき、携帯に電話が来た。相手は沙織部長。部全体に宛てた連絡はよくあるが、俺個人への電話は珍しい。

 図書室から廊下に出てから、電話に答えた。


「もしもし、何事ですか?」

「あ、ごめん。今大丈夫? あとまだ学校居る?」

「はい。図書室で赤根と芦原と勉強してたところですけど?」

「マジか、えろい! 間違えた、偉い!」

「酷い言い間違いですね……。演劇部部長がそんなんでいいんですか?」

 そう返すと沙織部長は良くないと答えたあとで「赤レゼルブ・白レゼルブ・ロゼレゼルブ」とラ行に重点を置いた早口言葉を唱え始めた。そういうことじゃないのですけど……。噛んだ結果の言い間違いだとでも言いたいのだろうか。


「それで何用ですか?」と止まる様子のない早口言葉を遮ると、沙織部長は少し言い淀む。


「もしもし?」

「あー……、今から三年の教室来てくれない? ちょいと話があるんだよ。私としては微妙な気持ちなんだけどねぇ……」

「よくわかりませんが行けばいいんですね? 赤根と芦原には黙っていた方がいいですか?」

「んー……バカシ君はともかくアカネちゃんは気にするだろうなぁ。……うん、一緒でも大丈夫。それじゃ」

 携帯からツーツーツーと通話終了の音が鳴る。

 どこか様子がおかしかったな……。いや普段からおかしいのだけど、今のはネガティブな方向に変だった。



 結局二人に今のことを伝えると、芦原は「荷物番も必要でしょ」と言って残り、俺と赤根で三年生の教室へと向かうことになった。

 部屋に訪れると、そこに居たのは沙織部長だけではなかった。他にも、ソフトテニス部部長の鴨川さんと新庄さんの姿がある。



 ……話をまとめると、俺に正式にソフトテニス部に入部して欲しいとのことだった。鴨川先輩は語る。


「あの日の試合をウチの顧問も見ていてね。男子ソフトテニス部がないからとの理由で君がテニスから離れるのはもったいないと言っていた。私も同意見だ。そこで、君が入部してくれるのなら、後々男子ソフトテニス部で独立できるまではソフトテニス部は男女混合の部活にしようと考えている。もちろん男子部員の獲得にも全力で協力する。返事は演劇部の新人公演が終わってからで構わない、どうか少しだけでも考えてはもらえないだろうか?」

 準備してあったように(実際準備していたのかもしれない)一息で言い切って、鴨川さんは俺をじっと見つめてくる。この場の全員の視線が、俺に集まっていた。

 小さく息を吸い、口を開く。


 頭では、面倒なことになったと、すぐに断ろうと、考えていたのだ。


 ……けれど、どうしてか、開いた口からは何も言葉が出ず、時間を下さいと頼むのが精一杯だった。


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