第16話 セカイがブタイ、ブタイがセカイ。
夜の街を駆ける。駅前の人の多い通りを。
ただ走るだけではいけない。周りをよく見て、通りから外れた脇道にも視線を一度は送るようにする。声を上げる必要はない。仮に届いたとしても、きっと返事は返ってこないから。
何度も人にぶつかって、謝りながら走っていく。
また、ぶつかった。今度もぶつかり。そしてまたぶつかった。例によって謝りながら過ぎ去ろうとすると「待って」と声がかかる。構わず進む。こんなところで絡んでくるのは大体が酔っ払いだ。構う必要はない。
「待ってと言ってるでしょ、お兄ちゃん」
その言葉に振り返ると、よく知る幼馴染の姿があった。
「ちょっと露骨にガッカリした顔してんじゃないわよ!」
「お前に『お兄ちゃん』なんて言われる筋合いはねえよ。つーか今俺は忙しいんだよ!」
俺をその名で呼んでいいのは、世界に一人きりの妹だけだ。
「分かってるわよ! 宮子ちゃんのこと探してるんでしょ? だったらそんな血眼になって探す前に、ちゃんと携帯ぐらいチェックしなさい。あなたのお母さんから連絡来てるわよ。家に帰って来たって」
こいつは携帯を振りながら言う。慌ててチェックすると、確かにその連絡が来ていた。
「悪い、サンキュ。じゃあ俺は――」
背を向けて家に向かって駆け出そうとすると、襟をつかまれ引き止められた。
「待ちなさいって言ってんでしょ! ねえアンタ、それが宮子ちゃんの重荷になってるって自覚あんの!?」
「はあ? んなこと知るかよ!? だいたいお前は――」
こうして俺たちが言い争っていると、外から話し声が聞こえてきた。
――ねえ宮子ちゃん、あんな感じの兄はどう思う?
――えっと……嬉しいです、よ?
――なるほど。シスコン兄にヤンデレ妹か……
――そ、そこまでは言ってませんけど……!
――オッケーオッケー。よーし、一回止めようか!
沙織部長は「パンパン!」と二回手を鳴らし、ようやっとこのエチュードは終わりとなった。
◇ ◇ ◇
「おー」と間延びした歓声と、パチパチ~と拍手が湧く。めっちゃ恥ずかしい。
「いやあ誠君、エチュードにしてはすごく良かったんじゃないか?」と隆明先輩が声を上げれば「うんうん。アカネちゃんとの息もピッタリだったと思うよ」と明日香副部長も同意している。
チラと横に目をやれば、赤根のやつも顔を赤くして照れくさそうにしていた。
確かに、なんというかこう、しっくりとくるエチュードだった。
阿吽の呼吸と言えば大げさだろうが、アイコンタクトだけで俺と赤根の場のイメージが共有できていたような気がする。
兄役の俺が妹を探しているシーンという指示で始まったこのエチュード。始まる直前から、俺がイメージしていたのは夜の駅前の雑踏。
そんなことを考えていると、意外にもエチュードの後でまだ一言も喋っていない沙織部長に注目が集まっていた。部長は手で顎をさすりながら何事かを考えている様子で「おい沙織、何ボーっとしてんだ?」と楓先輩が問いかけた。
「いや……ちょっと意外過ぎてねぇ」
「なんだそりゃ。誠のやつを入部前からやたらと評価してたのは沙織だろ?」
「いやいやそっちじゃなくて、誠君のことじゃなくて、アカネちゃんの話だよ」
「え? 私ですか?」
赤根は自分を指しながらコトリを首を傾げる。
「そうそう。ねえアカネちゃん、今どんな風に演じてた?」
「どんな風、ですか?」
「ぶっちゃけアカネちゃんの役者としての弱点はさ、テキストを重視しすぎちゃうところにあるんだよ。台詞だったり、ト書きだったりをね。アカネちゃんって絶対アドリブとかしないじゃない? まあ、脚本書きさんだから仕方がない面もあるんだけど。でも今は、誠君の『どこかの人混みで妹を必死に探してるんだ』っていう無言のアクトをしっかり受け取ってたでしょう? それをエチュードっていう、言わばアドリブの塊でそれができたことに私は驚いてるんだよ」
畳み掛けるようにそう言われ、赤根は困ったように、首の裏を掻いている。そして口を開いた。
「あの……どこかの人混みじゃなくて、駅前の人混みだったような気がするんですけど……。や、もちろん誠くんは違うつもりだったかもしれませんけど!」
「……誠君、それ本当?」
「はい。確かにそう思ってました。もっと言えば――」
「夜! だよねっ!?」
と赤根に遮られたが、その通りなので頷いて見せる。夜だったからこそ、声をかけられるまで、あの二人しか立っていない舞台においても、俺は彼女に気づかなかったのだ。
合ってたことが嬉しいのか、赤根は右手を掲げながらこちらに駆け寄ってくる。パチンと二人でハイタッチ。
ちょうどそのとき、驚くような爆笑が教室に響いた。それは沙織部長の笑い声。
「アッハッハ! 正直予想以上! うんうん、いいねいいね。よし、やっぱり新人公演にアカネちゃんにも出てもらうことにしよっか!」
「え、新人公演なのにですかっ!?」
「去年も二年生出てたでしょう? 三年さえ舞台に立たなければ、それは立派な新人公演さ!」
「でも去年は、私とバカシハラしか一年生が居なかったからで……」
「いやいや、運動部の新人大会も二年生まで含まれるらしいよ?」
赤根はなおも抵抗していたが「アカネちゃん、諦めなさい。こうなった沙織は誰にも止められないよ」という明日香副部長の諭しというか、とどめによって赤根はがっくりと項垂れて受け入れた。
ところで「流れるようなバカシハラ呼び止めてよ!」という芦原の叫びは誰にも届かなかった。南無。
沙織部長はまるで自分の考えをまとめるように、誰に言うでもなく呟く。
「一年生だけじゃさ、プカプカしてたんだよね。地に足がついてない……って感じ? でもやっぱそれじゃあさ、いけないのよ。自己満足だけの舞台になっちゃう。
まあそれで脇役に一人上級生を突っ込んで『ビシッと締めてもらいましょ』なーんて思ってたんだけど……。いやはや嬉しい誤算だねぇ。これじゃ、アカネちゃんと誠君で宮子ちゃんを喰っちゃうかも? そうはさせないぞ~、鍛えがいがあるなぁ。フフフフフ。
――というわけで、私しばらくサボるわ! 多分四月一杯は!? 明日香と隆明君、その間の基礎練は任せるヨ!!」
突然声を張り上げた部長に対し、明日香副部長はため息をつきながら返す。
「アンタねえ……、台本を書くからしばらく休みたいって素直に言いなさいよ」
「違う違う。台本を書くためにサボるんじゃなくて、サボりながら台本を書くの。そこを間違えると私は書けなくなる!」
「はいはい知りません。じゃあ、しばらくは発声練習と感情開放系の練習を重点的にやるんでいい? アカネちゃんを入れるとなると、今のままじゃ一年生達が声量負けしちゃうだろうから」
「完璧! じゃあ後はよろしくね~」
……本当に沙織部長は出て行ってしまった。
多くの部員が呆然としていたり、あきれたりしている中、最初に口を開いたのは、音響と照明という重要裏方ツートップの芦原と和花先輩だった。
「うわー……、これじゃ新人公演と言っても音照はこき使われそうですね……」
「そうだねぇ。まぁ、あんなでもウチの部長様だから。一年と誠は覚悟するよぅにねぇ」
気を何とか取り直して、赤根に「よろしく……」と声をかけると、どこか悟ったような表情で「よろしくお願いいたします」と馬鹿丁寧に返してきた。
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