第14話 合わせてドキドキ無ドキドキ?
典型的ながやの音が響く店内で、しばしば宮子ちゃんとはぐれそうになる。思ったよりも人が多い。
よく漫画やアニメであるように「はぐれないように手を繋ごうか?」と半分冗談で――いや九割冗談で――言ってみたのだが、丁重にお断りされてしまい、少しだけ凹んだ。
とまあ、その後も目的もなく歩き回る不毛な時間が続いたときのことだった。
「ごめんなさい」
「えっ? 何が?」
「いえその……手、そんなに落ち込まれるとは思わなくて」
「いやいや、落ち込んでなんかないよ? それに、宮子ちゃんがそういうの苦手だっていうのは知ってるし」
「……ごめんなさい。その、練習の時とかは……となら、流れでハイタッチとかも出来るんですが。『手を繋ぐ』って意識してしまうと、どうしても……」
途中少し周りもうるさくて聞き取れなかったけれど、彼女の言いたいことはわかった。というよりも、微妙に噛み合ってない気がする。
「大丈夫だよ。無理して治そうなんてしなくてもいい。ゆっくりでいいから。ちゃんと分かってる」
少しテンパってしまっているように見える彼女に対し、心を込めて、ゆっくりと話しかけた。
すると彼女は少し目を瞬かせた後で「……はい、ありがとうございます。私、また『ごめんなさいモード』に入っちゃってましたね」と落ち着いた笑みを浮かべた。
よかった。沙織部長命名の「ごめんなさいモード」からは解き放たれた様子だ。
「さて、じゃあ改めてどうしよっか? 映画館とかも最上階にはあるみたいだけど?」
気を取り直し、改めてたずねる。
映画は時間を潰す手っ取り早い方法だと思い、また曲がりなりにも演劇部というのなら、演技の勉強として観るのも理にかなっていると考えての提案だった。
けれど、彼女は俯いた後で
「あの……ゲームセンターに行ってみませんか?」
という少し意外な提案をしたのだった。
* * *
彼女の言い分としてはこうだった。
やはり優先したいのは、男の人と普通に接することが出来るようになりたい、とのこと。
そのため、ただ隣に座っているだけの映画よりも、共同で何かをする作業の方が望ましいと思ったのだとか。
よって、一緒にゲームをしてみたいという結論に至ったようである。
「男の子が一杯いる……」
彼女がゲームセンターについての第一声がそれだった。
ゲームセンターとはいえ、ショッピングモール内にあるため子供の数が多い。彼らはコインを片手に店内を駆け巡る。かくいう俺も昔、親の買い物についていったときは、ゲームをして待ってろと言われコインゲームをしたものだ。……あそこまで落ち着きがなかったとは思いたくないが。
「さすがに子供達に混ざってコインゲームをする気にもならないし、あっちのお菓子をすくい上げるやつでもやってみる?」
「はい、よろしくお願いします……!」
妙に気合の入った声に促され、俺たちは遊び始めた。
お菓子すくいにエアホッケー、対戦型の音ゲーなどを次々こなす。最初は「え、ゲーセン?」なんて思っていたが、なかなかどうして面白かった。
次はどうしようかと考えていると、宮子ちゃんの視線が、クレーンゲームのぬいぐるみに釘付けになっていることに気がついた。手の大きさほどの、妙に真顔なニワトリのぬいぐるみ。ずいぶんと死んだ魚の目をしている、ニワトリだけど。
結構体を動かした後だったし、ちょうどいいと思い「次はあれに挑戦しよっか」と声をかける。
「え? でもクレーンゲームって難しそうじゃないですか? 取れなかったときの虚無感も……」
「まあ、挑戦するだけはしてみよっか」
と挑戦してみるが……うーん、難しい。俺の場合、まずアームが狙ったところに落ちなかった。
そのうち宮子ちゃんの方が夢中となっていた。ガラスに顔を貼り付け、横からも奥行きを確認している。その真剣な横顔は、ずいぶんと楽しそうで、よかったと心から思う。
そんな努力のかいもあり、やっとぬいぐるみを獲得できた。宮子ちゃんが嬉しそうに取り出し口からぬいぐるみを取り出して、ハイタッチをしようとする。
――そのときだった。
ふいに彼女の体が、こちらに向かって倒れこむ。とっさに支えながら何事かと見ると、店内を走り回っていた男児が彼女にぶつかってしまったらしい。
その子は「イテテ……」と呟くと、落としてしまったぬいぐるみを見て「うわー、何この変なニワトリー」とか言い出した。少しムッと来たが、すぐに母親らしい人物がやって来てその子供を叱り、こちらに対しての謝罪もあったため「いえいえ」とだけ返してその場は収まった。
問題は、宮子ちゃんの方である。
とっさのことだったため、俺の右腕は彼女の肩に回されていた。そっと外してぬいぐるみを拾い上げていると、彼女は「ごめんなさい……」と呟いた。
俯いた顔の、その目尻には雫が浮かんでいた。
落ち着ける場所に行こうと声をかけても彼女は動こうとしない。あるいは動けないのか。
俺は「ごめん」と謝って、彼女の手を取り、
* * *
階段の踊り場のベンチ。ここは随分と静かだった。もう十分は座っているが、誰もここを通らない。
横には先ほどから一言も発していない宮子ちゃんが座っていて、俺の手の中には、無表情で俺を見つめるニワトリのぬいぐるみの姿があった。渡すタイミングが、つかめない。
何か飲み物でも買ってきた方がいいのかもしれない。人間は、何か口に含むだけでも、少しは落ち着くように出来ている。
けれど、今の宮子ちゃんを一人にするのは不安に思えた。本当は、少し一人にしてあげた方がいいのかもしれないけれど。……駄目だ、結論がでない。
そんな埒が明かない堂々巡りをしていると、宮子ちゃんが「…………あの、」と小さく口を開いた。
「私の昔話を……聴いてもらっても、いいですか……?」
無言で頷いて見せる。
「ありがとうございます。多分、なんですけど、私のこれって小学生の時のトラウマのせいな気がするんです……」
「トラウマ?」
「はい。でも、大したことじゃあないんですよ? きっと、下らない――」
「当事者にしか分からないことも、あるから。きっと下らなくなんて、ないよ」
彼女は小さく深呼吸をしたあとで、続けた。
「……ありがとうございます。私の名前って花咲宮子じゃないですか。……それで、昔、小学生のころ、男子たちにからかわれてたんです。『や~い、トイレの花子さん』って。花咲宮子だから、花子。花子だから、トイレの花子さん。それが、なぜだか妙に、忘れることができなくて……」
彼女の声は、たどたどしくあれ、声自体はとても落ち着いたものだった。そのことが、どれだけ彼女の中に刷り込まれた出来事のなのかを表していた。
「そのせいか、まだ男子が少し苦手で……」
宮子ちゃんはここで一つ大きく息を吐くと「話してみたら、少し楽になりました。ありがとうございます」と言った。
……確かに、話すだけで楽になることもある。解決策めいたものなんて求めてないのだろう。けれど一つ、言いたいことがあった。
「……それって……その男子たちってさ、宮子ちゃんのこと、好きだったんじゃない?」
「……それは、ないと思います」
「なんで?」
「なんで……ですか?」
彼女は少し驚いた顔をする。
「分からないでしょう?」
「でも、好きだったかもなんて、もっと分からないですよね?」
「そりゃ分からないよ、当然。でも分からないならさ、どっちでもいいじゃん。自分にとって都合がいい方で。そっちの方が、息がしやすくなるのなら、さ。ましてや、おそらくはもう会うことのない、昔の人物の話なんだから」
彼女はきょとんとした後で、小さく噴き出した。
「なんだか随分と自己本位な考えですね」
「そう? むしろ決めつけてたのは宮子ちゃんの方じゃない?『彼らは私のこと嫌いだった』って決めつけてたでしょう?」
彼女の顔を見て、してやったりという気分になる、少しだけ。
「ま、とにかく決めつけは良くないってこと。まして他人の気持ちなんて――むしろ自分のだって――分からないことだからね」
と例のニワトリのぬいぐるみの渡しながら声をかける。彼女は「そうですね」と言いながら受け取ると、ニワトリの頭を撫でながら「このコは何を考えているんですかねぇ」と呟いた。
「あとは個人的な意見だけど、あんまり男子だからって一緒くたにされると悲しいかな。このままだとフェアじゃない気がするから、俺も一つ打ち明け話をするとさ、実は俺も、女子のこと結構苦手なんだよね……」
「えっ? そうなんですか? あまりそうは見えてませんでしたけど……」
「実は、ね。ほら初めて会ったときにも言ったけど、俺は転入生で、元居たところは中高一貫の男子校なんだ。だから苦手って言ってもトラウマがあるわけじゃなくて、単に不慣れなだけだとは思うけど。……でもさ、演劇部の人たちって皆キャラが濃いでしょ?」
赤根だったり沙織部長だったりを思い浮かべながら問いかける。宮子ちゃんも苦笑しながら「そうですね」と答える。
「だからさ、こんなこと言うとあの人たちに失礼かもしれないけど、自分の中では演劇部の人たちは女子である以前に、その人自身でカテゴライズされちゃってると言ったらいいのか……。うーんとにかく、だからあんま苦手だとか、思わないんだ」
女子という枠の中に彼女たちが在るのではなく、彼女たちが持つ沢山の要素のなかに女子という一つの側面があるというイメージ。これが上手く伝わったかは、分からないけれど。
「まあ要は、俺たちのことも、そんな風に思ってくれたら嬉しいなってことかな。もちろんすぐにって訳じゃないけどね」
無言で俺の話を聞いていた彼女は、ゆっくりと立ち上がると、こちらへ向き直った。そして「はい。それでは、そのための第一歩として、もう少し回りましょう」と言って手を差し出している。
「え?」
「言わせないで下さいよ。はぐれるといけないから、手を繋ぎませんかってことです。その……明日からは、ただの部活の先輩後輩で構いませんので」
そう言う彼女の顔は、やはりまだ男子が苦手なのだろう、見てるこちらが恥ずかしくなるような顔をしていた。実際、俺も恥ずかしい。
俺はそっとその手を取って、二人、騒がしい店内に向けて歩き出した。
まあ……すぐに「やっぱりごめんなさい」と離されてしまったけどね。
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