第10話 ホコリまみれの真っ赤な決意


 屋上は、地上よりも風が強い。

 彼女の髪は風になびき、夕日を浴びて煌めいている。

 何処かから聞こえる吹奏楽部のメロディーに、彼女は目を閉じて、耳を澄ましていた。

 話そうと言われてから、いささか時間は経過していたけれど、この空間も不思議と嫌ではないように感じる。


「前さ、なんで誠くんを勧誘したのか、聞いたよね」


 ふいに彼女は口を開く。

 あれは確かちょうど、頭をぶつけたあの日のことだ。


「それね、自分でも不思議だったんだ。初めて会ったときの事じゃなくて、その後の話ね。誠くんに、けちょんけちょんに言われて正直気まずい状態だったときも、私はなぜか、誠くんと一緒に劇を作りたくて仕方なかった。なんでなんだろ?」

「そんなこと、俺に聞かれても……」

「だよねぇ。ホントは『今なら分かる』とか言いたいんだけど、まだよく分からなくて」


 一体、なんと返せというのか……。


「沙織さんに相談したりもして、そしたら『それはフォーリンラブだよぉ~』とか言われたんだけど、なんかそれもピンと来なくて」


 …………恋愛的なあれこれなんて、全く、ほんのちょっっっぴりも期待していなかった――と言ったら、少しは嘘になる。正直に言えばそりゃあね。俺も年頃の男子ですし?


 なんだろうね……。別に告白したわけでもないのに、このフラれた感。


 目蓋を下ろしたままの彼女は、こちらの様子に気づくことなく続けて問いかけてくる。


「……この間の劇、面白かった?」

「うん。とても」


 この質問には即答できた。そして彼女は、緊張した面持ちで「じゃあ……」と続きを口にした。


「あの……役者としての私と――こんなこと言うの、すっごい、恥ずかしんだけど――物語を書いた私と、どっちの方が良いと思った? 未来があると思った? どっちの方が、好きだと、思った……?」


 即答、できなかった。けれど彼女は決して目を逸らさずに、こちらを見ている。


「どっちも凄かった。凄かった、けど……沙織先輩と比べてしまうと、役者としての赤根は……」


 最後まで言い切ることができなかったけれど、彼女は「そっかー」と呟くと、ゴロンと大の字に寝ころんだ。砂埃が溜まる、屋上の床に、だ。「汚れるだろ」と声をかけても「大丈夫だよ。ジャージだし」との返事しか戻ってこない。

 せめて手で床を払ってから、俺もコイツの横に座った。


「でも、誠くんの気持ちも分かるなー。だって私も、去年沙織さんの演技に憧れて劇部に入ったんだもん」

「え? じゃあ演劇は高校からなのか。へー、もっと『生まれたときから演劇大好き』みたいな感じなのかと思ってた」

「そんなわけないじゃん。中学のときは放送部で、それも友達が放送しているのを漫画読みながら見てただけの、これっぽっちも熱心じゃない、そんなやつだった」

「そりゃ意外だな」

「……放送室って結構狭くてね、でも友達はそこから外に声を飛ばしてた。そのときの私はただ眺めることしかできなくて……。まあ、舞台も同じくらい狭いのに、なんで舞台でなら立ってられるのか自分でも不思議でしょうがないんだけどさ」

「まあ、そういうことも、あるかもな」

「ハハ、なにそれ。誠くんって不思議だねぇ。なんか寄せ付けないんだけど、別に突き放すわけじゃない、半端な距離感」


 なんだそりゃ? そんなこと言われても、よく分からん。


「あーあ。それにしても、そりゃ私が沙織さんに敵わないのは理解できるけど、消去法で脚本書いてる私の方がマシだって言われてもなー」

「別にそんなこと言ってないだろ」

「でもそういう意味でしょ?」


 またしても即答できなかった俺に対し、「ほら、やっぱり」といいながら彼女はケケケ笑った。気がつけば時間は流れ、真っ赤な空に紫色の雲が混ざり始めるようになっている。雲が西日を遮り始めた。


 ポツリと、言葉が口から漏れた。


「本当のこと言うと、この間の劇を見て……いいなって思った。この輪に加われたら、楽しそうだなって。でも、俺にはもう二年しかないから、きっと迷惑しか――」


 ――畜生! 言ってしまった。口が滑った。ダサい。ダサすぎる。糞ダセェ。

 こんなの「そんなことないよ!」だとか「大丈夫! 一緒に頑張ろう!」と言って欲しいですと、言っているも同然だ。

 なかったことにしたい。でも、声に出してしまった言葉は、もう戻らない。

 逃げるように、恥を上塗りするように、立ち上がって帰ろうとする。胡坐をかいて座っていた足は、痺れて思うように動かないのがもどかしい。


 そんな俺の背に「ノート」という言葉が飛んできた。ノート……?

 振り返ると、赤根は寝転んだままで、組んだ手を枕にしながら空を眺めていた。


「この間の、公演の前で私が結構参ってて、授業中もずっと爆睡してた日、覚えてる?」

「覚えてるけど……」


 たしか芦原と羽鳥先輩との、よく分からない会議に巻き込まれて、昼飯を食べ損ねた日だ。


「あの日、芦原に文句言われたんだよね、誠くんがトイレに行ってる間に。私のせいで『俺と相田は無茶振りされてんですけどぉ』って。それを聞いてたから、誠くんが帰りのホームルーム中、チラチラ私の方を見てるのに気がついて――あーあ、また『頑張れ』とかいわれんのかなぁ――とか思ってたんだ、実は」


 彼女は思い出すように目を閉じて、ほんの少し微笑んだ。


「でも誠くんは、今度ノート貸すって言ってくれて、驚いたし、ちょっと自分が情けなかった」


 赤根はぴょんと上半身を起こすと、体育座りのように足を抱えて、俺を見た。


「きっと普通は、今の誠くんに『そんなことないよ』って言うんだろうし、そう言うべきなのかもしれない。でも私はそうは言いたくないんだ、ごめんね。……だから、今、私が思ったこと、全部、伝えます」


 彼女は「うわー舞台に立つより恥ずかしい」と言いながら、ゆっくりと立ち上がった。


「まず、そんな弱音を漏らしてくれて、ありがとう。そういうところを、私に見せてくれたのが、なんだかすごく嬉しい。――で、ここからが大事なんだけど。誠くん、やっぱり演劇部に入ってよ!」


 驚くほどに、真っすぐな笑顔を向けられる。


「なんか、吹っ切れたの。本当はね、私、沙織さんみたいな役者になりたかったんだ。だけど、皆脚本のことばかり言うんだもん。ま、それも誠くんにとっては脚本の方が役者よりはマシって程度らしいけどねー」

「そんなこと言ってないって……!」

「フーン? ま、今は誠くんの話をしよっか。沙織さんはね、君のことを役者に向いてるって言うんだ。だから、君が君自身のことをどう思ってるかなんて関係ない。沙織さんが見込んだ君に、演劇部の脚本担当として頼みがあるの」


 彼女は一つ深呼吸をして、こう言った。



「私の劇に、役者として参加して!」と。



「さっき誠くんが言ってたのって、要は『今から始めても、卒業までに力になれるほどには成長できないから、足手まといにしかならない』ってことだよね? そんなことは許さない。卒業までなんて悠長なことは言わない。次の劇から、私は誠くんを当てにして話を書く。だから、演劇部に入って」


 雲の切れ間から、燃えるように赤い日差しが、辺りに一面に注がれる。

 その中でも特に、差し出された手は、光を反射してまるで宝石のように輝いていた。


 絞り出すようにして、口を開く。


「向いてるとか言われても、分かんねえし。そもそも俺はスゲー不器用で、今まで自分が何かに向いてるかもだとか、思ったことなんてないし。さっきのノートの話だって、ただの買い被りだし……」


 それでも俺は、彼女にゆっくりと近づいた。


「でも、お前の劇は、面白かった。それをもっと面白くするためだって言うんなら……」


 そして、その差し出された手に、触れる。


「期待に応えて見せる――とは言えないけど、俺なりに、頑張るよ。保証はできないし、あくまで俺なりにだけど」

「うん。それでいいよ。きっと誠くんは、それがいいんだよ」


 彼女はそう言うと、触れた俺の手を包むように握る。

 その手は、思ったよりもしっとりと湿っていて「赤根も緊張していたのかも」と思った矢先、こいつは「よかったぁー」と言いながらへたり込んだ。

 ……とっさに体を支えてしまい、少し気まずい。けれど、気まずく感じるのはこちらばかりのようで、彼女は俺を見上げて「よろしくね」と微笑んだ。


 日差しが赤いのは幸いだった。きっと俺の顔は、真っ赤に染まっていただろうから。



     *  *  *



 屋上から戻るとき、互いの体についた砂埃を互いに落とし合っていると(赤根の方から「背中! 届かない! 落として!」と言ってきた)、沙織部長が現れた。


「さ、沙織部長ッ――!?」

「いやぁ……、流石に遅いし、鍵も閉めなきゃだから様子を見に来たんだけど……。じゃれ合ってるカップルにしか見えないよ? キミら」


 次の瞬間、俺は地面を転がっていた。「ち、違います!!」と叫んだ赤根に突き飛ばされたのである。

 それを理解した頃には、赤根が階段を駆け下りていく音がして、部長さんは大爆笑しながら残された俺を見下ろしていた。


「ハッハッハ! キミらサイコー! 時に相田君、さっき部員じゃないやつに部長と呼ばれる筋合いはないって言ったんだけど、今君は『沙織部長』と言ったよね? プハッ」

「言いましたけど……。というより、笑いすぎですよ……」

「いやーごめんごめん。アッハハ。じゃあ、改めてよろしく。私、部員には厳しいから覚悟するよーに」

「はい。よろしくお願いします。なんか役者として気張んなくちゃいけなくなったので、ビシバシしごいてやって下さい」


 沙織部長は「へぇ」と呟いて俺を見ると、再び吹き出した。


「そんな埃まみれで言われてもねぇ」


 たしかに、そりゃあそうだ。


 こうして俺は、演劇部への体験練習へと参加し、入部を決めた。


 まあ、初の体験練習に埃まみれの大遅刻で参加したと、長いこと演劇部内で笑い話の種にされるのだったけれども……。






   第一章 新入生歓迎公演編 


      ―― 完 ――


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る