第9話 閉ざされた扉は開かれた(物理)
月曜日の放課後、俺は屋上への扉に一人寄りかかっていた。この学校では、屋上が開放されていない。つまりこの扉は、決して
何をしているのかと、自分でも思う。自分に酔っていると言われても仕方がない。まるで小学生が探してもらえることを期待して、プイと何処かに行ってしまうのと同じだ。
……そう言われても「そうなのかもしれない」としか答えることができない。
ここは、あの日の朝、赤根のやつと仲直りした場所だ。ここで俺は、頭をぶつけて、手を繋いで、名前を知った。
実のところ、赤根のやつが俺を呼ぶときの「誠くん」という響きは、嫌いじゃない。なんだか、柔らかく感じて。
けれど、今日からの演劇部の体験練習に行かなければ、そう呼ばれなくなるのだろう。
ていうかあの席辛いな。隅っこで、演劇部二人に包囲されている。気まずいことこの上ない。なんならこの学校に、席替え導入というパラダイムシフトを引き起こしてやろうか。
そしたら本当に、アイツらとは縁が切れてしまうけど……。
「あのさー、黄昏てるとこ悪いけど、ここ私のサボり場なんだよねー」
「またサボってんですか? 部長さん」
「ウチの部員でもないやつに部長と呼ばれる筋合いはないかなあ」
「じゃあ、上根先輩でいいっすか?」
「あちゃー、名前覚えてたかー。下の名前だけ教えて、沙織先輩と呼ばせる作戦だったのになー」
「別に沙織先輩でもいいですけど……」
「その反応つまんなーい。面白いリアクションしてくれるなら、どっちだっていいのにさー」
「はあ、ご期待に沿えなくてすみません」
「君の場合、そんなことよりもっと、ご期待に沿ってないことがあると思わないかなあ?」
階段の影に隠れていた上根先輩の登場である。突然現れて、すぐ横に座りこまれる。
ところで、この先輩の神出鬼没ぶりにもすっかり慣れてしまったことが恐ろしい。演劇部ナイズされているように感じる。
「そういえば、上根先輩」
「なんだい? 悩める若人よ。そしてどーせなら沙織先輩のがいいなあ」
「はあ、そすか。じゃあ沙織先輩で。あの、初めて会った日、なんでテニスコートの近くになんて居たんですか? 学校の端っこですよ、あそこ」
ふと、この先輩と初めて出会ったときのことを思い出して、たずねてみる。
「私はね、視力と記憶力には自信があるのサ」
「遠くから俺を見つけたってことです?」
「そーそー。顔は例の写真で知ってたからねえ」
「……一昨日の劇を見た後だと、あのときの先輩が『いかにも演技してますよという演技』をしてたことがよくわかります。先輩が本気で演技をしたら、演技をしてることにも気づかせないでしょう?」
「皆その勘違いするんだよなぁ……」
先輩はやれやれという風に、ため息をついた。
「あのねえ、まず劇で大事なのは、お客さんに演じてると思われないことなの。劇に夢中になってもらうとも言うかな。でも演技っていうのはさ、その言葉の時点で『演じる』という文字が入っちゃってるワケ。だから、演じてない演技なんて存在しないの」
そして先輩は立ち上がりながら続ける。
「つまりね、良い役者になるためには、演技なんかしてちゃあいけないわけよ。だから『演技していると気づかせない演技』なんてのはナンセンス。……言わんとしてること、分かる?」
「まあ、なんとなく」
「よかったぁ……。『え、でも演じてるんですよね?』なんて言われたら、屋上から飛び降りるところだった」
「何でですか……」
「自分の見る目のなさ故にじゃよ、フォッフォッフォ」
「それも演じてないんですか?」
「ごめん。これは演じた」
思わず小さく吹き出すと、先輩に「おー。やっと笑ったよー」なんて言われる。
その言い草に少しムッと来て「そもそも屋上に出れないんですから、飛び降りるなんて出来っこないですけど」などと言い返すと、先輩は待ってましたと言わんばかりに「チッチッチ」と指をふる。
は? まさか――
「テレレテッテテ~! 屋上の鍵~!」
「マジですか……。なんでそんな物持ってんですか……」
「フッ。歴代の部長は皆サボり魔だったのさ」
なんとこの先輩だけの話ではなかった。大丈夫なのか……この部。
「というのは冗談で、かなり昔、屋上で発声練習させて貰ってた時代があるんだって。で、その時につい作ちゃったらしいんだよね、この合鍵。それが代々受け継がれてきたってこと。――ふふ、せっかくだし入ってみようか、屋上」
そう言うなり先輩は、屋上へと繋がる扉の鍵を、あっさりと開けてしまった。
扉はギシギシと音を立てて開き、隙間から斜光が飛び込んでくる。思わず閉じたその目を開けると、紅色の空が広がっていた。
* * *
あまり端っこに行くと外から見えてしまうため、結局見れるのは遠くの景色と夕焼けぐらいのものだったが、気分は良かった。頬を撫でる風が思いの外、心地よい。
横で夕日に手をかざしてしていた先輩が、ふいに呟く。
「私がさ、劇として物語を創る上で、一番大事だと思うのは、舞台を整えることだと思うのね。環境なり、心境なりを、話して話して、時に折れて、時に押し通して、すり合わせて。それさえ整えてあげれば、あとは役者が勝手にそこで生きてくれると思ってる」
「……すみません。言葉の意図が、よくわかりません」
「要はー、忘れ物したから待ってて、ってこと!」
一転して明るくそう言うと、先輩は踵を返し、屋上から出て行ってしまった。なんなのか、一体。
先輩と同じように、夕日に手をかざしてみるが、まだ眩しくて、目が眩んでしまう。
そのとき、まだ出て行ってから三十秒も経っていないのに、再び扉の開く音がした。
「随分と早いですね、せんぱ――」
振り向いた先。眩んだ目が捉えたのは、沙織先輩ではなく、ジャージ姿で、同級生の、赤根絵美の姿だった。
「ねえ、誠くん。ちょっと話さない?」
彼女はとても穏やかに、俺に微笑んだ。
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