第5話 「ブタカン」と略すと「ブタ」という字が含まれるから「ブカン」と呼ばせるようにした舞台監督


 足元で、カラと小さく音がした。少しばかり退屈な、世界史の授業中のこと。

 音の発生源を辿ってみれば、一本のペンが落ちていた。見覚えのない鮮やかな水色のシャープペンシル。

 ペンの持ち主であろう隣の席の赤根絵美の方を窺うと、彼女はこっくりこっくりと首を揺らし、夢の世界へと船を漕いでいた。どうやら、左ひじでペンを机から押し出してしまった様子。まあ、先生の授業の様子を一言で表せば「黒板と対話している」という具合で、黒板の方ばかりを向いており、進級そうそう寝入っている生徒も少なくないのだが。


 落ちたペンを拾い上げる。よく見れば塗装が所々はげていて、随分と使い込んであることが分かった。


「おーい。コレ、赤根の?」


 小さく彼女の肩をつつきながら声をかける。

 かなり慎重に話しかけたのだが、眠っていた彼女はビクと体を震わすと「え!?」と大きな声を上げてしまう。

 クラスの視線が集まる。先生には注意され、そこかしこからクスクスという笑い声が漏れた。妙なニュアンスが含まれたその笑いが癇に障る。ああくそ、やり辛いったらない。

 そんな俺たちの様子を、前の席の芦原はぼんやりと眺めたあと「昼休みつきあって」と書いた紙を、俺に手渡してきた。



     *  *  *




「では! これより赤根絵美復活大作戦会議を始めたいと思いマス! 進行は『ブカン? ブタカン? 私はブカン派!』の演劇部三年、舞台監督担当の羽鳥明日香はとりあすかが務めさせていただきます。イエー、パチパチー。……オイこら君たち、私だって馬鹿らしいんだから、そんな顔してるんじゃないよ」


 そうして連れてこられたのは演劇部がしばしば練習に使っているという講義室B。ここにいるのは芦原と演劇部の三年生と俺、というよく分からない組み合わせ。

 正直、先輩が何を言ったのかイマイチよくわからない。ブタ……え、何?

 困惑している俺に対し、先輩は今度は落ち着いた様子で挨拶を続けた。


「初めまして、相田君。私は演劇部副部長の羽鳥といいます。えー、さっきも言ったけど、主なタスクは舞台監督という役職で、公演について諸々の管理・スケジューリング等をやっています。役者をすることも多いけどね。……で、部長に『あんたブカンだろ』と言われ、プチスランプに陥ったアカネちゃんを励ます仕事を押し付けられるハメになりましたとさ」


 先輩が丁寧に自己紹介をしてくれた。健康的な丸みを帯びていて、とても柔らかい雰囲気を持った人だ。が、先の最後の一文にも表れているように、芦原曰く「ニコニコと毒を吐く人」であるらしい。

 演劇部のアレソレなど興味もなく、話についていけていない俺を尻目に「さて、まずは現状を整理しましょっか」と先輩は続けた。


「ことの発端はそこの馬鹿芦原バカシハラ君が、うちの劇団のツイッターに、アカネちゃんが相田君の手をギュッと熱く握りしめているシーンの写メをアップしてしまったことにあります。その際のコメントは『ウチの姫がまた暴走ワロタww』とのことでしたー」


 ちょっと待て……。隣を見れば、その芦原はヘッドホンを耳にして、下手糞な口笛を吹いていた。オイこらテメエ……。


「そのヘッドホンを壊してあげよっか? バカシハラ君?」と先輩。

「す、すいませんでしたっ!」と慌てて外すバカシハラ。聞こえてんのかい。


「説明に戻ります。そのツイート自体は比較的早い段階で削除したものの、時すでに遅し。フォローしてくれてるウチの生徒達に広まって、なぜだかアカネちゃんが一目ぼれ&告白したことになっていたのでしたとさ。めでたしめでたし、というわけです」


 凄く、めでたく、ないです。


「まあぶっちゃけ、元々演劇部が奇人・変人の集まりみたく思われていたせいもあって、その噂自体はネタとして扱われているから、私個人としてはどうでもいいんだけど――」

「当事者にはどうでもよくないです……」

「そりゃあね。とにかく問題は、アカネちゃんが、スランプというのかなぁ、ちょっと心ここにあらず的な状態になっているのよねぇ……」


 そう言って先輩は腕を組んで黙り込む。

 たしかに、先ほど落ちていたペンを手渡した時も気まずげな感じで、少しは仲がよくなる前に戻ったようで、俺としても嬉しくない。


「で、部としては本番直前にそれは困っちゃうわけなのよ。んでもって、それはどうにかしたい、ってわけさね。……あーあー、芦原を生贄に捧げればすむ問題ならそうしてるんだけどさ~」

「生贄ってなんスか!?」


 とりあえず先輩と二人で芦原のことはスルーする。


「でさ、アンタたち、何かアイデアない?」


 アイデアと言われましても……。そう思い黙っていると、横で芦原が「手っ取り早く、本当に付き合っちゃえばいいんじゃないかなーとか思うんスけどね」などと、とんでもないことを言い出した。


「よくぞ言った芦原! それ思ってたのよ! ねえ、相田君、ぶっちゃけ君的にアカネちゃんのことどう思うの!?」


 水を得た魚とばかりに、先輩がグイグイと迫ってくる。


「ど、どうと言われましても……」

「かわいくない? かわいいでしょ!? 少女と女性の中間って言うの!? かわいい系の役も綺麗系の役もこなせるウチの秘蔵っ子なんだから!」

「まあ中身はアレですけど」

「バカシハラには聞いてないからっ!」


 なんか二人で(一人で?)盛り上がり始めてしまった。


「で? で? どうなのよぉ?」

「いや……まだ会ったばかりでどうもこうも……」

「この際、外見についてだけでいいわ! 第一印象はどうだったの!?」

「いや……第一印象はナンダコイツって感じで……」


 芦原は「そりゃあアレじゃな」と笑い出し、先輩は「そうじゃなくてぇーー!」と髪を掻き毟る。ナンダコレ。


「でも先輩、アイツ言うほどスランプですかね? 確かに『キツネツキ』の時は、昨日ボーとしてましたけど、役者として出る『勝っとお!』の方はかなり気合い入った演技してたように思うんですけどねー」


 芦原が話題を変えてくれてホッとした。会話の中身は、部外者の俺にはよけいに分からなくなったけれど。


「あー、確かに。かなりメリハリの利いた演技してるよねー」

「元々演出の経験は浅いですし、最近は疲れもあるだろうし、あんなもんなんじゃないですかね?」

「んー。そんなものなのかなー。あるいは演技に力を入れたい理由があったりなかったり……?」

「なんスかそれ?」


 と首を捻る二人。いよいよ意味不明なので帰りたい。脳が理解することを最初から放棄している。


「ねえ、相田君さ、ひょっとして新歓公演見に来てくれたりする?」


 油断したところでこっちに振られるわけですか。そうですか。


「一応、おじゃましようかな、とは思ってるんですけど」

「本当!? ありがとー! それってさ、アカネちゃんには伝えてる?」

「はい、言いましたけど……?」

「へー、そっかそっか。いや別にだから何だってわけじゃないけど。なるほどー」


 ウンウンと一人頷いて、先輩はチラリと時計を見ると、明らかにオーバーなリアクションをした。


「アレマ、イィ時間! そろそろお開きにしよっか。二人ともご飯まだでしょ?」

「ハハハー気遣いありがたいですねー。とても飯食ってる時間が残ってるようには見えないんスけど」と芦原は言う。確かに授業開始までもう十分ほどしかない。


「ちなみに私は五・六限が調理実習だからいらないのよ、オッホホホホ」


 ワー愉快ナ先輩ダナー。


「すまない、相田。この先輩はこういう人なんだ……」


 そうして部屋には、オッホホホホという高笑いと、俺たちの腹の音が鳴り響くのだった。



     *  *  *



 結局昼飯は、五限と六限の間の時間で購買のパンで済ませた。芦原はダッシュの往復で息を荒げながら「こんな量じゃ部活終わりまで持たない」と嘆いていたが。最後小さくに「今日の部活はサボるか……」とこぼしたことは聞かなかったことにする。


 帰りのホームルーム中、横目で赤根の方を見ながら、戻り際に羽鳥先輩に言われたことを思い出す。


 ――無理に巻き込んでごめんね。とりあえずアカネちゃんのこと、気にかけてあげて欲しいな。それじゃまたね。


 気にかけるって、何をだ?

 視線に気がついたらしい赤根と目が合う。小さく首を傾げられたので、俺も首を傾げ返すと、彼女は不思議そうに目を瞬かせた。

「どうかした?」とホームルームが終わった後で尋ねられる。


「いや……」


 よくある声かけとしては「頑張れ」なんだろうけど、こいつは言われるまでもなく頑張ってるだろうからなあ。


「……今度、ノート貸すよ。よだれ垂らして寝てたときの」

「ゲ、見てたの!? よだれまで!?」

「よだれは初耳だよ……。ま、頑張り過ぎない程度に頑張れよ」


 ジャージの袖で口元を隠している彼女にそう声をかけると、少し驚いた顔をしたあとで「うん!」と元気のいい返事が戻って来た。

 ま、これだけ明るい笑顔が浮かんでいるうちは大丈夫なんじゃないかな。



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