第4話 屋上はしばしばボーイミーツガールの舞台として描かれる(この学校の屋上は立ち入り禁止)



 芦原に連れられて、目的地であろう場所に近づいていくと、なぜコイツが場所を知っているのかがよーく分かった。


 ――長老は聞く耳を持ってはくれなかった。

   果たして、単に年を喰らってしまったからか、あるいは権力が人の頭を固くしてしまうからなのか。

   でも! 私にはそんなこと関係ない! だって、私にとって彼は……

 ――カット! うーん、もっと、悲観的な感じを前面に出せません? こう「悲しい哉 悲しい哉 悲しみが中の悲しみ」だ……。みたいな! 今のだと、達観の色が濃いといいますか……

 ――うーん、そっかー。私の感覚としてはさー……


 到達地は講義室B。聴こえてくる日常生活じゃ使わない言い回しの言葉たち。まごうことなく演劇部の練習場所だ。


「ごめんなー。今、新入生歓迎公演の直前でさ、いつでも練習中みたいなかんじなんだわ。で、アイツは結構、キーパーソンでさ。いつも張りつめてる感じで、昨日もその勢いのままで行っちゃった感じなんだよ。ごめんなー」と芦原は全然すまなくなさそうに呟いた。


「関係ないよ。……俺が酷い態度とっちゃったのは、単に俺が悪いだけだから」


 彼女のせいにするつもりなんて、毛頭ない。


「そっか。俺、お前のそういうとこ結構好きかも」

「いいから。早く呼ぶなりなんなりしてくれよ」

「それがさ、俺、裏方だからってサボり気味で、気まずいんだよね。今だって大絶賛遅刻中だし……」

「俺ほどは気まずかねえだろ! 早くしろよ!」


 背中を叩くと、芦原は一つため息をついて「はよざいまーす」と講義室の中に入って行った。


 ――あっ、芦原! あの写真アンタでしょ!?

 ――エ、何のことか分からないヤー

 ――ふざけるのも大概にしてね?

 ――ワオ、とっても怖くてステキな笑顔。それが舞台上で出せればいいのに

 ――ア?

 ――そ、そんなことよりアカネちゃん様にお客さんデース

 ――ハァ、客? またふざけたこと言ってるんじゃ……あ。


 端から聞いてる分には何とも演劇部チックなやり取りの後、一人の女子が廊下に顔をつき出してきた。

 昨日と同じくジャージ姿で、間違いなく隣の席の彼女だ。


 今さらになって名前を知らないことに思い当たる。昨日、ホームルームで自己紹介は全員したはずなのに。

 気まずい沈黙に耐えきれず、ペコリと一つ、会釈をした。


「え、相田君? あ、ちょ、ちょっと待って…………下さい……」


 向こうは自分の名前を覚えていたことと、最後に付け足された「下さい」に心を抉られる。自分が悪いのに、何を傷ついたように感じてるんだ、俺は。最低だな。


 ――すみません。沙織さん、練習を見てて貰えませんか?

 ――ほいほい。それじゃー、そだね。アカネちゃんの出ないところの「勝っとお!」の方の場面を返しておくよ

 ――ありがとうございます。では、少し外します


 再び廊下に出てきた彼女は、手を前で組んで俯いていた。


「それじゃ、相田君、えっと……人気ひとけのないところの方がいいかな?」

「ま、まかせるよ」

「……じゃあ、屋上のところの階段に行こっか。この学校屋上は立ち入り禁止だけど、その分、そこには人来ないから」


 部屋の中から聞こえた声からは打って変わり、今にも消え入りそうな声でそう言って、彼女は歩き出した。

 講義室の中から「もしかして、あの人が例の彼?」なんて言葉が聞こえた気がした。



     *  *  * 



 結局、互いに一言も発しないままで、目的の場所についてしまった。

 屋上前、鍵のかかった扉の前のスペースはなかなか狭く、彼女との距離はかなり近い。俺の視線はさ迷って、彼女が未だ俯いていると把握するのがやっとだった。


 ――なにやってんだ、俺は。謝りに来たんだろうが。



「「ごめんなさい!!」」


 謝りながら頭を下げたのは、彼女と、全くの同時だった。その完璧なシンクロは、重なる声と、思い切りぶつかった頭頂部が教えてくれた。


「「イタッ!」」

「「だ、大丈夫?」ですか!?」


 頭を押さえながら二人して見つめ合う。

 体感では数分、実際にはきっと数秒間ぽっち、俺たちはポカンと見つめ合い、どちらともなく笑い始めた。まるで漫才……いや、それこそ劇の一幕のようだったから。


「ごめん、昨日は言い過ぎた」と自然に声が出た。

「いえ、私もいきなり周りのことも考えずに無茶な勧誘をしちゃって……ごめんなさい」

「……じゃあ、改めてよろしくってことでいい? 席も隣同士だし、仲良くしたいから、さ」

「もちろんです!」と彼女はにっこりと微笑んだ。


「ありがとう。それじゃ改めて、相田誠です。よろしく」と言って、昨日のやり直しの意味を込めて右手を差し出す。ちなみに、名乗り直すことで、相手にも名乗って貰おうという作戦だったりもする。我ながらセコイ。

 ところで俺が視線を逸らしがちになっているのは、そのセコさを恥じているからだ。


赤根絵美あかねえみです。よろしくお願いします」


 彼女の方を直視できていないため、不意をつくように手が握られたように感じる。

 その手は、昨日は気づく余裕がなかったけれど、柔らかくて、とても暖かかった。


「俺のせいだけどさ、その敬語やめよっか。同級生だし」


 気を取り直すように話しかけた。

 さっきの芦原との会話を聞く限り、誰に対しても敬語になってしまう、というわけでもないのだろうし。


「そう……だね。うん、ありがと」

「別に、感謝されるようなことじゃないでしょ」

「んー……。じゃあ、ついでにもう一つ、いいかな?」と彼女は指を一本立てながら笑う。


「なんか怖いんだけど、なにかな?」

「その、さ。誠くん――って呼んでもいいかな? ほら、私の名前って『アカネ』にしても『エミ』にしても、どっちで呼んでも名前っぽいでしょ? だからお互いさまで、ね?」


 やや上目遣いな風にたずねてくる。心臓がドクンと跳ねた気がした。

 演劇部が練習してる部屋まで芦原に連行された辺りから、緊張で心臓が強く脈を打っていたように思うけど、それとはまた違う気がする。

 心の内で、自意識過剰ダメ絶対、と呟いてから、つとめて穏やかに「好きな風に呼んでよ」と答える。

 彼女は「ありがと」と微笑むと「あー緊張したー」と言いながら、ペタリと階段に腰かけた。

 思わず「ごめん」と答えてしまうが「もう終わったことだからゴメンは禁止」と彼女は笑う。


 やっと訪れた穏やかな時間。


 ――ところが突然、彼女は不思議なことを言い始めた。


「セッシャオヤカタとモウすは、おタチアイいのウチに、ゴゾンじのおカタもござりましょうが、おエドをタってニジュウリカミガタ、ソウシュウオダワライッシキマチをおスぎなされて、アオモノチョウをノボりへおいでなさるれば、ランカンバシトラヤトウエモン、タダイマはテイハツイタして、エンサイとなのりまする。ガンチョウよりオオツゴモリまで――」


 これをものスゴーい勢いで言っているのである。まるで何かの発作のよう。


「え! 何事!?」

「ウイロウというヒト――え? えっと、心を落ち着けるおまじない……的な?」

「嘘でしょ!?」

「わ、わりと本当……」


 なんでも演劇部の滑舌練習の題材らしく、部員は大体(具体的には芦原以外)、空で言えるらしい。で、これをただただ早く言うことに集中すると、次第に無心になれるとかなんとか。


「それにしたってビックリするよ……。突然謎の呪文を唱えられたらさ。でも、本当に一生懸命なんだね、演劇に。……あのさ、なんであんな風に、勧誘に全力だったの?」


 少し考えてから、彼女は言う。


「……男子が貴重だっていうのと、あとはまあ、私が周りが見えなくなっちゃうくらいには演劇が好きだから、かな。やっぱ自分の好きなものは、他人ひとにも好きになって貰いたくて。ホントわがままだなって自分でも思うけど」


「そんなに男子が少ないの?」と前半の部分を聞き返した。後半は、俺なんかがとやかく言える話じゃない。


「そりゃあ少ないよ。劇部げきぶなんてどこも大体男子が不足してるのに、この学校、全体でも男子が四割もいないから、男子の獲得は重要課題かな。今練習してる台本も、女子の先輩が男装してるぐらいだし」


 と答えた後で、彼女は慌てたように付け足した。


「や、もちろん役者以外でも良くてね! 芦原とかほとんど裏方専任だし、裏方にも男手が欲しい力仕事は多いからさ! ……て、ごめん。また勧誘みたいなことを言っちゃった」


 また、しゅんとしてしまった彼女を見て、少し面白くなく感じた。そういう姿は、彼女に似合わない気がして。


「ねえ、新入生歓迎公演ってのが近いんだよね?」

「うん、そうだよ? 今週末の土曜日だけど……」


 本当にすぐ近くだな。俺はそんな直前に邪魔をしてしまったのか……。


「それさ、俺も見に行ってもいいの? 新入生じゃなくて、二年だけど」


 少し照れくさくて、頬を掻いて、顔を背けながらたずねてみる。

 けれどすぐに返事はなくて、恐る恐る彼女の表情を見ると、ちょっと如何とも形容しがたい顔でこちらを見上げていた。少し見開かれた瞳に宿る、驚きと期待と、どこか柔らかな光。あるいは俺の罪悪感が創り出す、身勝手な幻想なのかもしれないけれど。


「――もちろん! 大歓迎! もしかして演劇に興味を持ってくれたの!?」

「いや、単純にどんな風なんだろうって思っただけで……赤根も舞台に立つんでしょう?」

「え、私? そ、そもちろん」


 今度はとても分かりやすい満面の笑み――からの噛んだことに気づいての赤面。

 それを見た俺は、何故だか慌てて「えっと、あとは音楽選んでるっていう芦原のやつがどんなセンスしてるのか聞いてやろうと思ってさ!」と付け足していた。


「そ、そうだよね! そりゃね! 仲良さげだよね、アイツと! うん、意外と面白いチョイスをしてくるよアイツは! まぁ、何か萌え~な感じのパッケージの音源多いけど……」


 明らかに後半につれトーンダウンしている。


「ちなみに、その音源について詳しく聞いたことはあるの?」

「ないよ。何か聞きづらいし」


 よかった! エロゲのサントラとまでは知らないらしい!




 その時、ちょうどよくチャイムが鳴った。朝のホームルームまであと十分だ。

 

「あ、私、荷物を練習場所に置きっぱだ。ごめん、ちょっと待ってて!」


 そういうと彼女は、声をかける間もなく、駆け出してしまった。

 別に待ってなくてもいいんじゃないか、と思ったところで気がついた。そうだ、俺ここから教室への行き方がまだよく分からないや。


「いいコだな……」


 小さな呟きだった言葉は、誰もいないその場所に妙に響いた。



     *  *  *



 結局、彼女に案内してもらって、教室にたどり着く。

 時間ギリギリだったためか、部屋に入ると一斉にクラスメイトの視線が飛んできたような気がした。

 ともあれ部屋の一番奥にある自分の席にたどり着くと、すでに教室に戻っていた芦原が、どこか感心したような、どこか呆れたような、そんな表情を浮かべている。


「お帰り、お二人さん。ま、見た感じ仲直りしたみたいでよかったと思うよ。思うんだけど……。随分仲良さげに帰ってきたけどさ、あの噂はまんざらでもないって感じ?」


 コイツが何を言っているのか分からなくて首を傾げていると、横から「ア゛ッ!!!!」という声が聞こえた。


「え? 何? どゆこと?」


 しばらく二人とも返事をしてくれなかったが、赤根のやつが俯いたまま動かないのをチラリと見ると、芦原はようやっと口を開いた。


「……端的に言うとな、昨日のアレが噂になって広まってるんだよ。おまけに……『劇部のヒロインが転入生に一目惚れして告白した!』って風にカタチを変えて」



 ――――ハイ? ナンダッ……テ……??


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