第89話 ロゼッタという守護者

「やっほ、レイグ」

「またここか」


 気が付くと、僕は重力を感じさせないふわふわとした白い空間にいた。何度か来たことのある、女神と直接対話する場所だ。

 案の定、目の前には女神ロゼッタがいる。ニコニコしながら僕へ手を振っていた。


 ただ、どうも前回と様子が違う。

 彼女の輪郭はいつもより明確になっており、モヤモヤしていない。白銀の長髪に、サファイアのような青い瞳。体の特徴がハッキリと分かる。


「何か今回はいつもより景色が鮮明になったな」

「ああ、私の力を抑える宝玉が壊れたおかげで、本来の姿がしっかり見えるのかもね」

「それで、今度は僕に何の用だ?」

「うん、あなたにお別れを言うためにね……」

「『お別れ』……か」


 その言葉に、一瞬胸が締め付けられる。


「あなたのおかげでエルシィの復讐は止められたし、彼女の魂を回収することができたの」

「お前がこの世界に降りた目的が達成された、ということか」

「ええ。だから神々の規定に従って、私は天界に帰るわ」


 これは以前にも彼女が僕に話していたことだ。

 とうとうこのときが来てしまったらしい。


「カミリヤにはお別れを言わなくていいのか?」

「大丈夫よ、もう済ませてあるわ」

「そうなのか?」

「今、彼女は眠っているあなたの傍で、目を覚ますのを待ってる」


 現実世界ではまだ自分の肉体は生きているらしい。カミリヤも無事なようだ。


「それじゃあね、レイグ」

「あのさ、最後に一ついいか?」

「どうしたの?」

「エルシィのこと、あんまり責めないでやってくれ」


 エルシィの魂は天界に戻され、彼女は再び女神として生きることになる。もし再び彼女に何かあれば、今回と同じことの繰り返しになるかもしれない。

 あいつは周りが敵だらけで、安心できる居場所が欲しかっただけなんだと思う。あいつのせいで犠牲になった者は数え切れないが、それでも彼女は僕の中で大切な人であり続ける。

 住む世界が異なっても、彼女には平穏に暮らしていてほしい。安らかな笑顔でいてほしい。僕はそのことを切に願っていた。


「あいつは、ただ……」

「うん、分かってる。だから、今度こそ私が守ってみせるわ」


 ロゼッタの青い瞳が真っ直ぐに僕を見つめる。

 彼女も過去にエルシィを見捨ててしまったことを後悔し、その罪悪感を断ち切ることを決意してこの事態の解決に望んでいた。

 エルシィがこれからどうなるか、それはロゼッタに懸かっている。ここから先は彼女を信頼し、エルシィを任せるしかない。


「さようなら、レイグ」

「ああ。何か寂しくなるな」

「冷血漢なレイグの口からそんな言葉が出るなんて思わなかったわ」

「ずっと一緒にいた仲間を寂しがるくらい、別にいいだろ」

「フフッ、そうね。あ、それとカミリヤのこともよろしく」

「分かってる。じゃあな」


 ロゼッタは脱い胸の前で小さく手を振り、光となって何処かに消えた。

 もう彼女の声は聞こえない。天界に帰還したのだろう。


 僕も本来いるべき場所に帰らないと。

 カミリヤが待っている。

 おもむろに目を閉じ、意識が自分の肉体へ戻るのを待った。













     * * *


 カーテンが風でパタパタとなびく音がする。

 ふんわりとした新緑の匂いが鼻に届いた。


 手に温かい感触がある。

 誰かが僕の手を握っているようだ。


「レイグさん、聞こえますか!」

「あ、ああ……聞こえてるよ」


 耳元の大声に驚き、僕は思わず体を反らす。いきなり姿勢を変えたせいか、急激な痛みが前進に走る。そのショックで目をカッと開くと、すぐ前にカミリヤの顔があった。


「あわわ……ま、まだ体は動かさないで!」

「耳元で叫ぶなよ」

「ご、ごめんなさい……」

「でも、無事で嬉しいよ」

「はい……」


 眼球を動かし、今置かれている状況を整理する。

 どうやらそこは帝都から離れた場所に建てられた診療施設らしい。僕が寝かせられていた病室にはカミリヤ、その背後にはユーリッド、デリシラが揃っている。ユーリッドは壁に寄り掛かって腕を組み、デリシラは僕とカミリヤをニヤニヤしながら見つめていた。


「よぉ、そっちも無事だったか」

「一番の重傷者が何を言うかと思えば……アンタを抱えて神殿を抜けるのは大変だったんだぞ」

「ああ、ここに連れて来てくれたのはデリシラか」

「そうだぞ、ちっとは感謝しろよ。まあ、アタシたちも魔蟲種アラクニドの親玉を倒してくれたことに感謝しなくちゃいけないんだけどな」


 彼女たちにもあちこち包帯が巻かれている。常人とは桁外れの戦闘能力を持った彼らでも、さすがにあの状況では苦戦を強いられたのだろう。

 それでも彼女はヘラヘラと手を振り、僕らに笑顔を向けていた。


「ほら、行くぞユーリッド。二人の邪魔しちゃ悪いからな」

「ああ、そうだな」


 デリシラは指で作った輪に人差し指を挿すジェスチャーをしながら部屋を出て行った。

 僕らに何を期待してるんだ、こいつは。

 カミリヤはジェスチャーの意味が分からないのか、首をかしげていたが。


 反抗勢力レジスタンスの二人組が消え、病室に静けさが訪れる。しばらく互いを見つめ合い、手を重ねた。


「……」

「えっ、あの、レイグさん?」


 僕は何も言わず、彼女をベッドに抱き寄せた。離れられないよう腕に力を込める。

 体を強引に動かしたため多少の痛みは響くが、今はそんなのどうでもいい。この戦いを生きて乗り越えたことを早く彼女と喜び合いたかった。

 しかし彼女に笑顔はない。体が震え、何かに怯えているようだ。


「レイグさん……ロゼッタさんが……」

「ロゼッタなら僕のところにも別れの挨拶に来たよ。あいつは自分の役割を成し遂げたんだ。いつまでもこの世界にいる訳にはいかなかった」

「でも……」

「これからはずっと僕が傍にいる。あいつと約束したんだ。今度は僕がお前を守るって」


 ロゼッタはカミリヤを女神教団の儀式から救い出してくれた恩人だ。天界への帰還に一番ショックを受けているのは間違いなくカミリヤだろう。きっと彼女はこれからの生活に不安を感じているはず。それを払拭するのは僕の役目だ。


「大丈夫」


 僕は彼女の涙を指でそっと拭い、唇を近づける。


「レイグさん……」

「一緒に生きていこう、カミリヤ」

「はい……」

 

 時間が流れるのも忘れて、僕らはずっと唇を重ねていた。

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