最終章 愛した人に見守られて

第88話 マグリナという姉

 ここはどこだろうか。

 ルイゼラを倒すためにアルビナスが爆発を引き起こし、私はその爆風に飲まれた。

 私は死んでいるのか、生きているのか。


 どこまでも広がる暗闇に、自分とエルシィだけが立っている。

 彼女は失踪した当時の学生服姿のまま、穏やかに微笑んでいた。


「お久し振りです、マグリナ姉様」

「エルシィ……」

「今日は最期の挨拶をしたくて、あなたをここへ呼びました」

「待ってくれ。『最期の挨拶』って何だ? 私も、お前も死んだのか?」

「いいえ。死んだのは私だけです。姉様の肉体はまだ生きてます。私がこの場を設けたのは、姉妹関係をギクシャクしたままお別れしたくないと思って……」


 思い返せば、私には父から遊んでもらった経験がない。いつも彼はエルシィとだけ娯楽を楽しみ、私にはあまり接して来なかった。

 父とのコミュニケーションと言えば、私に分厚い学術書を渡して「これをよく読んで勉学に勤しみなさい」と言うだけだ。私が勉強していた書斎の窓から、父と駆けっこをするエルシィの姿が見える。

 私とエルシィの大きな違いは、クアマイア家の正統な次期当主であるか否かだ。だから彼女には勉学に勤しむ必要が大してなかったのだろう。


 私が父から欲しかったのは、参考書ではなく愛情だ。私はエルシィのように、父から自分をもっと見て欲しかったのに。なぜ正妻との娘である私が愛情を注がれないのか。毎日の疑問だった。

 それでも、正統な後継者である私の方が幸せなはずだ。溜まった鬱憤は彼女を性奴隷の如く扱うことで晴らす。そうすることだけが私の膨れ上がる嫉妬を抑える唯一の手段だった。


 やがて自分は政府職員になり、様々な雑務へ取り組むようになった。

 その仕事の一環として魔術師養成学校の視察をしたとき、あの忌々しい出来事が私を襲ったのを今でも覚えている。

 学園関係者と会談し、次期帝国軍の戦力になりそうな人材をリストに挙げる。そんな仕事を終えて政府庁舎の職場へ帰還しようとしたとき、私は学園の渡り廊下で目撃してしまった。

 在学中のエルシィが、同級生男子の腕を抱えながら歩いているところを。仲睦まじそうに寄り添い、頬を男の肩へ擦り付けていた。


 私はあの光景に酷く衝撃を受けた。

 自分もこの学園に在籍していたことがあったが、当時は父親から勉学の邪魔になるような色恋沙汰は避けるよう強く言われていたのに。私には男子の腕を抱くなんて行為はゆるされなかったのに。なぜエルシィばかり、こんな……。


 その瞬間、心の底に溜まっていた嫉妬の塊が弾けたような気がした。

 自分は彼女より高い地位を手に入れている。自由に使える財産も彼女よりたくさんある。

 それなのに、私よりも彼女の方が人生を充実させているような気がしてならなかった。


 後に私兵を使ってエルシィと歩いていた男を特定する。名前はレイグというらしい。

 やがてエルシィが行方不明となり、私は極秘裏にレイグのことを調べ上げた。彼は成績の繰上げ目的で彼女を殺害したという噂があり、それが真実なのか興味があったのだ。しかし調査の結果は白。どの証拠も彼が殺害に関与していないことを示していた。


 エルシィはどこかで生きている。

 もしかすると、これは駆け落ちなのではないかという不安が過ぎった。彼女が学園を卒業して私の家に戻れば、再び性奴隷としての日々が待ち受けている。彼女はそれを避けるため、後にレイグと合流する形で駆け落ちすることを目論んでいるのかもしれない。


 レイグをカミリヤという少女と一緒に魔蟲種アラクニド討伐の刑へ差し向けたのは、エルシィが彼の元へ戻ってくることを恐れていたからだ。

 同じ家庭で育ったエルシィが自分よりも充実した人生を送っているなんて認めたくなかった。自分が不幸だと思いたくなかった。そんな風に周囲から思われることも、自分のプライドが許さない。

 だから私は妹を殺された可哀想な姉を演じた。周囲には妹の敵討ちとして討伐刑を命じたと思わせ、本当の目的はエルシィが幸せになることを阻止することにある。


 私が憎んでいたのは、レイグではない。

 本当に憎かったのはエルシィだ。


「エルシィ、本当は……」

「分かってます、マグリナ姉様。私も知ってました。姉様は私のことを疎ましく思っていたことも、私にしてきた行為の意味も……」


『私も知ってました』。その言葉に私の心が軽くなったような気がした。

 私は強い自分を他人に見せるため、随分と無理をしてきたのかもしれない。心の余裕がなくなり、それを晴らすためさらに他人を虐げてきた。


「辛い役割を姉様ばかり背負って、私はそれを見て見ぬ振りを続けていました。そのことをいつか姉様に謝りたかったんです」

「私も……あのことはすまなかった、エルシィ」


 不意に涙が零れる。

 ずっと隠してきた本心を誰かに話したのはいつ以来だろうか。


「姉様はもう家の仕来しきたりにも、帝国のルールにも縛られる必要はありません。だから、これからはかつて自分の目指した政治家になってください」

「エルシィ?」

「さようなら、マグリナ姉様」


 その瞬間、エルシィの体は風に吹かれる花弁のように散っていった。彼女の優しい言葉がいつまでも心の奥に残り続ける。

 白い光が激しく点滅し、私の体も彼女と同じく散っていった。




















「マグリナ様が目を覚ましたぞ!」

「誰か、至急フランデ少佐を呼んでくれ!」


 自分の周りから発せられる大勢の声で意識が覚醒していく。

 全身が痛い。肌のあちこちに包帯がきつく巻かれているようだった。


「ああ、マグリナ様、やっと治療魔術が効きましたね!」


 私の瞳を若い女が覗き込む。彼女は確か、帝都防衛部隊の指揮官、ユゥリナ・フランデ少佐だ。その後ろには複数人の兵士が立っており、私たちを見守っている。彼らの多くは負傷しており、腕や頭部に巻かれた包帯が確認できた。


「瓦礫に埋もれていたところを市民が救助したんです。あと少し遅れていたら危なかったんですよ」

魔蟲種アラクニドはどうなった? 状況を報告しろ」

「ああっ、まだ動かないでください! 傷に響きます!」

「構わん」


 私は痛みに耐えつつ、ベッドに横たわっていた体を無理矢理起こした。

 ここは帝都防衛拠点の病棟だろう。足を引きずりながら病室を出ると、廊下にも外にも負傷した兵士が寝かせられているのが目に入った。


 帝都の街並みはどうなったのだろうか。

 高所からの景色を見るために屋上へ向かおうと足を進めると、大量の報告書を抱えたユゥリナが私に随伴してくる。


「今から数時間前、謎の光が魔蟲種アラクニドから発生し、彼らは周辺から消え去りました。恐らく、撤退したのだと思われます」

「原因は?」

「不明です。調査に人員を割こうにも、倒壊した建造物に閉じ込められた市民の救助に人手が足りなくて……」

「それならそれで構わん。救助作業を続行しろ」

「承知しました」


 ユゥリナは病棟屋上の扉を開け、眩しい陽光が視界に飛び込む。

 そこから見える帝都は大きく変貌していた。整えられた街並みは散らかり、どこが道だったのかすら分からない。大火も完全には収まっておらず、あちこちで黒煙が昇る。


「で、被害は?」

「帝都全30区画ブロックのうち18区画が壊滅状態です。ほとんどの建造物が倒壊し、未だ多くの市民が埋もれていると推測されます。それと……」

「それと、何だ?」

「皇居が襲撃され、避難直前の皇帝陛下と直属の騎士団が……」

「そうか」


 皇帝が亡くなったことに、不思議とあまりショックは受けなかった。

 自分が身を粉にして仕えてきた男だが、今はどこか遠い存在のように感じる。


「マグリナ様、これから私たちはどうすればいいのでしょう?」


 ユゥリナは不安げな表情で私の顔を覗き込んだ。目の奥が怯えている。

 また、そんな顔を見せていたのは彼女だけではない。地表にいる市民たちも屋上に立つ私を暗い顔を上げて見つめていた。

 確かに帝国の本拠地がこうなってしまった現在、次に押し寄せる問題が山ほどあるだろう。負傷者の手当て、街の復興、経済の再生、そして何より帝国の虚弱化で敵国や植民地の反抗勢力レジスタンスが活気付くことが心配だ。


「大丈夫だ、少佐。何とかしてみせるさ、この私がな」


 今の自分を縛るものは何もない。家も、皇帝も、全て消え去った。

 だから、今度は私が国を導かなければならない。

 昔の自分が目指したやり方で国を再生するのだ。


「私はやり遂げるぞ、アルビナス、エルシィ……!」


 彼らはきっとどこかで見守ってくれている。

 私はその遺志を抱え、瓦礫だらけの街へ歩き出した。

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