第87話 エルシィという神様
「やるね、レイグ君」
「首席卒業が中退に負けるわけないだろ」
「ふふっ、どれだけ首席が好きなのよ」
僕とエルシィは神殿の床に仰向けになりながら、白く変化しつつある夜空を見ていた。
紅い流星が落ちてくる。それは僕らのすぐ傍に激突し、神殿の彫像や柱を粉々に押し潰した。
「クォォォ……」
「もういいんだよ、
「クォォォォン……」
「頑張ってくれてありがとう」
エルシィが優しく微笑みかけると、
やがて巨躯からポツポツと光の粒が現れる。あれが閉じ込められていた魂たちだろう。何千、何万という蛍にも見える淡い光が浮かび上がった。最期は風に吹かれる塵のように天へ昇り、朝陽に溶け込むように消えていった。
「それじゃあ、私もそろそろ逝くね」
「エルシィ……」
彼女の冷たい甲殻の指先が、僕の指に触れた。
「レイグ君は私を引き止めなかったことを後悔してるんだよね?」
「ああ……」
「私はね、今こうしていることに後悔はしてないよ。確かにレイグ君とあのまま恋人を続ける人生もあり得たけど、これは私が自分自身で決めた選択肢なの。中途半端な覚悟で復讐なんか始めないよ」
「……」
「でも……でもね、レイグ君と別れている間、何度も君のことを思い出したの。『あのまま学園生活を続けていたらどうなっていたんだろう』とか『今の私をレイグ君が見たら何て言うんだろう』とか、不意に考えちゃうんだ。これって、きっと、本心では君を求めていたってことなんだろうね」
僕はエルシィの手を、出せる限りの力で強く握り返した。
やっぱり、エルシィには生きていて欲しい。
そんな願いとは逆に、手の中にある彼女の存在は徐々に薄くなっていく。
彼女の肉体から無数の白い蝶々が飛び立ち始めたのだ。
「レイグ君、私を好きになってくれてありがとう」
「ありがとう、エルシィ」
「元気でね」
僕の手の中に、彼女はもういない。
飛んでいた蝶も完全に見えなくなった。
深い喪失感の中、僕の意識も遠くなっていく。体に負担を掛けすぎたのだろう。元々、失血死していてもおかしくない状態で駆け、戦い、傷付いた。僕もこのまま死んでしまうのか。
まだ眠ってはダメだ。
すぐそこにカミリヤが待っている。
早く、彼女に会わないと。
彼女を安心させてあげないと。
そう思いながらも、僕の視界はさらに霞んでいく。手にも力が入らない。
遠くでカミリヤが何かを叫んでいる。僕を必死に呼んでいるのだろうか。聞き取ろうにも意識が朦朧として彼女の言葉を掴めない。
やがて僕の意識は暗闇へと飲み込まれた。
その頃、ユーリッドは神殿へ押し寄せる魔蟲種を討伐していた。エルシィとの決戦に余計な邪魔が入らぬよう、神殿前にそびえ立つ巨大な門の頂上から光の矢を増援の頭へ撃ち込んでいく。
だが、それも限界に来ていた。
腕が痺れ、矢が形成されない。視界が眩み、膝を床に着いた。
「ここに来て魔力切れか……」
目の前では多くの小鬼蟲戦車が砲身を自分へ向けている。
俺もここで終わりか。
彼はそう思い、目を閉じた。
しかし、いつまでも敵から砲撃は始まらない。
魔蟲種たちはまるで操る糸が切れたかのように静止し、天を見つめながら発光していた。体全体から蟲魂が放出され、黒かった甲殻が白銀に輝く。
それは神殿前だけの出来事ではなかった。
帝都防衛拠点を襲撃していた魔蟲種も、これから帝都に攻め込もうとする魔蟲種も、世界中で一斉に光り出す。
そして彼らは徐々に消えていった。体が光の粒に変わり、甲殻すらも残らない。
エルシィという主を失った魔蟲種はその世界に存在する意味も消えた。彼らに閉じ込められた魂を繋ぎ止める鎖は解け、本来あるべき輪廻へと戻り始めたのだ。
「終わったんだな、レイグ」
ユーリッドは門の屋根に寝転び、横から昇る白い太陽を見つめた。
その日、魔蟲種は世界から一匹もいなくなった。
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