第86話 勇者という強者

「あり得ない、骸鬼ヘカトロンが傷を負うなんて……!」


 エルシィは落ちてきたしもべの腕を見つめ、震える声で呟いた。

 空へ視線を戻すと、まだ青と赤の流星がぶつかり合っている。互いに翼のような背甲から膨大な魔力を放出し、それを推進力に空中を飛んでいるようだ。


 骸鬼ヘカトロンの繰り出す多数の腕を使った剣術も、勇者は太刀筋を完璧に把握していた。勇者の剣はたった一本だが、その一撃は敵の防御姿勢を仰け反らせて崩し、生まれた隙を見逃さない。分厚い装甲を難なく砕き、再び腕が落下する。徐々に敵の手数は減っていった。


「クオオオオン!」


 悲しげな鳴き声とともに、骸鬼ヘカトロンの口から紅い光線が放たれる。

 繭から誕生したときに帝国兵を消し去ったあのビームだ。しかも今回は体のエネルギーを一点集中させており、前回よりも威力を増している。


 しかし、その光線すらも勇者の装甲には届かない。

 当たる直前、勇者の剣がビームを真っ二つに両断し、空の彼方へと弾きながら骸鬼ヘカトロンに突進を仕掛ける。

 勇者の強烈な一太刀が、今度は骸鬼ヘカトロンの腕を二本同時に切り落とした。

 最初は六本あった腕だが、今は二本だ。完全に勇者が優勢であり、敗北の気配を全く見せない。


「どうして……ロゼッタの勇者を研究して、絶対に勝てるよう設計したはずなのに!」


 エルシィのヒステリックな叫びは上空での戦闘音に掻き消えた。

 ここに来て初めて彼女の慌てる姿を見た気がする。自信満々だった笑みは無くなり、手が微かに震えていた。


「まさか、あのときは実力を出していなかったとでも言うの?」


 エルシィは氷壁に隔離されているロゼッタへ殺意を込めた視線を送る。ロゼッタも同様に自分の元弟子を睨み返した。


 骸鬼ヘカトロン騎兵トルーパーとの戦闘経験を基に作られた。

 しかし現在はその設計にも関わらず力量に圧されている。

 つまり、エルシィは当時召喚された勇者をロゼッタの全力だと思っていたのだ。彼女も自分の持てる技術を全てあの魔蟲種アラクニドに注ぎ込んだと思われるが、そこはロゼッタの方が上だったのだろう。


「何だよ。やればできるじゃねぇか、ポンコツ女神」


 ここまでの苦しさが一気に吹き飛ぶほどの快感だった。思わず僕の口から笑みが零れる。

 今までずっとカミリヤを守り、苦労を重ねてきた。彼女に腹が立ったことも、自分の命まで危険に晒されたこともあった。それがようやく報われたのだ。


「さあ、そろそろこっちも蹴りをつけよう、エルシィ」


 僕は杖を構え直し、魔力を充填し始める。


「私があなたたちに負ける訳が……!」


 エルシィも腕に魔力を込めて駆け出した。

 強化された筋力で一瞬の間に僕へ詰め寄ると、鋭利な爪を振り下ろす。刃先は僕の胸元を掠め、再び僕のローブに穴が開いた。マグリナに斬られた箇所だ。傷口が再度広げられ、血が滲んでいく。


「ちっ……またかよ」

「そんな傷を抱えているのに、どうしてまだ戦おうとするのよ」

「アイツには幸せになってほしいからな!」


 僕は杖から炎魔術を発動させ、エルシィを巨大な火球で包み込んだ。


「そんな攻撃、私には通用しないわ!」


 当然、彼女はこの魔術も相殺してくるだろう。

 腕から放出される炎で僕の火球を掻き消し、炎の中から姿を現した。


 僕の狙いはその瞬間だった。

 仕込杖から刃を引き抜き、炎の勢いが減衰するのと同時に彼女の懐へ飛び込む。


「あがっ……!」

「僕が使えるのは魔術だけだと思うな」


 高熱の火球は目くらましに過ぎない。本当の目的は彼女に杖の刃を突き立てることであり、これで一気に止めを刺す算段だった。


 刃はエルシィの胸元を貫いた。

 ドロリとした生温かいものが僕の手に触れる。甲殻に穴が開き、黒ずんだ体液が漏れ出していた。次は刃を横に、胸を裂く。魔蟲種の強靭な肉体を完全に破壊するために、それなりの惨い手段を用いなければならないのは僕にとって大きな苦痛だった。


「レ、レイグ君……」

「あのとき、お前が抱えているものを分かってやれなくて……すまない」


 嫌な感触だった。

 かつては両想いになった相手を斬るなんて。

 刃を引き抜くと、エルシィはゆっくりと倒れていった。


 彼女が傍にいた学生時代に戻りたいと何度願っただろう。

 それでも失った時間は戻らない。

 どうして当時は彼女が大切だと気付かなかったのか。


 やがて僕の体も全身から力が抜け、大理石の床へ倒れた。失血と魔力切れと疲労、様々な負担が僕に積み重なっている。僕はエルシィの横へ寝転び、仰向けになって夜が明けつつある空を見上げた。


 ガシャリと大きな衝撃音が響く。

 そこには勇者の剣に胸元を貫かれている骸鬼ヘカトロンの姿があった。

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