第84話 杖という武器

「無事でいてくれ、カミリヤ……!」


 僕は骸鬼ヘカトロンの放つ紅光を追い、帝都中央に聳え立つ神殿に向かって走っていた。

 街路はどこも死体と兵器や建造物の残骸だらけだ。カミリヤもこの道を駆けていったのだろうか。

 いつの間にか上空を旋回していた蝿の王たちは消え、街は一時的な静寂を取り戻していた。消えた理由が何にせよ、今の僕には好都合だ。この間にカミリヤを見つけ、エルシィの凶刃から彼女を護らなければ。


 もうすぐ神殿に到着する。

 僕とカミリヤの関係が始まったあの場所だ。

 当時と現在では、僕らの関係も、帝都の景色も随分と変わってしまった。僕は、彼女は、帝都は、一体ここから先どうなるのだろう。


 僕はこの先に自分が求めるものがあることを祈りながら、神殿へ足を踏み入れようとした。


 そのとき――


「そこにいるのは、レイグ君か?」


 今にも風に掻き消されそうな声で呼び止められた。荒い呼吸音と、しわがれた男の声がする。

 足を止めて振り向くと、瓦礫の山へ寄り掛かるように白髪の男がそこに倒れていた。

 血まみれになった政府職員の正装に、胸に飾られた金色のバッジ。

 彼の服装には見覚えがある。かつて僕は彼の供として何度も仕事をしてきた男だ。


「まさか……大臣!」

「やっぱり君だったか……こんな状況下でよく生きていたな」


 間違いなく彼はこの国の大臣だ。

 僕が囚人として旅に出される前、この人の秘書として仕えてきた。僕の政府内での昇進にあらゆる面で関わってきた恩人である。まさか、この惨劇の中で再会するとは予想外だったが。


「その怪我はどうしたんですか!」

「さっき、魔蟲種アラクニドにやられてな……」


 出血したままここまで歩いてきたのだろうか、赤い足跡が崩れた宮殿から続いている。

 そして、彼の傍らには白銀の杖が転がっていた。帝国の紋章エンブレムが彫られ、深紅の宝石が埋め込まれた、いかにも高貴な杖だ。


「応急処置だけでもします。その杖を貸してください」

「治療はいい。この傷では治したところで長くは生きられんよ。それよりも、君はこの杖を持って逃げなさい」


 彼は横目で杖を見つめ、嘆くように深い溜息を吐いた。


「その杖は陛下の護身用に特注された品だが、持ち主はもうこの世にいなくなってしまった」

「まさか、陛下が殺害されたのですか! 地下へ脱出しなかったのですか!」

「脱出直前に敵が現れてな。宮殿ごとあの有り様だ。私はどうにか生き延びて、今度は自分を守るために杖を担いで帝都から逃げようとしたのだが、思ってたよりも傷が深かったらしい。もう手足の感覚が消えてしまった……」


 大臣は遠い目で大火で赤く染まった空を見つめる。

 まるで何かを思い出しているかのように。


「さぁ、早く逃げなさい。陛下を襲った魔蟲種にはその杖が通用しなかったが、その辺にいる小型魔蟲種なら簡単に倒せるはずだ」

「大臣……」

「陛下を失った今、帝国はもうお仕舞いだ。君は他国への亡命も考えておくといい。まさか今日、この国の終わりが来るとは全く予想していなかったがな」

「そんな……」

「私は、この国に仕えていて幸せだったさ」


 大臣は動かなくなった。呼吸音が止まり、顔の血色が失われていく。

 彼は最期まで祖国に仕えたことを誇りに思っていたのだろう。とても深い傷を負っているとは思えない、穏やかな表情で眠っていた。


「申し訳ありません、大臣。今の自分にはやらなければならないことがあります。だから、まだここから逃げる訳にはいかないんです」


 僕は大臣の血で濡れた杖を強く握り締め、神殿へと再び駆け出した。
























「ぐぁっ!」

「アハハハハッ! さっきまでの威勢はどうしたのかなぁ、カミリヤちゃん!」


 神殿では少女同士が殴り合いを始めていた。

 復讐を始めようとするエルシィと、復讐を止めようとするカミリヤ。譲れない意志を胸に、彼女たちは戦いに挑んでいた。


 だが、その勝負はエルシィが圧倒的に有利だ。

 人間離れした脚力で床を跳ね、カミリヤの目では追いつけない速さで死角へと回り込む。背中に、脇腹に、エルシィの蹴りが次々と食い込んでいく。

 エルシィは天と地ほども差がある敏捷を武器に、カミリヤを完全に弄んでいた。カミリヤが悲鳴を上げる度に嘲笑い、勇者なしでは何もできない彼女を挑発する。


「この化け物がああっ!」

「ああ、そういえば君もいたね」


 すでに重傷の灰狼女が、エルシィの背後から殴り掛かる。


 しかし――


「遅いよ」

「うぐっ!」

「そんな体でまだ戦うつもりなの?」


 デリシラの一撃はひらりと回避され、カウンターの膝蹴りがエルシィから叩き込まれる。その威力はデリシラを大きく吹き飛ばし、後方にあった大理石の柱へ激突させた。石が粉々になり、彼女は倒れた柱の下に埋もれた。


 ルイゼラ同様、エルシィも半魔蟲種ハーフアラクニドになったことで身体能力が格段に向上していたのだ。彼女の華奢な体格からは想像もできない腕力がカミリヤの首を掴み、軽々と彼女を持ち上げた。


「さぁ、続きをしよっか、カミリヤちゃん。普通に殺すだけじゃ面白くないかなぁ。もっとカミリヤちゃんには絶望してほしいかも」

「絶対……あなたには……屈しません!」


 首を押さえられて苦しそうな表情になるも、カミリヤは威勢を張って耐えた。

 そんな彼女をエルシィは舐めるように全身を見渡す。

 そして、エルシィの視線はカミリヤの腹部に止まった。


「へぇ、カミリヤちゃん。レイグ君と子どもを作ったんだ」

「それは……」

「この子宮を潰しちゃえば、少しは絶望してくれるかな」


 エルシィの黒い腕が、カミリヤの腹部を撫でた。指先のナイフのような甲殻がシーツを裂き、そこに浅い傷口を作っていく。少しずつ血が滲み、シーツを赤く汚した。


「いや……!」

「そうそう、そういう顔が見たかったんだよ」


 愛する人との子どもを奪われるかもしれない。

 その恐怖に、カミリヤは怯え、大粒の涙を流した。


 やはり、腹の中にいる子がカミリヤの弱点だ。

 そう確信したエルシィは指先に力を込め、彼女の腹部へ強烈な一撃を加えようとその手を大きく振り上げた。


 そのとき――


「……痛ッ!」


 攻撃を準備していた手に激痛が走る。

 カミリヤを咄嗟に床へ突き離して痛む箇所を見ると、ひじから先が凍っていた。大量の氷が纏わり付き、氷柱つららが手の平を貫いている。


 これは氷魔術だ。

 誰かが自分へ攻撃した?


「まさか――!」


 エルシィは倒れるカミリヤを他所に、周囲を見渡した。


 神殿の大広間の入り口に、こちらに白銀の杖を向ける男性が立っている。

 黒髪で、冷たい目をした青年。


「やっぱり来たんだね、レイグ君」

「ああ。今度こそ決着をつけようか、エルシィ」


 レイグとエルシィの最後の戦いが始まろうとしていた。

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