第82話 勇者という光

 小石を踏んで、素足は所々出血している。

 呼吸も苦しい。


 それでも私は勇者召喚のために、帝都の大通りを走り続ける。


「カミリヤ、上から蝿の王ベルゼブブが狙ってる!」


 神殿へ向かう途中、帝都上空を旋回する蝿の王ベルゼブブ刈者リーパーが私へと一斉に接近してきた。自分の背後で彼らの羽音が大きくなってくる。


 もう少しで敵の爪が私に触れてしまう。


 そのとき――


 ドゴッ!


「キュオオオオオッ!」


 私の横から突然飛んで来た巨大な戦斧バトルアクスが、蝿の王ベルゼブブの甲殻へ深く突き刺さった。敵は傷口から黒い体液を振り撒きながら床石へ激突し、地面を削りながら建造物へ転がり込む。


「今のは……!」

「おーい、こっちだカミリヤ! シーツを体に巻いてどこへ走ってるんだ?」


 気が付けば、自分の隣を狼の獣人が並走していた。この人には見覚えがある。荒野の蝿の王ベルゼブブ討伐で共闘してくれたデリシラ・ガーグワンだ。先程の戦斧は彼女が投げ付けたものだろう。


「お前、足がくっそ遅いな。そんなんじゃすぐ敵に追い付かれるぞ」

「うっ……!」

「アタシが抱えて走った方が速いな、こりゃ」

「ええっ、ちょ、デリシラさん?」


 彼女は走りながら私の腕を引っ張ると、ふわりと持ち上がった私を胸元に抱え上げた。お姫様抱っこというヤツだ。彼女はそのまま私とは比べ物にならない速度で、街路を、屋根を、壁を猛スピードで駆け抜けた。

 抱かれながら後方へ振り向くと、蝿の王ベルゼブブたちが次々と光の矢に射抜かれて地表に落下していく。おそらくデリシラの相棒であるユーリッドがどこかから攻撃しているのだろう。


「デリシラさん! この先にある神殿へ向かってください! そこで私の術を使えばここにいる魔蟲種アラクニドを一掃できるかもしれません!」

「おう、分かった! もしかして勇者召喚するのか?」

「はい! どうにか私の力が復活したんです!」


 デリシラは息を切らさずニコリと微笑み、走る速度を上げた。


 そしてようやく辿り着いた。

 私とレイグさんの関係が始まった、あの場所に。


「私、本当に戻ってきたんだ」


 デリシラは本殿へ続く長い階段を駆け上がり、大理石の柱が並ぶ通路を潜り抜ける。

 その先に私がかつて勇者召喚しようとした魔法陣が描かれているはずだ。


「あった、これです!」


 魔法陣は当時のままそこに残っていた。

 マグリナがもう一度皇帝の前で私に召喚術を使わせるために保存していたのだろう。とにかく今はそれが好都合だ。早く術を実行し、帝都ここにいる魔蟲種を排除しなければ。


 そのとき――


「カミリヤアアアアアアアッ!」


 神殿の入り口から、ズシンズシンという振動が私たちに近づいてくる。まるで巨大な何かが走っているかのような音だ。柱が床へ倒され、踏まれて粉々になっていく。

 そして敵の姿を視界に捉えたとき、私は小さく悲鳴を上げた。それは巨大な魔蟲種アラクニドで甲殻に老婆のような顔が形成されており、その人相がルイゼラによく似ていたからだ。まさか人間が魔蟲種に変化したとでも言うのだろうか。

 さらにその後方には十体以上の小鬼蟲女王ゴブリンセクト・クイーンが随伴していた。小鬼蟲の最高峰である彼らがあんなに集まって行動しているのは見たことがない。何者かが彼らを集まるようコントロールしているとしか考えられなかった。


「チッ、もうこんなところまで化け物が入り込んでいるのかよ」


 デリシラは私を魔法陣の手前に降ろすと、敵に向かってファイティングポーズを構える。


「お前は勇者召喚を始めろ。アタシは時間を稼ぐから、その間に必ず成功させてくれ」

「はい!」


 さすがにデリシラでも、女王クイーンを何体も同時に相手はできないだろう。早く勇者を召喚しなければ、彼女の命も危なくなる。


 私は魔法陣に向けて自分の意識を集中させ始めた。全ての感覚が消えていき、まるで幽霊になったみたいに魂が体から離れていくようだ。この間、私の肉体は完全に無防備になってしまう。それでも私はデリシラを信頼し、自分の魔力を注いで天界に漂う魂へ呼び掛けた。


「お願い、力を貸して……!」


















 やがて徐々に肉体へ感覚が戻り始める。

 現実の時間では数十秒ほどしか経過していないはずだが、デリシラはどうなったのだろう。


「デリシラさん!」

「よぉ……術は終わったのか?」


 自分のすぐ後ろに彼女は立っていた。

 血だらけの状態で、私を守るように。

 私が肉体を離れている間に激しい戦闘があったのだろう。周囲の柱が何本も折れ、床には幾つものクレーターが広がっていた。


「アァァッ! 女神様ァ! モット祝福ヲ! 破壊ノタメニ! 我ガ敬愛ニ御応エクダサァイイイイイイイッ!」


 傷だらけの灰狼女に対し、ルイゼラらしき魔蟲種の顔には傷一つ入っていない。

 敵は勝ち誇った笑みを浮かべながら大きく口を広げ、咆哮の準備を始めた。このままでは私ごとデリシラも吹き飛ばされてしまうだろう。


「お願い、勇者さああああああああああああああん!」


 私は絶叫した。

 天に届くように。


「アアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」


 私の叫びを掻き消すように、ルイゼラの口から咆哮が放たれた。













「……?」


 しかし、いつまでも咆哮による衝撃波が自分へ届くことはなかった。


 何が起きたのだろう。

 私は恐怖で閉じていた瞼を少しずつ開いた。


「あ……!」


 私の目の前に光り輝く巨人が立っている。

 白銀の甲殻を纏い、手には巨大な剣を持つ騎士のような姿。ロゼッタ本来の姿と同じ青い瞳が敵を見据える。ルイゼラと私たちの間へ割って入り、その鎧のような甲殻が咆哮を弾き返して私たちを守っていた。


「白い魔蟲種アラクニド……? まさか、こいつが……?」

「やっと現れてくれたんですね、勇者さん」


 ああ。

 何度この巨人の再来を待ち望んだだろうか。祈った回数は数え切れない。

 やっと、やっと来てくれた。

 蝿の王ベルゼブブ騎兵トルーパーとの戦い以来だ。


「目の前の敵を切り伏せなさい!」


 巨人は私の命令で剣を構え、白金のような輝きを放つ剣先がルイゼラを捉える。


「アッ……ガァッ!」


 私が瞬きをすると、ルイゼラと女王クイーンたちはすでに両断された後だった。

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