第81話 復讐という根源
脳内でループする。
あの光景が、何度も、何度も。
数年前の出来事だ。
その日、私は家の窓辺でロッキングチェアに腰掛けながら編み物をしていた。編んでいるのは防寒用の小さな服だ。
「あの子、このサイズで大丈夫だったかしら」
もうすぐ私の息子は六歳になる。この時期の子どもは随分と成長が早いものだ。せっかくピッタリのサイズで衣服を作っても、すぐ息子の体格に合わなくなってしまう。
本人にサイズを確認しようにも、息子は現在外出中だ。町の教会で女神に祈りを捧げる儀式があり、牧師の夫が息子を連れて参加している。
自分は町の外から嫁いできた人間だ。女神教への信仰心もまだまだ薄く、今日の儀式は見送った。しかし、いつかは自分も彼らに加わらなければと思っている。
あの事件が起きたのは、そんな平和な時間を過ごしていたときだった。
ドォォォン……!
外で何かが爆発するような音がした。窓ガラスがガタガタと揺れ、遅れて多くの人の悲鳴も聞こえてくる。
嫌な予感がした。
私は製作途中の服を机に置き、玄関の外へ飛び出す。
「何よ、あの煙は……」
町の教会から黒い煙が昇っている。夫は、息子はどうなったのだろう。
胸騒ぎを抱えたまま、悲鳴が飛んでくる方角へ裸足のまま走り出した。
視界に飛び込んできたのは、外壁に巨大な穴が開いた教会だ。穴の奥から黒煙が上がり、祭壇は黒焦げになっている。
この騒ぎで負傷したのだろうか。教会から離れた場所には儀式の参加者らしき人々が横たわり、そのすぐ傍で教団のシスターが彼らの手当てをしていた。彼女は私の姿を見つけると、顔を青くさせながら駆け寄ってくる。
「ああ、ハーベドガスター牧師の奥さん!」
「教会で何があったんです! 夫は……息子は……無事なんですか!」
「周辺の鉱脈を巡る対立で、帝国軍らしき軍隊から砲撃があって……教会が……!」
「それで、夫は? 息子は?」
「それが……落ち着いて聞いてください、ルイゼラさん。実は――」
次にシスターが発した言葉はよく覚えていない。
そのまま彼女に案内されて目にしたのは、夫と息子の――。
* * *
「陛下、ここも限界に近いです。もうすぐ魔蟲種の大群が押し寄せて来るでしょう。今すぐ地下遺跡を使って帝都外へ脱出することを提言します」
「むぅ……仕方ないな」
帝都の中心地にある皇居内も混乱に満ちていた。帝都の防衛部隊は魔蟲種を防壁で足止めすることに失敗し、今や帝都の中心街にまで侵入を許している。皇帝直属の騎士団が宮殿を防御しているものの、それも長くは持たないだろう。
皇帝は皇居としている宮殿の放棄を決意した。
大臣を始めとする政府内の重役や貴族、そして皇族が集まり、大理石の床をカツカツと靴音を鳴らしながら地下遺跡の入り口へ移動し始める。
彼らの進む先には帝国の有名画家によって描かれた巨大な壁画。そこにミスリル製の甲冑を着た皇帝直属の騎士が待機しており、壁の裏側に隠された遺跡への下り階段を守っていた。
「陛下、ここから脱出なさるのですね?」
「ああ。後は任せたぞ、騎士団長」
「最後に一つだけよろしいですか?」
「何だね?」
「逃亡中は念のため、こちらの杖をお持ちください」
宮殿を警備する騎士団の男は懐から白銀の杖を手渡した。ずしりと重い杖の先端には帝国の紋章が彫られ、そこへ赤い宝石が埋め込まれている。
「これは?」
「我が軍の開発した最新鋭の魔力増幅装置が搭載された仕込杖です。従来の杖よりも魔術の威力が増幅されます。それに加え、仕込刃の切れ味も凄まじい代物です。敵はいつどこで襲ってくるか分かりません。こちらを護身のためお使いください」
「分かった。ありがたく使わせてもらおう」
そのとき――
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
轟音と共に壁が崩れ、巨大な黒い腕が奥から飛び出す。
「な、何だこいつは!」
「見ツケタゾオオオッ! 悪事ヲハタラク帝国ノ根源ヲォォォッ!」
それはマグリナと戦っていたはずの
魔導砲の爆発によって体の大部分を分離されて失ったが、肩から上だけで命を保っており、軽くなった体で皇居まで走って来たのだ。
老婆の顔が壁に開いた穴から覗き込んだ。おぞましい気配を漂わせる
「陛下、お下がりくださ――!」
「邪魔ダァッ!」
騎士団長は主を守るため剣を抜いて前に出るも、一蹴された。老婆の振り上げた拳は団長をミスリルの鎧ごと押し潰し、彼は一瞬にして肉片となって床に広がった。その光景に貴族たちはさらなる悲鳴を上げ、散り散りになって逃げ出す。
「ひっ!」
皇帝は団長から渡された杖で炎魔術を放つも、百足の厚い甲殻に弾き返される。
一方、百足は彼の攻撃など気にも留めず、帝国の重役を消し去るため咆哮の準備を始めていた。
「死ネエアアアアアアアアアアアアアアッ!」
その衝撃の余波は後方に逃げていた貴族や大臣たちにも襲い掛かり、彼らをボロ雑巾の如く裂いていく。宮殿の屋根や壁が崩れ、運良く攻撃を逃れた者も大量の瓦礫に埋もれた。
それは皇帝を失い、帝国という権力体制が崩壊した瞬間だった。
「アアッ、マダ、マダ足リナイッ! コノ国ヲ完全ニ破壊シナケレバァァアアッ!」
ルイゼラはかつて宮殿だった瓦礫の山の頂上に立ち、大火に包まれた帝都を一望した。
まだだ、自分の憎しみはこんなものでは終わらない。
愛する夫と息子を失った絶望を、全ての人間に味わせてやる。
そのためにはもっと力が必要だ。
「女神ロゼッタ様ァ! モット、モット、私ヘ祝福ヲォォォォッ!」
巨大な眼球に映る景色。
その遠くに金色に光る少女が見えた。それは魔蟲種にしか見えない女神を宿す者が放つオーラだった。
あそこに私が力を入手するために育ててきたカミリヤがいる。
「ソコニイタノカ、カミリヤァァッ!」
ルイゼラは腕だけを使い走り出す。
少女が勇者召喚のために向かう神殿へと。
彼女の頭の中では、家族を失ったときの光景が無限に繰り返されていた。
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