第79話 反抗勢力という増援

 レイグがクアマイア邸へ走り出した後、デリシラとユーリッドは帝都の惨状になかなか足を進ませることができず、死体の山を前に留まっていた。


「この百足みたいな魔蟲種アラクニド、あのエルシィとかいうヤツと似た臭いがする。間違いなくこいつは半魔蟲種ハーフアラクニドだな。そうすると、もう宝玉は使われたのかもしれねぇぞ」


 彼らの目と鼻の先に横たわるのは山脈とも表現できる百足の巨躯。

 その足元では倒壊した家屋の瓦礫と、数え切れないほどの死体が街路を覆い尽くしている。子どもや女性、老人まで見境なく殺害されていた。ボロ布のように破けた皮膚から血が滴り落ち、赤黒い小川がどこかに向かって流れていく。

 デリシラたちの前にある惨事をこの百足型半魔蟲種ハーフアラクニドが引き起こしたことは間違いない。何者かが宝玉を使用し、大量殺戮を実行しているのだ。


「なあ、ユーリッド。お前が宝玉を使ってしたかったのはこういうことなのか?」

「……」

「少しでもお前に良心が残っているのなら『違う』と言ってくれよ……!」


 ユーリッドは跪き、その光景を呆然と眺めていた。


 これが俺の望んでいた景色なのだろうか。

 確かに俺は使えるものなら何でも使って帝国から祖国の文化と生活を守る覚悟でいた。例え自分が自分が死のうとも、自分が半魔蟲種になろうとも。


 しかし、どこまでも広がる惨劇にその決意は激しく揺さぶられた。

 目の前では親子と見られる子どもと女性の死体が瓦礫に埋もれかけている。母親が我が子を守ろうとしたのだろうか、死体は重なるように倒れていた。母の想いも虚しく、致命傷になったであろう衝撃は子どもにまで貫通しているが。


「俺は……俺は……」





     * * *


 不意に故郷へ残してきた家族のことが浮かんでしまう。


 そよ風で木の葉が揺れる音に包まれた、森林にポツンと建っている我が家。

 台所で料理をする妻。

 知りたい盛りで自分へ様々な疑問をぶつけてくる娘。


『おかえりなさい、あなた』

『パパ、おかえり!』


 あの平和な暮らしを守りたくて、俺は精霊解放軍の実働部隊に志願した。帝国が木材欲しさに俺たちの森を皆伐したいらしい。そんなことを許したら今ある森精霊エルフとしての生活が続けられなくなってしまう。

 俺はとにかく懸命に戦った。帝国との大きな戦闘には必ず顔を出して何度も戦果を上げる。気が付けば反抗勢力レジスタンス全体の指導者の右腕にまで昇っていた。


 目の前にある帝国の脅威ばかり考えてしまう日々。いつの間にか自分が戦う本当の理由を忘れて敵を倒すことだけに集中し、帝国全体を潰すことが目的に成り代わっていた。





     * * *


「違う……俺が望んだものは、こんなんじゃないのにな」


 ユーリッドは立ち上がると親子の死体へ手を伸ばす。彼らの開いたままになっている瞼を指で下ろし、自分が羽織っていたマントをそっと被せた。


「どうか安らかに眠ってくれ」


 その親子に自分の妻と娘を重ね見てしまう。


 俺は自分の家族をこんな目に遭わせないために戦っていたのだ。あの穏やかな生活さえ守られればよかったはずなのに。

 長く苦しい戦いの日々で蓄積された憎しみはそんな大事なことさえ忘れさせてしまう。


 しかし今、それを彼らの死とデリシラの言葉が思い出させてくれた。

 もし俺が半魔蟲種になってこの事態を引き起こしていたのなら、家で待つ家族に顔向けできなかっただろう。


反抗勢力アタシたちの目的は帝国を倒すことじゃない。自分たちの文化と暮らしを守ることだ」

「ああ、そうだったな」


 デリシラは背後からユーリッドの肩へ優しく手を置いた。

 女性らしくも逞しいその温もりに心が安らぐ。


「もう帝国に襲撃を仕掛けるとか、そういう目的はどうでもよくなっちゃったけどさ、アタシはここまで足を運んできて良かったと思ってる」

「どうして……?」

「アタシたちが本当に戦うべき相手は人間じゃない……魔蟲種アラクニドだ。それを今ここで痛感できたんだ。あのエルシィとかいう女をどうにかしないと、アタシたちの集落までこの街の二の舞になっちまうことがハッキリした。ほら、見てみなよ」


 デリシラが指差す先には瓦礫の山々。

 そこに黒い影がぞろぞろと集まっている。


小鬼蟲ゴブリンセクトか」

「敵の増援かもね」


 小鬼蟲の大群は帝都の防壁に開けられた大穴の方角から次々と出現していた。彼らは封印が解けて復活した女神に対抗するため、エルシィが各地から戦力を一点に集中させていたものだ。

 槍や斧を構えた騎士ナイトの壁が徐々にデリシラたちへ迫りつつある。エメラルドのような複眼が妖しく輝き、反抗勢力レジスタンスの二人に狙いを定めた。


「ユーリッド、戦う用意はいいか?」

「いつでも構わん」

「そっか、じゃあ――」


 デリシラは大きく跳躍すると、小鬼蟲騎士の顔面に渾身の拳を食らわせた。


「うらぁっ!」

「ギュィィッ!」


 拳は硬い甲殻を砕き、騎士の体はほぼ水平に飛んでいく。

 それと同時に、デリシラは敵が握る巨大な戦斧バトルアクスを奪い取った。


「いい斧だね。蟲なんかに使わせるのは勿体ないよッ!」

「キュイッ!」


 彼女は怪力を活かして斧を軽々と振るい、敵の胴を切り落とす。


 ユーリッドも光の矢を放ち、敵の眉間を正確に打ち抜いた。

 もう彼の瞳に濁りはない。遥か遠くの地で待っている家族に、エルシィの毒牙は決して近づけさせない。そんな新たな決意が彼を突き動かしていた。


「さぁ、エルシィってヤツをどうにかしねぇと、アタシたちもみんな魔蟲種にされちまうぞ」

「アイツも女神を狙って帝都ここにいるはずなんだがな。探してみるか?」

「レイグのお遣いがてら、見つけたらブン殴ってやろうぜ」


 たった数秒で騎士の群れは壊滅し、蟲魂の淡い光が夜空へ消えていく。

 二人は蝿の王ベルゼブブが上空を飛び交う帝都中央へ歩き始めた。

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