第78話 視界という信号

「僕はずっと孤独で、自分が求めているものの正体が分からなかった。でも、カミリヤが気付かせてくれた」


 カミリヤと出会った当時、僕は彼女に暴言を浴びせたり、平手打ちしたり、結構酷い仕打ちをしてきたが、彼女は僕に優しくしてくれた。知らないうちに彼女が僕の行為を優しさと勘違いしていた部分があるかもしれない。

 それでも傷を看てくれたり、小鬼蟲騎士ゴブリンセクト・ナイトから命懸けで注意を僕から逸らしてくれたり、彼女なりに僕を守ろうとしてくれた。それが彼女を深く知っていくキッカケとなり、僕らは互いを愛するようになった。


「誰かが僕を愛してくれる。それだけで良かった。あのまま僕たちは学校生活を続けて、もっと互いのことを好きになって、幸せな家庭を築いていればそれ以外何もいらなかったんだよ!」

「私がこれまで進めてきた計画を放棄すれば良かった、とでも言うの?」

「ああ、そうだ。例え復讐が果たされたとしても、お前の心は満たされることはない」


 もしカミリヤと出会わなかったら、今も僕はひたすら権力を求めることに執着していただろう。いつまでも満たされない心を抱えながら、孤独に政敵と戦っていたかもしれない。求めていた権力が、愛情を知らない自分が勝手に作り出した幻想だとも知らずに。

 パレードで皇帝を見たとき、僕が嫉妬したのは彼の権力ではない。本当に欲しかったものは周囲から向けられる愛情や尊敬の念だとようやく気付いたのだ。


 おそらく、エルシィも同じだ。

 神々に虐げられ、復讐するために強大な力を持つことが自分の求めるものだと勘違いを続けている。学校時代の僕らのように、ただ傍に誰かがいて、自分に優しく触れてくれるだけで満足だったのに。


「もう止めよう。こんなことしても、自分が苦しむことはお前も薄々分かっているだろ」

「レイグ君……」

「ロゼッタなら今のお前を認めてくれる。だから、ここで終わりにしよう……」


 僕は手をエルシィへ伸ばす。

 そっと、ゆっくりと。

 もう少しで彼女の手に触れる。


 そのとき――


「見つけた」


 突然、エルシィの虹彩が宝石のような深紅の輝きを放ち、小さな口で確かにそう言った。


 急に何を言い出しているんだ、こいつは。

 一体、エルシィは何を見つけて――?


 彼女に問い掛けようとして、ハッとした。


「まさか……!」

「レイグ君、どうやらこの勝負は私の勝ちみたいだね。あの女神を先に発見しちゃった」


 エルシィが見つけたのはカミリヤだ。蝿の王ベルゼブブから送られてくる視覚情報の中に彼女が映りこんでいたのだろう。


「カミリヤはどこにいる!」

「そんなの教えられないなぁ。自分で探しなよ」


 彼女は僕に踵を返すと書斎の大きなガラス窓を仰いだ。大火の光によって夕焼けのように赤い夜空を見上げ、そこに一際強く輝きを放つ星を凝視する。


「さぁおいで、骸鬼ヘカトロン。あの女神を倒しに行こう」

「クォォオン……!」


 ドォォオオオオン!


 その言葉へ応えるように外の景色が紅く光った刹那、爆発のような突風が書斎の外壁を粉々に砕いた。バリンバリンという激しい音を立ててガラスの破片が僕に襲い掛かる。棚が倒れて書物が床へグチャグチャに散らばり、机や椅子などのインテリアも高く吹き飛んだ。


「ぐぁっ!」


 僕は強風とガラス片に煽られて後方の壁に打ち付けられた。背中に鈍い痛みが広がり、僕は床へズルズルと崩れ落ちる。


「それじゃあね、レイグ君」


 顔を上げてエルシィがいた場所へ視線を戻すと、そこにもう彼女はいなかった。大きく破壊された外壁の向こう側にあった薔薇の庭園に目を紅く光らせた漆黒の巨人が立っている。彼女の姿は六本の腕を支えるその肩にあった。


骸鬼ヘカトロン……!」

「あなたに何を言われようと私は最初に立てた目的を成し遂げる。私がここまで費やしてきた努力と時間を無駄にしたくないから」


 彼女に従う巨人の姿は前回に遭遇したときと変化していた。手甲や胸当てらしき甲殻を纏い、六本の手にそれぞれ巨大な剣が握られている。エルシィが追加武装として骸鬼ヘカトロンへ与えたのだろう。


「行きましょう」

「クォォォオオオオオン!」


 悲しげな咆哮を轟かせながら巨躯は宙へ浮かび上がる。骸鬼ヘカトロンは主を乗せたまま夜空に加速し、帝都の中央に向かって流星の如く飛翔した。


「あの方角は……!」


 深紅の流星が消えていった空の下にある場所。

 それは以前カミリヤが勇者召喚を試みたあの神殿だ。カミリヤは現在あの場所でもう一度儀式を行おうとしているのだ。

 彼女がそこにいるということは、もう宝玉の処理が済んだのだろうか。宝玉は魔力遮断設備に放り込まれたか、あるいは誰かが半魔蟲種ハーフアラクニドになったか。

 だが考えている余裕はない。今のところ僕は完全に後手へ回っている。この遅れを取り戻すためにも、早くカミリヤと合流して彼女を守らねば。


 僕は立ち上がると壁に開いた穴から外へ飛び、薔薇の生垣と鉄柵を越えて神殿に向かって駆け出した。










     * * *


骸鬼ヘカトロン、そのまま神殿に向かって!」

「クォォォン……!」


 エルシィは巨人の肩に乗ったまま、帝都の上空を飛び続けていた。

 彼女の視界には自分とは別の八つのビジョンが送られてくる。それは蝿の王ベルゼブブが見ている景色であり、帝都に先行させて女神を宿す少女を探させていたものだ。

 その中に神殿へ街道を真っ直ぐに走る金髪の少女が映っている。彼女は勇者召喚するため神殿へ向かっていると見て間違いないだろう。早く対処しなければ面倒なことになりそうだ。


蝿の王ベルゼブブ、彼女を足止めして」


 指令を受けた蝿の王ベルゼブブたちは旋回を中止し、一斉に少女へ接近を開始した。

 カミリヤは武装しておらず、纏っているのは薄く白い布たった一枚だけ。完全に丸腰である。これなら簡単に彼女を止めるのは楽そうだ。


 彼女に勇者召喚はさせない。

 もうすぐで自分の計画が最終段階に入るのだ。こんなところで邪魔されて堪るか。


「終わりよ、ロゼッタ」


 圧倒的な速度差によって蝿の王ベルゼブブのうち一体がすぐ少女へ追い付いた。これでは赤子の手を捻るようなものである。エルシィは勝利を確信し、邪悪な笑みを浮かべた。


 しかし、鎌のような爪がカミリヤの背中へ触れそうになったとき――


 ブツン!


「え……?」


 突然、送られてくる視界が途切れた。

 再び蝿の王ベルゼブブと目を繋げようとしても、向こう側から反応が全くない。


「ど、どうして……?」


 考えられる理由は一つ。

 何者かによって蝿の王ベルゼブブが破壊された。


 ブツン!

 ブツン!

 ブツン!

 ……!

 ……!


 視界が次々と消えていく。七つ、六つ、五つ……と送られてくる映像は少なくなり、最後は零になった。

 八体もの蝿の王ベルゼブブがこの短時間に全員倒された。その事実にエルシィは呆然とするしかなかった。


 彼らが最期に送信してきた映像には、戦斧バトルアクスを振り上げる灰狼女と光の矢を放つ森精霊エルフの男が一瞬だけ映っていた。

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