第72話 憤怒という力

「チッ、危ないババアだ」


 先程までマグリナが立っていた民家の屋根は、蛇女百足の腕によって跡形もなく粉砕される。マグリナは腕が当たる直前に横に避け、広範囲に渡って崩れる住宅地から逃げ出した。瓦礫が砂煙を上げ、倒れた柱に火の手が上がる。


「オノレ、マグリナァァアッ! 今度コソ、貴様ヲ殺ジデヤルゥゥゥァアアッ!」


 マグリナは確信した。

 やはり、この魔蟲種はルイゼラ・ハーベドガスターだ。どういう経緯かは知らないが、何らかの方法で巨大百足へと変貌したのだろう。これも魔蟲種が持つ技術のせいか。

 となると、百足の目的は多くの人間を殺害して女神に生贄を捧げ、勇者を召喚させることだろうか。それなら多くの人間が逃げている場所を狙って攻撃を仕掛けているのも納得できる。


 いや、違う。

 そもそも、なぜルイゼラはカミリヤを使って勇者召喚をしようと考えていた?

 今のルイゼラは小国なら軽く滅ぼせるほどの能力を持っているとも言える。つまり今の彼女なら勇者などに頼らずとも、あらゆる目標を自力で達成できるのだ。彼女にも大きな力を以て為し遂げたい目的があるとすれば、それは――


「コノ国モロトモ、貴方ヲ消シテ差シ上ゲマショオオオオオオオッ!」


 帝国を滅亡させること。

 人がいなければ国は成り立たない。二度と帝都を機能させないよう、ルイゼラは多くの市民を無差別に殺している。そして翌々は帝都の中央にいる政治家や皇族も殺害するはずだ。


「スゥゥゥ……!」


 百足の口が開き、大量の空気を吸い始める。これは咆哮波動砲の予備動作だ。次に放たれる空気の波に触れれば、自分は周辺の住宅街ごとバラバラに消されるだろう。


「とんだ死に損ないが!」


 体格差では圧倒的に不利なマグリナだが、勝機はある。相手はその巨大過ぎる体ゆえに動きも大振りになって細かいコントロールができない。そこから生まれる隙を突けば徐々にダメージを与えられる。百足姿のルイゼラ相手に先程は甲殻にひびを作ることができた。とても浅い傷だが自分の攻撃が完全に無効化されるわけではない。


 マグリナは宝具によって強化された肉体で咆哮波を避けるために建造物の陰へ走り出した。

 あの攻撃は広範囲に渡ってそこに存在する全てを破壊する技だが、効果がある角度は限られている。そうでなければ魔導砲の爆風を防いだとき、自分の体や護衛の魔蟲種まで吹き飛ばしていたはずだ。


 百足の視界に入らぬようマグリナは路地裏を駆け抜ける。効果範囲に捉えられてしまえばそこで終わりだ。ルイゼラが咆哮の準備を始めてから逃げるまでの間、僅か数秒の出来事であった。


 そして――


「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」


 咆哮が繰り出され、空気の塊が住宅街を押し潰す。レンガ屋根が高く舞い上がり、大地を深く抉り取った。その光景を視界の隅に捉えながら、マグリナは巨大な脚の末端へ近づいていく。


「クソが……!」


 左耳が聞こえない。自分はどうにか安全地帯へ逃れたものの、片耳の鼓膜が破れたらしい。

 だがそんなことに構っている暇はない。


「ここだあああああああああッ!」


 彼女はそのまま百足の脚をほぼ垂直に駆け上がると、前に一撃を加えた箇所へ再び刃を突き立てる。背中の浅かったひびはビキビキと音を立てて広がり、今度は甲殻を貫いた。黒色の体液が噴き出し、彼女の顔を濡らす。


「コノ女狐ガァァァッ!」

「くはぁっ!」


 背面に張り付くマグリナを剥がそうと、ルイゼラは体をくねらせて激しく動き回る。山脈のような体は鞭のように大きくしなり、甲殻を街へ強く叩き付けた。

 マグリナの脇腹へ尾の末端がぶつかり、彼女は空中へ投げ出される。その勢いのまま遠くにある建造物へぶつけられ、彼女の体はレンガ造りの壁に大きな穴を開けた。


「クソババアが……!」


 何棟もの建造物を貫通し、ようやく吹き飛ばされる勢いは止まった。どこかの屋内の壁に叩き付けられると、彼女の体はズルズルと床へ落下した。


「ここは……どこだ?」


 痛みで意識が朦朧とする。

 一体、自分は何をされたのだろう。


 マグリナの目の前には一般家庭によくあるリビングらしい部屋が広がっている。棚の上に飾られている観葉植物やぬいぐるみ。その横に平和なリビングに似つかわしくない大穴が開けられていた。自分があの穴を作り、ここまで吹き飛ばされてきたことを彼女はやっと理解できた。


 随分と遠くまで投げ出されたものだ。

 マグリナは自嘲気味に笑うと、床に落ちた刀を拾おうとする。


 しかし、体が動かない。

 全身が痛みに襲われている。

 魔力切れの症状も起こしており、目眩も酷い。

 視界へ赤い液体がドロドロと流れ込んでくる。どうやら出血もしているようだ。


 刀による身体強化によって常人なら即死していたであろう打撃を耐えることはできたが、流石にもう限界だった。


 ああ、私の負けか。


 霞む視界に映る大穴の向こうに、老婆の顔が自分をニタニタと嗤っていた。

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