第70話 帝都という危険地帯

「チッ、街に侵入されたか」


 蝿の王ベルゼブブ刈者リーパーが八体、帝都防壁の上空を通過していった。

 まるで意思を共有しているかのように綺麗に隊列を組み、やがて空中で散開する。


 マグリナが見つめる先にある街の大通りでは、警報のサイレンを聞きつけた住民たちが帝都中心部へ避難しようと人ごみができていた。時間帯が深夜であったため、何が起きているのか把握できていないまま寝ぼけ眼で動いている住民も多い。しかし、大通りの上を高速で飛翔する黒い流星が、彼らに事の重大さを分からせた。


 街に魔蟲種アラクニドが侵入している。

 見境なく人間を殺す化け物が、自分の近くまで来ている。


「きゃあ! 魔蟲種よ! 早く逃げないと!」

「ば、化け物がこっちに来てるぞ!」

「ぐぁっ、押すな!」

「子どもがまだ家で寝てるんです! 誰か助けて!」


 蝿の王ベルゼブブ刈者リーパーを見た住民はパニックを引き起こし、我先に避難地区へ向かおうと他者を押し退けて走っていく。激しい人の波が形成され、帝都は一瞬にして混乱状態へ陥っていた。


「早いところ、蝿共を始末しないとな」


 マグリナは防壁の頂上から右往左往する市民を見て呟いた。パニック状態の彼らを沈静化させるには、魔蟲種を早く片付けることが求められる。だが相手が相手だけに、そう簡単にはいかないだろう。この事態は完全に予想外だ。魔蟲種がこんなに戦力を凝縮させて帝都を襲撃してくるなんて。


「マ、マグリナ様、早く対処しないと……!」

「分かっている! だが、それよりもあの百足の足止めをすることが先決だ!」


 怯える少佐を横目に、マグリナは防壁の外側へ体の向きを直す。

 そこには大地を覆い尽くすほど巨大な魔蟲種の群れがこちらへ進行中だ。蝿の王ベルゼブブよりも、こちらを食い止めないとさらに被害は加速するだろう。


「少佐、帝都の防御結界を第一から第七まで全て発動させろ」

「し、しかしそれでは蝿の王ベルゼブブを帝都内へ閉じ込めてしまうことに……!」

「今は外の連中をどうにかすることに専念しろ。蝿の王ベルゼブブは帝都を檻にして叩けばいい。それよりもあの百足を街に入れたら、そのときは全部終わる」

「り、了解です」


 少佐が部下に命令を伝達すると、周辺に張ってあった魔法陣が輝き出した。

 魔法陣の上に緑色の光が出現し、それが天にも届くほど高く帝都を囲む。


 帝都の防御結界は敵の侵入や攻撃を防ぐ目的で建設が進んでいたものだ。これによって形成された光の壁は人はもちろん、砲弾も通さない。内側からも外側へ攻撃できなくなるが、反撃する機会を作り出すための時間稼ぎはできる。マグリナは結界を全て発動させることで目の前に迫る百足軍団の襲撃を防ぎ、その間に蝿の王ベルゼブブを叩くという手段に出たのだ。

 あまりに結界へ長く攻撃が続くと破壊されてしまう恐れはあるが、今はそれしか被害を食い止める方法がない。


 マグリナは腰に掛けている刀を強く握ると、防壁の下降階段へと歩き出した。


「マグリナ様、どちらへ?」

蝿の王ベルゼブブを討伐してくる。少佐、しばらくここを任せていいか?」

「ええっ! そ、そんな、私はまだ、士官学校を卒業したばかりで、戦略も技術も未熟ですし」

「住民を生かすために貴様なりの最善を尽くしてくれればいい。責任は私が背負う」


 すでに帝都防衛部隊から蝿の王ベルゼブブ討伐のために出撃している兵はいるが、マグリナの見立てでは彼らにヤツを倒すことはできない。レイグやアルビナス、自分と同等以上の強さを持つ人物がいなければ、素早く動くあの硬い甲殻に傷を作ることさえ難しいはずだ。こんなことになるのなら、レイグという男を生かしてカミリヤを人質にして作戦に参加させればよかった。


「いいか、少佐。帝都を守るためだったら、何を利用しても構わん」

「は、はい……」

「貴様の名前は何だ?」

「ユゥリナ・フランデです」

「それじゃあ、ユゥリナ。外の連中は頼んだぞ」


 そう言うと、マグリナは防壁の階段から飛び降りた。建造物の屋根に着地すると、夜空を飛び交う黒い流星へ走り出す。


「クソが……最高に目障りだな」


 マグリナには、なぜ蝿の王ベルゼブブがこんなに帝都へ入り込んだのか、理由が推測できていた。おそらく、彼らの狙いはカミリヤだろう。魔蟲種への大きな対抗手段である勇者召喚を使える彼女を抹殺する目的で動いている。

 自分がカミリヤを帝都へ連れ込まなければ、こんな事態にはならなかったのだろうか。

 いや、自分がしなくても他の政治家や貴族が実行していたのかもしれない。


 屋根伝いに駆けながら、そんなことを考える。


 そのとき、自分の後方で大きな爆発音がした。火柱が高く上がり、帝都の街をオレンジ色に照らす。マグリナが足を止めて振り向くと、そこには驚愕の光景が広がっていた。


「いくら何でも、突破が早すぎるだろ……」


 粉々に砕けた結界から、緑の光が粉雪のように街へ降り注ぐ。あの巨大百足が防壁に大穴を開け、その脚を帝都内へ踏み入れていた。帝国最高の防御力を誇る結界は、あの魔蟲種を前に時間稼ぎにもならなかったのだ。

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