第69話 蛇女百足という絶望

「ようやく私の人形になったか、カミリヤ」

「……」


 クアマイア邸の地下室で、マグリナは目の前に横たわる少女をうっとりと眺めていた。

 カミリヤは手足をだらしなく広げた格好で拘束され、暗闇の中で一糸纏わぬ白い姿が松明に照らされている。

 マグリナが彼女に言葉を投げかけても反応はない。目は虚ろで、口がポカンと開いたままだ。薬で腹を壊したのか、彼女の下半身が下品な音を立てる。


 カミリヤは飲まされた薬によって、孤児院にいた頃の記憶を完全に取り戻していた。暴力に支配された世界から自分を守るため、彼女は五感を消す術を習得したのだ。こうやってルイゼラに何をされても彼女は耐え抜いてきた。


 今のカミリヤは生理活動を続けるだけの人形と化している。

 そこに自分の意志はない。

 他人の命令に何も考えず従う駒の出来上がりだ。


 マグリナは自分のハイヒール靴でカミリヤの顔を踏み付けた。それでも彼女は何も反応せず、力に流されるまま屍のように虚空を見続ける。


「後は、宝玉が揃ってくれれば問題は万事解決なのだがな」


 森林でルイゼラとの戦闘中、紛失した紅い宝玉。

 あれは今どこにあるのだろうか。

 あれさえ無力化すれば、私は全てを手に入れられるというのに。


 そのとき――


「マグリナ様、緊急事態です」


 地下室の外から、アルビナスが鉄扉を叩いた。


「どうした?」

「『魔蟲種の大群が帝都にすぐそこまで迫ってきている』と軍から報告がございました。『マグリナ様に指示を乞いたい』と」

「すぐに向かう」


 今は魔蟲種どころではないのに。


 そう考えながらもマグリナは横たわる金髪の少女に踵を返して地下室を後にした。

 彼女は玄関に掛けてあった外套を羽織り、屋敷の外に待機していた迎えの馬車に乗って帝都の防壁へ向かう。


 クアマイア邸の地下室には、生きる屍と化したカミリヤが一人残されたのであった。







     * * *


 深夜の大通りを抜けて、マグリナが街を取り囲む巨大な防壁へ到着したとき、現場にはすでに多くの兵士が集まっていた。砦の屋上に立ち、魔蟲種の襲撃に備えている。


 馬車から降りた自分を出迎えたのは軍服を着た若い女性だった。胸元に飾られているバッジからして彼女の階級は少佐だ。凛とした顔つきながらも士官学校を卒業したばかりの初々しさを残している。


「マグリナ様、こちらへお願いします」

「深夜だというのに何事だ?」

「それが、ここから数キロ先の森林に巨大な魔蟲種が現れまして、現在こちらに向かって草原を進行中とのことです」


 少佐は防壁の外側にある草原を指差すも、そこには夜の闇しか見えない。

 彼女が指差す先に何かが潜んでいるのだろうか。


「照明弾を発射しろ」

「了解」


 マグリナの言葉で大砲から二発の弾が夜空へ撃ち上がっていく。


 そして――


 パァァァァン!


 弾に込められていた魔力が上空で発動し、まるで太陽のような強烈な光を作り出す。二つの白い恒星が帝都を囲む草原を昼間のように照らした。

 そしてマグリナたちは闇に隠されていた光景を目の当たりにする。


「何だ、あの大きさは……!」


 照明弾からの光によって露わになる、草原に蠢く黒い影。

 それはまるで山脈のように巨大な百足だった。長い胴体が大地を覆い隠し、巨大な頭が帝都の街を見下ろす。


 百足の他にも、その足元に多くの魔蟲種が歩いている。小鬼蟲騎士ゴブリンセクト・ナイト小鬼蟲戦車ゴブリンセクト・ルーク小鬼蟲女王ゴブリンセクト・クイーン……どれも厄介な敵ばかりだ。百足に付き添うように彼らは帝都へ徐々に接近する。


「マグリナ様、どういたしますか?」

「チッ……魔蟲種の巣やら他国への遠征やらで、帝都の兵力は削がれているというのに」


 マグリナは防壁周辺に集まる兵を見渡した。彼らは照明弾の光に浮かび上がる巨影に騒然としている。

 自分の横に立つ少佐も含めて、どいつもこいつも大した実戦経験もなさそうな若い兵士ばかり。いかにも質を無視して数だけを揃えたような編成だ。戦争のベテランは他国の遠征へ派遣されており、その結果として帝都には新兵が残されたのだろう。


「どうしてあの魔蟲種の接近に気付かなかった?」

「警備隊からの定時連絡は先ほどまで正常に行われていました。あの魔蟲種たちが森林に突然湧いたとしか……」

「まったく、ヤツらの行動やら技術やらにはいつも驚かされる」


 魔蟲種は帝国の科学者でも解明できないような体の構造をしている個体が多数存在している。どれも人間の想像を遥かに越え、自分たちを驚かせてきた。そうした連中がいることも考えると、彼らとの戦闘では何が起きてもおかしくはないのだ。


「すぐに帝都全域に非常事態警報を出せ。国民を避難誘導しろ」

「はっ!」

「それから、魔導砲への魔力装填を開始するんだ。先制攻撃を仕掛けて数を減らすぞ」


 マグリナの命令で、防壁に設置されている魔導砲二門が動き出す。弾に魔力が徐々に充填されていき、トンネルのような砲口の奥が赤く発光を始めた。


「あのデカブツに照準を合わせろ。ヤツが街に侵入することだけは避けるんだ」


 群れの中でも特に目を惹く巨大百足。草原に尖った脚を深く突き刺しながら、こちらへ迷いなく進んでいる。その頭部は甲殻が人間の顔ような形をしており、どこかマグリナたちへ怒りを向けているようにも見えた。

 あの大きさだと街に入ってきただけで甚大な被害は避けられない。

 かつてカミリヤが倒したとされる蝿の王ベルゼブブ騎兵トルーパーの再来と言えるかもしれない。今ここに集まっている戦力でどこまで対抗できるか不安が残る。


「放て!」


 マグリナの号令で、強大な魔力が濃縮された魔導弾が二門の砲から同時に発射される。砲弾は闇に向かって赤い彗星の如く飛び、百足の顔面へ直撃しようとしていた。


 しかし――


「スゥゥゥ……」


 百足頭部の甲殻が大きく横に裂け、口のように開かれた。深く息を吸い込み、その甲殻はニヤリと笑ったのだった。


 そして――


「アァァァアアァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」


 百足の口から放たれる声が衝撃波となって大気を震わせる。

 魔導弾の爆発を吹き飛ばし、前方へ爆風を弾き返した。広範囲の炎を一気に掻き消し、空気のバリアが百足を守っている。

 衝撃波が大地を削り、草原の随所に設置されているバリケードを粉々に破壊した。


「バ、バカな、無傷だと!」


 都市を一撃で再起不能なまでに破壊できる魔導砲による二門同時攻撃は、百足によって防がれた。衝撃波で跳ね返された爆風が火の粉を纏ってマグリナたちのいる防壁へ戻ってくる。

 彼女は顔に当たる熱風を腕で凌ぎながら、次に打つべき一手を考えた。

 百足の正面は衝撃波で攻撃が無力化される。ならば別の角度から爆風で吹き飛ばすしかない。


「魔導砲を再装填しろ! 次は周りの魔蟲種を狙って……」


 しかし――


 ドォォオオオオン!


 今度は防壁のすぐ傍で閃光と爆発音が生じた。

 再度、兵士たちへ熱風が襲い、鉄の焦げる臭いに噎せ返る。


「今の爆発は何だ?」

「ま、魔導砲が大破しました!」

「なぜ……!」


 マグリナは防壁の頂上から欄干に寄り掛かり、帝都の外側に設置されているはずの巨大な砲を見下ろした。そこから火柱と黒煙が上がっているのが確認できる。

 魔導砲の整備士たちが炎に巻き込まれ、黒焦げになって地面に重なっていた。


 そして、その近く。

 炎の間近に立って、マグリナを見上げている黒い影があった。

 黒い甲殻に、深紅の巨大な眼球。

 その鋭く尖った爪は兵士の頭を突き刺していた。ヤツが魔導砲を破壊したのだろう。


蝿の王ベルゼブブ刈者リーパーだと……!」


 かつて荒野に現れたという魔蟲種の頭脳、刈者リーパー

 レイグの活躍によって討伐が完了したという報告を受けていたが、他にもまだまだ同種の個体は存在していたらしい。

 それも、一体や二体だけではない。


「そんなにいるなんて聞いてないぞ、貴様ら……」


 やがて防壁の外側にいた刈者リーパーは一斉に夜空へ飛翔を始める。

 マグリナの真上を八体もの黒い流星が通り過ぎ、帝都の街へ消えていった。

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