第67話 勝利という絶叫

「アアアアアアアッ! 腕がッ! 腕がアアアアアアアッ!」


 利き腕を失ったルイゼラは痛みでその場に倒れ、地面を暴れ回った。

 すでに他人の血で汚れたスータンを、さらに自分の血で赤く塗り返していく。


 マグリナには老婆へ止めを刺す余裕はない。

 小型魔導砲の砲身は恒星の如く赤い光を闇夜に散りばめ、今爆発してもおかしくない状態だった。


「私の勝ちだ、ルイゼラ。そこで灰となり朽ちていくがいい」

「マグリナァァァァッ!」


 ふらふらとよろめきながらマグリナは急いで宝玉の入ったケースを拾い上げると、四足歩行戦車ランドウォーカーとは反対方向へ全力で走り出した。

 ルイゼラの耳障りな絶叫は、もう耳に届かない。

 木の根を飛び越え、教団員を斬り伏せ、とにかく駆ける。


 そして――


 ドオオオオオオオオオオオン!


 魔力が臨界点を突破した魔導砲は大きな爆発を引き起こす。

 森羅万象が光に飲み込まれ、灰となって消えていった。










     * * *


「ハァッ! ハァッ!」


 マグリナは振り返り、追っ手が来ていないことを確認すると、林道を進む足を止めた。


 こんなに全力疾走したのはいつ以来だろう。今の役職に就いてから屋外の移動はずっと馬車だった。

 しかも今はハイヒール靴だ。当然、踵が折れている。

 服も泥だらけだ。こんなに服を汚したのは子どものときにもなかった気がする。


「まったく、女神教団ヤツらめ。国内への侵入口があるなら、早めに叩かないとな……!」


 まさか帝都に近いこんな場所で彼らに遭遇するなど、完全に想定外だ。

 レイグから宝玉とカミリヤを奪うだけのはずだったのに、マグリナは色々なものを失った。


 自分に仕える暗殺者たち。

 試作段階の四足歩行戦車ランドウォーカー


「クソ……とんだ出費だ」


 マグリナは懐からガラスの小瓶を取り出すと、蓋を捨てて中身の魔力回復促進薬を浴びるように口へ運んだ。そして顔に滴る雫を袖で乱暴に拭い取る。

 これで少しは魔力切れの症状も楽にはなるだろう。


 今の自分にはカミリヤと宝玉さえ揃っていればいい。

 それさえあれば、後で女神教団へいくらでも復讐できるのだ。


 マグリナは宝玉を入れたケースを地面へ降ろし、反撃する期待を胸にその蓋を開けた。


 そこには紅く眩い光を放つ宝玉がある――


「あ……あぁ……!」


 ――はずだった。


「バ、バカな……!」


 ケースの中に、宝玉はない。

 底面しか見えなかった。


「どこだ! どこにいった! どこにある!」


 周囲を見渡しても、宝玉を光を見つけることはできない。

 彼女の視界に入るのは、木々と夜の闇だけ。


 どこかに落としたのだろうか。


「な、なぜだ……!」


 ケースの鍵部分をよく見ると、そこには鋭利な刃物で破壊されたような跡が確認できる。こんな芸当をできるのは、あの場ではルイゼラしかいない。あの老婆は自分と対峙する前、ケースを持っていた部下を殺害し、そこから宝玉を奪っていたのだ。

 ケースの中身を確認する暇なんてなかった。魔導砲の爆発も近づいていたし、自分の魔力も限界だった。


 結局、自分は多くの犠牲を払っても、何一つ得るものがなかった。

 成果はカミリヤが手元に戻ってきただけだ。自分の地位を狙う他の政治家に彼女や宝玉を横取りされぬようここまで事を運んできたというのに、宝玉がなければ全てが水の泡だ。


「クソがッ! クソがッ! クソがああああああああああああああああああッ!」


 マグリナの絶叫が森林にこだました。

















     * * *


「あの小娘が……!」


 四足歩行戦車の自爆によって更地となった森に、隻腕の老婆が一人横たわっていた。

 残った手には紅い宝玉が握られている。


 宝玉は自分を破壊しそうな攻撃に対して自動的に防御結界を作り出す。爆発によって壊れそうになった宝玉は結界を発動させ、ルイゼラごと爆風と炎から自分を守ったのだ。


「ヒヒッ! 我々が宝玉のことを何も知らないとでも思ったんですかね、あの小娘は」


 カミリヤとレイグを尾行していたのはアルビナスだけではない。女神教団からも数人が彼らの監視に派遣されており、常に自分たちの信仰する女神を奪還する機会を窺っていたのだ。


「しかし、こんなものではまだまだ足りません。女神教団われわれが受けた痛みを、帝国かれらへ何倍にもして返さなければ」


 ドクン……!


 ルイゼラが発した言葉に、握り締める宝玉が鮮血のように輝く。

 それはまるで心臓が繰り出す鼓動のように点滅し始めた。


「そのために、女神様ァ……力を……我々に、帝国に復讐する力をお与えください!」


 老婆のしわがれた声が夜風に掻き消える。

 ルイゼラの体は腕からの大量出血によって、今にも死を迎えようとしていた。

 その言葉は、カミリヤにも女神ロゼッタにも届くことはない。


 しかし死に際の願いは、宝玉に届いていた。


 宝玉から何本もの紅い腕が伸び始める。

 それはかつてカミリヤを包もうとした、あの腕だった。


 腕は包帯のように老婆の肌を徐々に覆い隠す。

 宝玉がルイゼラの憎しみに反応し、彼女を半魔蟲種ハーフアラクニドへと変え始めたのだ。


「あぁ……女神様……力を感じます……ようやく敬愛に応えてくれたのですね」


 やがて腕はルイゼラの体全体を包み、その外見は蚕の繭のようになった。

 その内側で彼女の肉体に甲殻が形勢される。

 肋骨が外へ開いて脚となり、背骨が急速に伸び始めた。


「あぁぁぁぁ! 素晴らシイッ!」


 ルイゼラはみなぎる力に歓喜した。

 腕に、脚に、体の全てに、これまで経験したことがないほどエネルギーが溢れている。


 今の自分なら帝国を叩き潰せる。

 人も、兵器も、建造物も、何もかもを破壊してやる。


「この力を与エてグダサリ、アリガドウゴザイマスゥゥゥ! 必ずヤ、コノ恩恵ヲ以っテ、帝国ヲ滅ボシテミセマスゥァァァアアアッ!」


 パキィィィン!


 宝玉は人間を半魔蟲種ハーフアラクニドにする魔力を使い果たし、粉々に砕けた。


 紅い繭が破けると同時に、それは醜悪な姿を現す。

 ルイゼラが半魔蟲種ハーフアラクニドと化した姿、蛇女百足ラミアピード


 巨大化した彼女の体は竜のように天に向かって高く立ち上がる。

 そして夜の森へ姿を消していくのだった。









     * * *


「なぁんだ、あなたが半魔蟲種ハーフアラクニドになっちゃったんだ」


 ルイゼラが巨大な百足に変貌する様子を、エルシィは上空から眺めていた。

 自分の足元を黒い化け物が通り過ぎていく。


「宝玉はレイグ君が使ってほしかったんだけどなぁ」


 エルシィの『レイグを仲間に取り込む』という願望は、ルイゼラによって消え去った。

 宝玉も完全に消失し、今はカミリヤが勇者召喚できる状態になっている。骸鬼ヘカトロンがほぼ完成したとはいえ、あまり油断はできない。


「まぁいいや。骸鬼ヘカトロンを強化するまでの間、ルイゼラあのひとには代わりを務めてもらおうかしらぁ」


 エルシィは敵の勇者召喚に備えて、骸鬼ヘカトロンへさらに武装を追加することを決意した。今度こそ、徹底的に女神を潰さねば。

 自分の目的である復讐が達成されるのはすぐ先だ。その邪魔は些細なものでも排除しておきたい。


「それじゃあ、頑張ってね。援軍も用意しておくからさ」


 漆黒の甲殻に覆われた少女は、巨大百足へ微笑みながら手を振った。


 一方、ルイゼラには彼女の姿が見えていない。

 彼女の視界に映るのは、憎き帝国の中心地――帝都だけだ。


 カミリヤたちが向かった都市へ、ゆっくりと絶望が近づいていた。

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