第64話 奪還作戦という契約

 覚悟は決まった。

 カミリヤをエルシィよりも先に奪還し、宝玉を無効化する。

 そうすればカミリヤの身は守られ、彼女は自由に生きていける。


 焚き火に干してあった衣服を掴み取ると、僕はゆっくりと立ち上がった。マグリナに斬られた箇所が痛む。激しく動けば再び傷口が開くかもしれない。

 でも、もうそんなことを気にする必要もないだろう。

 僕が宝玉を使って半魔蟲種ハーフアラクニドとなれば、こんな傷口なんてどうでもよくなるはずだ。


「待っていてくれ、カミリヤ」


 僕は乾いたローブを羽織ると、帝都に向けて夜の森を乾き切らない靴で歩き出す。


「ちょっと待てよ」


 すると、横から灰狼女デリシラが僕の前に飛び出してきた。息がかかるほど顔を近づけ、獣の鋭い瞳で僕の顔を覗き込む。

 ユーリッドも、いつの間にか僕の背後に佇んでいた。長身が僕の姿を見下ろす。


「そんなボロボロなのにどこへ行く気だ?」

「帝都だよ。カミリヤを助ける」

「せめて、アタシたちに何が起きてるのかちゃんと説明してから去ってくれねぇかな」

「そうだな……」


 前回にデリシラたちと別れてから僕の身に起きたことを全て話した。


 骸鬼ヘカトロンという化け物が存在すること。

 エルシィという人物が魔蟲種アラクニド発生の黒幕であること。

 宝玉によってカミリヤの勇者召喚が封じられていること。

 カミリヤと宝玉がマグリナによって奪われ、僕は殺されかけたこと。


「へぇ。俄かには信じ難い話だけど、アタシもエルシィとかいう不気味なヤツを見ちゃったしなぁ」

「……」


 デリシラは逐一相槌を打ち、ユーリッドは終始黙ったまま僕の身に起きた出来事を聞いてくれた。


「だから、僕はこれから帝都に出向いてカミリヤを助けてくる」

「そんな体で大丈夫なのかよ」

「帝都にこっそり潜入できる手段なら頭に記憶している。問題はマグリナやカミリヤの周辺警護をどうにかするだけだが……」


 帝都周辺には過去の戦争で使用された地下道が幾つか存在する。帝都中央から周辺の森にまで伸びる巨大な遺跡だ。これまでその幾つかは災害によって埋没したが、有事の際の脱出用通路だけは現在も定期的に点検・修復が繰り返されている。それは皇族や政府高官用などの高貴な身分専用の地下道だ。麻薬の密輸入などへの悪用を防ぐため多くの市民にはその存在が伏せられているが、大臣秘書として勤めてきた僕はそのコースを完全に把握している。帝都外に隠されている出口を発見すれば、そこから街の中央まで行くことができるはず。


 ただ、帝都に潜入できても、そこからマグリナやカミリヤに近づくのは難しい。

 マグリナは宝玉を『帝国軍基地の魔力遮断設備に放り込む』と言っていた。基地周辺は当然警備が厳しい。それに、カミリヤも宝玉と同じ場所に監禁するとは限らない。最悪の場合、帝都中を探し回らなければならないだろう。


「だから……僕から頼みがある」

「うわ、嫌な予感しかしないな」

「カミリヤと宝玉の奪還を手伝ってくれないか?」


 デリシラたちの索敵・戦闘能力があれば、カミリヤと宝玉を発見して奪還できる確率が上がる。戦略の幅が広がるし、多少強引な手段も可能になる。


 しかし――


「出所したばかりなのに、そんな面倒事に巻き込まないでくれよ」


 デリシラは首を横に振った。


「それに、エルシィとかいう半魔蟲種も帝都に向かってるんだろ? アイツと遭遇したら何されるか分かんねぇぞ」

「アイツの相手は僕が引き受ける。そっちはカミリヤを連れて逃げてくれればいい」

「悪いが、お前からの依頼は断らせてもらう」


 ユーリッドは僕とデリシラの間に割って入り、淡々とした口調で告げた。


「ユーリッド……」

「危険を冒してまであの女とお前を助けても、俺たちに利益がない」


 冷たい視線でそう言われ、僕は一歩引き下がった。

 確かに彼の言うとおりだ。

 これまでユーリッドが僕を助けてくれたのは、魔蟲種討伐の刑を科されているという共通点や、そのときの借りがあったからだ。しかし現在は刑が終了し、僕の治療を施すことで当時の借りも返された。

 本来、彼は僕のような帝国民やカミリヤのような女神教団関係者を嫌っている。彼にとって有り余るほどの利益がなければ、この作戦に引き込むのは難しいだろう。


 何か彼らに報酬を用意しなければ。

 しかし今の僕には大金なんて用意できないし、帝都の自宅に置いてある財産も大した額にはならない。僕から彼らに与えられるものは限られていた。


「物品ではないが、報酬はある」

「ほう、それは何だ?」


 ユーリッドが欲しがりそうなもの。

 それは彼の属する反抗勢力レジスタンスにとって有益なものでなければならない。


 僕はここまで得てきた全てを引き換えに、報酬を提示した。


「僕が記憶している……国家の機密情報だ。帝都まで同行してくれたら、追加で政府庁舎の文書保管庫も開けてやる」


 これが今の僕に用意できる精一杯の報酬だった。


「なぜお前がそんなことを知っている?」

「僕は討伐刑に科される前、帝国政府大臣の秘書として働いていたからだ」

「そんな役職の人間が、どうして刑に科された?」

「マグリナの策略だ。全部話すとややこしくなるが、カミリヤの勇者召喚術を手に入れたい思惑と、僕への私怨が重なったんだろうな」


 なぜマグリナが僕を討伐刑に科したのかは、大体想像がついていた。おそらく、エルシィ関係のことだろう。元々エルシィはマグリナが気に入っていた性奴隷であり、彼女の失踪は僕が絡んでいると考えている。その敵討ち的な理由だった可能性が高い。


「機密情報を俺たちに渡す意味は分かっているだろうな?」

「承知している。マグリナにあんなことをされた時点で、この国に僕の居場所はない」


 僕は胸の傷口を服の上から擦った。


 国家の機密情報を渡せば、僕は二度と帝国には戻れないだろう。反逆罪として国を追われ、どこかへ逃亡しなければならない。

 マグリナに殺されかけている時点で、すでに帝国に戻れるかは怪しいが。

 これによって、僕はこれまで得てきた経歴をほとんど失う。スラム街のチンピラから大臣秘書にまで成り上がった人生を、全部捨てるのだ。


 それでも、最後にカミリヤさえ残ってくれればいい。


「分かった。デリシラと相談する。少し待っていろ」


 そう言うと、ユーリッドは灰狼女を引き連れて木の陰へ入っていった。

 デリシラはずっと、怪訝な表情をユーリッドに向けていたと思う。








     * * *


「止めようぜ、ユーリッド! 何で行こうとしてるんだよ!」


 レイグから十分離れたところで、デリシラは相棒の胸倉を掴んだ。木の幹に彼を押し当て、動けぬよう力を込める。


「アイツの言ったことは本当かもしれないけどさ、あの化け物との戦いに巻き込まれる必要なんかないって!」

「だが、このままでは反抗勢力オレたちの活動が萎縮する。ヤツからの報酬が活力を取り戻す起爆剤になるかもしれん」

「それも大事かもしれないけどさ……」

「それに、宝玉がもたらしてくれる力とやらにも興味がある」

「アンタ、正気かよ……」

骸鬼ヘカトロン出現のおかげで帝国の兵力もかなり減ったし、他国との戦争も忙しいと聞いている。そして今は半魔蟲種ハーフアラクニドという化け物が帝都で何かを仕掛けるつもりだ。このときが帝国を弱体化させる千載一遇の機会なのが分からないのか?」


 強大な軍事力を持つ帝国の崩壊。

 それを望む彼の瞳は、デリシラもこれまで見たことがないほど燃え上がっていた。

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