第60話 レイグという疫病神

「目撃者が出てしまったぞ。どうする?」

「構わん。女ごと始末すればいい。いつも通りに対応しろ」


 マグリナの私兵たちによる会話も、デリシラの獣耳にはしっかりと届いていた。

 こいつらにアタシたちを逃す気はない。彼らは裏で汚い仕事を担う傭兵の類だろう。


「まったく、あの女神といいアンタといい、ヤバい連中を呼び込むのが好きだな」

「別に好きじゃない」


 以前にも彼と共闘したとき、彼はカミリヤという女神を引き連れていた。その女神は蝿の王ベルゼブブ刈者リーパーに集中的に狙われ、さらには小鬼蟲女王ゴブリンセクト・クイーンまで召喚させた。

 そして今はレイグのせいで暗殺の巻き添えを食らっている。レイグとカミリヤのコンビは疫病神的な存在だ。


「ったく、しょうがねぇな」


 デリシラは地面へそっと手を置き、身を低くする。狼が敵に襲い掛かる体勢だ。鋭い犬歯が剥き出しになった口からは唸り声が発せられ、近づく者を威嚇する。全身の毛が逆立ち、目がギラリと輝いた。


「刑罰が終わったばかりだし、あんま問題は起こしたくなかったけど……」


 次の瞬間、デリシラも駆け出した。腕力も使って地面を跳ね、本物の狼のように敵へ飛び掛かる。


「そっちがその気なら仕方ないよなぁッ!」


 彼女が定めた最初のターゲットは、短剣を握る男。

 彼はデリシラへと得物を構えるも、彼女は怯むことなく接近する。そしてデリシラは短剣をヒラリと回避するのと同時に、勢いを纏った渾身の蹴りを彼の腹に命中させた。


「ぐはっ!」

「おっせぇんだよ!」


 蹴りを食らった男は大きく吹き飛び、後方に生えていた巨木の幹に強く叩き付けられた。彼はそのままズルズルと根本に倒れていく。

 一方、デリシラは男が幹に当たる様子を見ることなく、別の標的へ走り出していた。次のターゲットは長剣を構える男。


「バカな……」


 彼は剣を振るも、デリシラは間合いからギリギリのところで外れていた。剣を振り切って勢いが消えた瞬間を狙い、灰狼が強烈なパンチを繰り出す。拳は男の顔面に食い込み、彼は鼻血を吹きながら薮の中へ放り込まれた。


 デリシラの背後からさらに別の男が走り寄る。その両手には2本のナイフの刃が光っていた。

 しかし、デリシラの耳は彼の足音を聞き逃さない。彼女は敵へ振り返ると、襲撃者の手を掴んでナイフを止めさせた。骨すらも砕き潰しそうな握力に、男の表情が一気に強張る。


「くそっ、何なんだ、この怪力は!?」

「獣人の力を舐めんなァ!」


 互いに両手が塞がれた体勢から、デリシラは膝蹴りを男の鳩尾みぞおちに放った。何発も発せられる蹴りに、男は血の混ざった胃液を嘔吐する。腹から来る激痛に男は意識を手放した。

 デリシラは男が地面に動かなくなったのを確認すると、残っている敵から漂ってくる臭いがする方角へ鼻を向ける。そこには最初に弩弓を放った暗殺者が木の陰に隠れていた。


「残ってるのはアンタだけだぜ」

「まさか、本当にこんなことが……」


 彼は再び装填し終えた矢をデリシラに発射するも、矢尻は彼女へ当たることなく素手で掴まれていた。彼女はそれを暗闇に放り捨てると、一直線に彼へ駆け出す。

 男に矢を再装填する時間はない。接近戦でも勝ち目はない。男がデリシラの手から逃れるには、倒れた仲間を置いてその場を離れるしかなかった。


 男は懐から小さな球を取り出すと、足元へ勢いよく投げ付ける。地面へ叩き付けられた衝撃で球に入っている火薬に引火し、それは一気に大量の煙を噴出し始めた。


「チッ、煙玉か」


 煙の発生と同時に男は森の奥へ逃走を開始する。木々の間を走り、草や藪を飛び越えて闇の中へ消えていった。

 デリシラは彼を追おうとしたが、火薬の甘ったるい臭いが彼女の嗅覚を塞いだ。しばらくは臭いを辿って追うのは不可能だろう。それに川辺で待機させているレイグから目を離すわけにもいかない。

 彼女は残った敵を追うのを諦め、レイグの元へ踵を返す。自分には気絶させた敵の処理やらレイグの手当てやら仕事が残っている。


「おい、起きろ」


 デリシラは先程殴って気絶させた男の傍に立った。彼の頭髪を掴み、強引に顔を上げさせる。彼の顔は倒された悔しさと拳によって与えられた激痛に歪んでいた。


「うぐぅ……」

「なぁ、どうしてお前らはレイグを狙う?」

「そ、祖国に栄光あれ……!」


 彼がその言葉を発した途端、デリシラは彼の体から何かが焦げるような異臭を感じ取る。やがて彼の体はダランと垂れ、ピクリとも動かなくなった。倒した他の暗殺者も同様に、体の内側から焦げる臭いがする。口や耳の奥から煙が上がり、徐々に体全体が黒く炭のように燃えていく。


「死んだか……最低な臭いだな」


 彼女は掴んでいた頭髪をその場に離すと、レイグを横たわらせているキャンプポイントへ戻っていった。死体の焦げる臭いが周囲に漂い、自分の鼻を突き刺す。デリシラは顔をしかめながら空気を仰いだ。


「なぁ、レイグ。どうしてこいつらは死んだんだ?」

「暗殺業をする連中は身元を割らせないために、口内に自決用の魔法陣を描いている。敵に捕まりそうになると、こうやって体を消す」

「へぇ。そりゃ大した忠誠心だな」


 デリシラはレイグの横にあぐらをかいて座り込むと、彼の瞳を深く覗き込んだ。


「それじゃあ、お前とカミリヤに何があったのか詳しく話してもらおうか」

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