第57話 マグリナという法律
カミリヤは殴られた箇所を押さえながらその場へ倒れる。苦悶な表情に歪んだ瞳が、僕に助けを求めていた。
「レ、レイグさ……ん」
「マグリナ、貴様ァ!」
僕は仕込み杖から刃を抜き、マグリナへ構える。
しかし――
「そうはさせませんよ」
気が付けば、僕の腕に数本の細いナイフが刺さっていた。
痺れるような激痛が走り、僕は杖を手から離してしまう。杖が石橋に叩き付けられる、カランという音が無情にも周囲に響き渡った。
「アルビナス……余計な手出しなど不要だったのに」
「その男は危険です。マグリナ様に万が一のことがあっては、と思いまして」
動きが速すぎて視認できなかったが、ナイフを僕に投げた人物はアルビナスだ。
距離があるにも関わらず、これ以上ないほど的確に僕の腕にナイフを命中させている。彼が持つ暗殺者としての技術は一流だろう。
僕は得物を失い、その場に立ち竦んだ。
再び派手に動けば、今度はどこにナイフが刺さるか分かったものではない。
「貴様はやけにこの娘へ肩入れするが、女の武器でも使われたか?」
「ええ。ワタクシの見たところでは、ベッドで激しく燃え上がっておりました。何度も何度も」
「アルビナス……覗いていやがったか」
マグリナは僕が思い通りに動かないことを想定していたらしい。
だから、こうやって信頼の置けるアルビナスに最初から最後まで全てを監視させていたのだ。
「安心しろ、レイグ。この娘には私へ従順になるよう調教してやる」
「余計に安心できないんだがな」
マグリナは倒れているカミリヤの金髪を掴み、無理矢理に顔を上げさせた。
その痛みに、カミリヤの顔がさらに歪む。
今すぐに彼女を助けてやりたかった。
でもそれをできない自分の無力さを痛感する。
カミリヤを守ってやると誓ったばかりなのに……。
「じゃあ、僕らの刑罰はどうなる?」
「今この場では私が法律。貴様らの刑罰はここで終わらせてやる」
すると、マグリナはカミリヤの金髪に隠れていた襟を掴んだ。
「おい58号、こいつらの刑罰を解け」
「分かったでちゅ!」
マグリナはカミリヤの衣服を襟の部分からビリビリに破き、白い背中を露出させた。
そこに描かれる懲罰用の魔法陣は徐々に薄くなっていく。58号が僕らの刑罰を解いた証拠だ。
「よくやった」
マグリナは背中の魔法陣が完全に消失したのを確認すると、腰から刀を引き抜く。
そしてギラリと刃が輝いたと思った刹那、58号の首と胴体は切断されていた。
「これでお前に用はない」
「あばばば……マグリ……ナちゃま……!」
クマのぬいぐるみを模した体は浮遊するのを止め、ガシャリと音を立てて石床に落下した。切断面から魔導部品が飛び出し、無残に散らばる。
「レイグ、貴様に選択肢を与えてやろう。今からこの
喉へと当てられる刃。
首筋に嫌な汗が流れていく。
ここはマグリナに同意しないと、確実に首を
「わ、分かった。お前の意見に従ってやる」
「フハハハッ。やはり貴様はそうでなくては。やはり自分の命と権力は大切だろう?」
マグリナは僕の喉元から刀を引き、鞘に収める。
実際のところ、僕は彼女と一緒にカミリヤを痛め付けるつもりなど全然なかった。
現在僕らが置かれている窮地さえ脱出できればいい。同意したフリで彼らを油断させ、隙を突いてカミリヤを救出する。それが僕の狙いだ。
「アルビナス。この女を
「かしこまりました」
マグリナの指示で、僕に殺意を向けていたアルビナスが動く。
彼がカミリヤを抱え、手が塞がってナイフを投げられなくなった瞬間がマグリナに反抗するチャンスとなるだろう。一瞬で足元に落ちている仕込杖を拾い、マグリナの喉元に刃を押し付ける。そして彼女を人質として、僕とカミリヤはうまく逃げられそうな場所まで離れる。
そういう算段だった。
「では、一緒に参りましょうか、カミリヤ様」
「い……嫌」
カミリヤは腹部に走る激痛で動けない。
そんな彼女をアルビナスは軽々と持ち上げ、
今だ。
実行するなら、ここしかない。
僕は足元の仕込杖を掴み取り、刃を剥き出しにする。
僕は駆けた。
マグリナに向かって。
自分の作戦が成功することを祈りながら。
しかし――
カキィィン!
「やはり、貴様は私に従うつもりなど全然なかったようだな」
マグリナの喉へ押し当てるはずだった刃。
それが、仕込杖から消失していた。
根元から折られている。
遥か遠くに、刃が落ちる音がした。
そして、マグリナの手には自身が所有する刀。
ああ、そうか。
そういうことか。
僕の仕込杖は、マグリナの刀によって折られた。
目で追えないほど速い一撃で破壊されたのだ。
僕は彼女をただの政治家だと思って油断していた。
まさか納刀した状態から、こんな素早い攻撃ができるなんて。
「帝国が世界を掴む様子を地獄で見ているがいい、レイグ」
刀が風を切る音。
やがて胸から腹にかけて熱い感覚が走った。
そこにゆっくり手を当てると、ねっとりしたものが触れる。
「あ、ああ……」
それは間違いなく、自分の血だった。
僕はよろめきながら後退りし、
僕はマグリナに斬られた。
彼女は最初から真意を探るつもりで油断したフリをして、僕の襲撃を待ち構えていたらしい。騙されていたのは僕の方だったのだ。
ボタボタと垂れていく血液。
朦朧とする意識。
僕は自分を支える力さえも失い、欄干の外側へ倒れ込んだ。
もちろん、その先に待っているのは谷底の渓流である。
僕は橋から落ちた。
「いやあああああああああああああああああああああ!」
僕の姿が橋の上から消えると同時に、カミリヤの悲鳴が周囲に響き渡った。
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