第55話 待ち伏せという罠
「起きるのでちゅ! 起きるのでちゅ!」
翌朝、僕はやかましい赤ちゃん言葉で目が覚めた。
耳障りな声だ。気分が悪い。
声の主はもちろん58号だ。いつも僕らの後ろに浮かんでいる監視人形である。
最近は静かになったと思っていたが、急にどうしたのだろうか。
昨晩の記憶では、カミリヤを抱くときに目障りなのでリビングの隅に待機させていたはずだが……。
「朝っぱらから何なんだよ」
「レイグ君たちに緊急指令なのでちゅ!」
「緊急指令だと?」
「昨夜、帝都から魔力による信号を受信したんでちゅ!」
クマのぬいぐるみのような小さな体が、僕の目の前でジタバタと暴れる。
僕は58号の言動に「何かがおかしい」と思った。
こうした囚人用監視
僕は大臣の秘書という仕事を通じてカウント君に関する書類も読んできたが、そういう話は初耳だ。
それに加え『魔力による信号伝達』という技術も、帝国ではまだ未完成だったはず。
伝書鳩などを介さずに遠くへ指令を送れる便利な手段ではあるが、実験では失敗が続いていた。それなのに
「
「ボクは帝国の敵勢力にとって重要人物である女神教団信仰対象のカミリヤちゃんの監視を任されていまちゅから、特別な機能を施されているんでちゅ!」
いかにも後付けしたような理由だが、ヤツにこれ以上聞いても僕の納得できる回答は得られないだろう。
どのみち囚人はカウント君に従わなければならない。そうしなければ懲罰として囚人の体に描かれた魔法陣に激痛が走る。
僕は頭を掻き、ベッドから自分の裸体をゆっくりと起こした。
「それで、僕は何をすればいいんだ?」
「今すぐ帝都に帰還してほしいでちゅ!」
「随分と急だな。どうしてだ?」
「君たちに科せられた刑罰に関して、裁判のやり直しが決定したのでちゅ!」
今更どういう経緯でそういうことになったのだろうか。
裁判をもう一度しなければならないほど重大な証拠でも発見されたのだろうか。
「ふぁ……レイグさん?」
遅れてカミリヤも体を起こす。
朝日に反射する白い裸体が眩しい。
昨夜は随分と激しく彼女とやった。
シーツのあちこちが互いの体液で汚れている。カミリヤに至っては僕の気付かぬうちに何度か失禁していたようだ。部屋は刺激的な匂いが充満していた。
女神教団の崇めるカミリヤとそういう行為に及ぶなど、ルイゼラの婆さんに発見されたら処刑ものだ。
それに妊娠した場合、戦いが長期化したらどうすればいいのだろう。大きくなった腹を抱えさせながら戦闘するのだろうか。
行為を終えた後から色々と考えてしまう。
いくら溜まっていたとはいえ、行動が浅はかだったか……?
「レイグさん? 何かありました?」
「ああ、『帝都に戻れ』ってさ。カミリヤの裁判をやり直すらしい」
「そうですか……」
彼女は僕にぴったりと寄り添い、肌を重ねる。
サラサラとした金髪がくすぐったい。
「あの、レイグさん?」
「どうしたんだ、急に……」
「この戦いが終わったら、結婚、してくれませんか?」
突然のプロポーズだった。
彼女は元からそのつもりで僕との行為に合意したのだろう。
「ああ。結婚しよう。この責任はちゃんととる」
「ありがとうございます、レイグさん!」
彼女は微笑み、僕と唇を重ねた。
その接吻で心に炎が燃え上がり、僕は再び彼女をベッドへ押し倒す。
先程まで昨夜の行為についてあれこれ考えていたのに、彼女と一つになれた嬉しさで理性なんか消えていた。互いが互いを思うがままに求める。
「こんな私ですが、よろしくお願いします!」
「僕もこんな酷い人間だけど、よろしく」
この刑罰をさっさと終えて、彼女とどこかに逃げてしまいたい。
そんなことを思った。
僕が欲しいは権力なんかではない。
本当に欲しかったものは――。
* * *
それから僕らは帝都に向けて歩いた。
野を越え、山を越え。
僕らが最初に出会った街へ。
野道を進み続けている最中、カミリヤはあることに気付いた。
「レイグさん、気になることがあるのですが」
「どうした?」
「ここまで歩いて来ましたけど、魔蟲種があまり見当たらないんです」
魔蟲種と遭遇しない。
ここまでの旅路では何度も彼らと戦ってきたのに、今はとても静かだ。
もちろん、それは徒歩移動をする僕らにとって好都合ではあるが、一抹の不安が頭を過る。カミリヤも不穏な気配を感じているのだろう。
嵐の前の静けさ、というヤツだ。
エルシィに
そのために世界中に散らばる魔蟲種をどこかに集め、戦力を整えていることも考えられる。
「静か過ぎて、何だか怖いんです」
「そうだな……」
僕らが歩く野道には、生物の気配が全くない。
虫の音、鳥の囀り……そうしたものが一切聞こえなかった。
野生動物たちはこれから起こる何かに備え、身を隠しているのだろうか。
そして、僕らの敵は魔蟲種だけではないことを、後から思い知ることになる。
* * *
「もうすぐで帝都だ」
「やっと、ここまで来たんですね」
歩き続けて数日。
僕らは帝都の巨大な街が遠くに確認できる場所まで移動を終えていた。
現在地は帝都の東側を囲む、長く連なる山脈である。これが自然の要塞となり、帝都を他国の軍隊から守ってきた歴史があるらしい。
「この橋の先に検問所がある。そこで休憩にしよう」
「はい!」
僕らは帝都に繋がる石橋へ足を踏み入れた。
森林地帯とはいえ帝都に近いため、交通インフラはそこそこ整っている。長く幅の広い橋だ。
僕らは石橋にカツカツと靴を鳴らし、対岸まで歩いていく。
橋の中腹に差し掛かった、そのとき――
クォォォン……!
重々しい機械音。
周辺の環境に似合わない、明らかに人工的な振動が森林に響き渡った。
音の発生源は、橋の向こう。
木々の陰に光沢を放つ巨大な何かが潜んでいる。
こちらを待ち構えているようだった。
僕は仕込み杖を構え、カミリヤの前に立つ。
「出てこい!」
そして、その影はガシャガシャと体を鳴らしながら巨体で木々を薙ぎ倒し、ゆっくりと僕らの前に姿を現した。
黒く厚い装甲。
その表面に赤くペイントされているのは、帝国の
「帝国の
段差の多い地形でも活動できるよう設計された、帝国軍の誇る最新兵器の一つ。敵地の制圧から兵員輸送までその活用方法は幅広い。
小型の魔導砲を搭載しており、強烈な爆発魔導弾を発射可能。こいつを見たテロリストは裸足で逃げ出すほど、その能力は国内外に広く恐れられていた。
その砲身は現在僕らへ向けられている。
搭乗者が僕らに友好的でないのは確実だ。
「それに……あいつらは誰だ?」
「レ、レイグさん……!」
「どうやら、ただの軍人じゃなさそうだな」
カミリヤが震えながら僕の顔を覗き込む。
目の前にいる男たちから向けられる敵意に、彼女は酷く怯えていた。
そのとき――
「待っていたぞ、レイグ」
聞き覚えのある女性の声。
戦車の中から拡声機で発せられているようだ。
この連中を僕らに差し向けた黒幕の正体は何となく察していた。
十中八九、僕の上司であるアイツだろう。
やがて
「ようやく勇者召喚が失敗した原因を突き止めたようだな」
「マグリナ……!」
彼女の背後に見える夕焼けが、血のように赤く燃え上がっていた。
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