第51話 【過去編】読書という探究

「おはようレイグ君」

「あ、あぁ……」


 翌朝、学生寮の食堂でエルシィに挨拶された。

 彼女は先日と同じように隣へ腰掛け、僕の顔を覗き込む。


「美味しいね、このスープ」

「そ、そうだな」


 だが、辱しめはない。また赤ちゃんプレイでもさせられるのかと思って身構えていたが、それもなかった。

 今回は料理の感想やら授業の予定やらを言ってくるだけだ。まるで普通の生徒同士が行う会話のように。


「ど、どうしたんだエルシィ?」

「何が?」

「あ、頭でも打ったんじゃないのか?」

「フフッ、レイグ君はおかしなことを言うね」


 彼女はクスクスと笑う。

 困惑する僕を置き去りにして、エルシィは朝食を楽しそうに食べ進めていった。


 ハッキリ言って、気持ち悪かった。

 ずっと女王様を気取っていた彼女が急に態度を変える。

 優しいのに、怖くてたまらなかった。







     * * *


「レイグ君はもうレポートを先生に提出した?」

「いや。まだだ」

「しょうがないなぁ。わたしが手伝ってあげるよぉ」


 それからのエルシィは何もかもが普通だった。

 廊下や講義室で顔を見ると話しかけてくる。レポートを手伝ってくれたり、オススメの本を紹介してくれたり、世間話で時間を潰してくれたり……。


「お前、変わったよな」

「へ? 何が?」

「性格」

「わたしは元々こういう性格だよ?」


 僕が苦痛に感じるようなことは命令してこない。僕の弱みを振り翳すこともなくなった。


「よぅ、レイグ。今日もエルシィとデートか?」

「いや。僕らはそういう関係じゃない」


 周りからも僕らは友人同士にしか見えなかったようだ。「お前らは仲がいいな」とか「恋人として付き合っているのか?」とも言われた。


「しかしエルシィも変わったよな」

「まぁな」

「前より明るくなった気がする。アイツと付き合いたいってヤツも出始めてるぞ」

「そうだな」

「これもレイグのおかげなんじゃないか? エルシィを確保するなら今のうちだぞ?」


『変人の見本』として有名だったエルシィだが、そんな噂も徐々に消えていく。僕との生活を通じて彼女は『普通の女子生徒』になっていった。

 そのせいか、友人からの「付き合ってしまえ」というアピールがうるさい。下僕として屈辱的なことをされた経験があるだけに、そこまで彼女に手出しはできなかったが。


 そんな暮らしをしている間に、僕も自分が下僕であることを忘れていった。

 エルシィもこれを意図しているようだ。


 僕を触媒として、エルシィ自身を『普通の女の子』にする。

 それが彼女の目的だったのかもしれない。







     * * *


 それでも彼女の基本的な生活スタイルは変化しなかった。

 授業や睡眠以外の時間は図書館に籠り、ひたすら読書に集中している。


 彼女が読む書籍はオカルトなジャンルが多い。

 夢、魂、死後、輪廻、そして前世。

 どれも現実離れした内容だ。そんな本を一心不乱に読み進める。


 あるとき僕は図書館に出向き、読書する彼女に聞いてみた。


「なぁ、どうしてそんなオカルトな本ばかり読んでるんだ?」

「教えてもいいけど……レイグ君はわたしの言うことを信じてくれる?」

「それは内容による」


 彼女は「レイグ君らしいね」と軽く笑い、俯いた。


 このとき話した内容が僕らの将来を決定する重要な分岐点だった、と後から何度も思う。


 僕にとっては何気ない会話のつもりだった。

 でも、彼女にとっては自分の人生を左右する大きな問題だったのだ。


「わたしね、毎晩夢を見るんだ。同じ内容の夢を何回も」

「どんな夢だ?」

「言葉にすると難しいけど、何もない孤独な空間でわたしが泣いているの」


『エルシィ=魔神ヘレス』と知った今から考えると、これは魔神ヘレスだったときの記憶だろう。周囲から虐げられ、誰も救いの手を差し伸べてくれない絶望が魂に刻まれていたのかもしれない。


「それから魔蟲種も夢に登場するの」

「魔蟲種って、アレか? 最近あちこちに出没している化け物だろ?」

「うん……」


 この頃、世界中で『魔蟲種』と呼ばれる生物群の大量発生が問題になっていた。数年前から彼らの存在は確認されていたが、ここ最近は急速に被害が拡大しているという。

 それを受けて、学校でも魔蟲種対策の講義が組まれた。僕らも何度か捕獲された彼らを見たことがある。まるで生気を感じさせない、動く凶器のような化け物というのが第一印象だった。


「夢の中で、わたしは人間の魂を粘土みたいにねて魔蟲種を作り出すのよ」

「へぇ、そりゃ面白い夢だな」

「面白くないって。すごくリアルな夢で気持ち悪いんだから」


 これも僕の推測になるが、彼女は夢の中で無意識的に魔蟲種を作っていたようだ。

 魔蟲種が初めて発見された時期は、僕らの幼少期と一致する。彼女は何年も前からこれを繰り返していたのだろう。


「もしかすると、これは前世の記憶なんじゃないか、って思うの」

「はぁ? 前世?」


 あまりに空想的な内容に、当時の僕は冗談かと思った。

 しかし、エルシィの表情は真剣そのものだ。

 彼女は夢に見る景色を前世の記憶だと信じているらしい。


「わたしは毎晩見るこの夢を解明するために、図書館の本を読んで研究してる」

「ふぅん……」


 熱心に語るエルシィとは対照的に、僕はすでに話題への興味を失っていた。

 僕は机に頬杖をつき、窓の外を眺めながらそっけない返事をする。


 このときの彼女は、まだ自分が魔神ヘレスだと分かっていなかったように思う。それ故に、彼女は夢の意味の探求に必死になっていた。

 僕がこのときに何か手を打っていれば、現在の状況は変わっていたのかもしれない。


「ねぇ、また今度、魔蟲種の新種が発見されると思うわ。次は槍とか剣とか武器を扱えるタイプの魔蟲種よ」

「蟲のくせに武器を扱うだと? 信じられるか、そんな話」


 そうして僕らの会話は終わった。

 結局、僕はエルシィの話したことを信じなかったと思う。











 小鬼蟲騎士ゴブリンセクト・ナイト

 人間の武具を扱うそんな新種が発見されたのは、この会話から1週間後のことだった。

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