第50話 【過去編】拍手という皮肉

 きっと、これは天罰だ。


 今まで僕はクズとして生きてきた。

 人知れず犯罪に手を染めてきた。

 多くの人間に迷惑をかけてきた。


 今回はそのツケが回って来たのだろう。


「どうしたのレイグ君?」

「な、なぜだ……」

「もしかして、それが君の全力ぅ?」


 エルシィを倒せない。

 どうしてだ? あり得ない!


 僕は彼女を戦術を研究してきたし、それに打ち勝つための対策も進めてきた。

 今ここでも全力を尽くして戦った。


 なのに、彼女へ魔術が命中しない。ギリギリのところで回避され、逆に彼女からカウンターが飛んでくる。

 聞いていた情報より、彼女の実力は数段上だ。魔術の威力も、手数も、僕より優れている。

 僕の体力と魔力は徒に消費され、エルシィ側が有利な立場になっていく。


 ここでヤツを殺すはずが……!

 邪魔を排除するつもりが……!

 素晴らしい人生を掴み取る予定が……!


 やがて僕の杖から魔術が発動しなくなる。

 目眩、手の震え、そして倦怠感。

 魔力切れの症状だ。

 僕は膝から崩れ落ち、地面へ手を着いた。


「そこまでッ!」


 それと同時に、教官の止めが入る。


 模擬戦は終わった。

 エルシィ殺害という目標を達成しないまま。


「実に素晴らしい戦いだった! 私も長いこと教師生活をしてきたが、これほど凄まじいのは初めてだよ!」


 猛烈な攻防に魅せられた教官が僕らを褒め称える。


 やめろ。

 僕が欲しい言葉はそれじゃない。


「皆、この戦いを繰り広げた彼らに拍手を!」


 パチパチパチ……!


 観客として模擬戦を見ていた生徒たちは全員立ち上がり、笑顔で僕らに拍手を送ってくる。彼らも教官と同じく、先程の戦闘に尊敬を抱いていた。


「皆も彼らを見習って、この試験に全力を投じましょう!」

「すげぇぞ、お前ら!」


 やめてくれ。

 僕が聞きたかったのは、お前たちの悲鳴だ。

 エルシィが死ぬ瞬間を共に見るはずだったのに。


 パチパチパチ……!


 生徒の拍手が鳴り止まない。

 他人を祝福するはずの音は、今の僕にとって最高の皮肉だった。


 跪く僕にエルシィが歩み寄る。

 顔を上げると、すぐ目の前に彼女の顔があった。前髪の隙間に見える大きな瞳が、じっと僕を見据えている。


「いい勝負だったね」


 心にもないことを……。

 観客には分からなかっただろうが、この勝負は終始エルシィが優勢で動いていた。彼女自身もそれを分かっているはず。「いい勝負」とは程遠い、僕の負け戦だった。


「レイグ君、放課後に会いましょう」

「え……」


 彼女はニタリと笑い、アリーナから観客席へ消えていった。


 完全に失敗だ。

 研究と工作を積み重ねてきた殺害計画は水泡と帰した。言葉にならない絶望感が全身に圧し掛かる。勝負の途中から、どうしても彼女に勝てるビジョンが浮かばなかった。完全に僕は彼女に弄ばれていたのだ。


 僕の視界は真っ暗になる。

 その日、約束の放課後までどう過ごしたかよく覚えていない。






     * * *


「レイグ君、わたしを殺すつもりだったよね?」


 放課後の図書館。夕日の届かない本棚の裏へ、僕はこっそりと誘導された。

 彼女の冷たい言葉が僕の背筋を凍らせる。


「ち、違う……!」

「ほんとぉ?」

「そ、そうだ……!」

「ふーん」


 エルシィは本棚の陰の奥でニヤニヤする。これは確実に何かを企んでいる表情だ。彼女の下僕として屈辱的なことを命令されるのは間違いない。

 僕は床に跪き、固唾を飲みながら次に彼女から発せられる言葉を待った。


「レイグ君さぁ、深夜に教員室へ忍び込んで対戦表を操作してなかった?」

「へ……?」

「たまたま見ちゃったんだよね。君が教官に魔術をかけて眠らせるところ」


 僕はまた新たな弱みを握られてしまった。


「こんなことが教員に知られたら、レイグ君はどうなっちゃうのかなぁ?」

「や、止めてくれ……!」


 もう最悪だった。

 エルシィには初めて出会ったときから弱みを握られっ放しだ。人生でこれほど焦燥感に駆られた時期があっただろうか。


 どうにか彼女を始末しないと、これからも僕は彼女の下僕として扱われ続ける。暗殺のチャンスとなる次回の模擬戦は数ヵ月先だ。それを待つ間に何をされるか分かったものではない。


「じゃあ、わたしの言うことは何でも聞いてくれる?」

「き、聞く……」


 僕の返事を聞くと同時に、彼女は履いていた靴をその場に脱いだ。

 白く華奢な素足を僕の顔前に突き出し、見下すような目つきになる。


「ほら、舐めてよ」

「え?」

「わたしの足を舐めなさい」


 な、舐めろって?

 こいつの足を?


 彼女の顔にいつもの薄い笑みは浮かんでいなかった。

 こいつは本気で僕に舐めさせるつもりだ。


 幸い、この時間帯の図書館には人がおらず、誰にも見られないのが救いだが……。


「……」


 ピチャピチャ……!


 僕は舐めた。

 意を決して。


 乙女の肌とはいえ、これは汚いし臭い。

 僕は息を止め、自分の舌を主へと差し出す。ねっとりとした唾液が小さな足を包み込んでいく。


 その瞬間、自分の尊厳がズタズタに引き裂かれていくような感覚がした。人間として、男として、一人の少女に屈服させられている。

 もちろん躊躇はあった。だが逃げても、僕の秘密がバラ撒かれるという地獄が待ち受けている。当時の僕にはその選択肢しかなかったのだ。


 こんなことを喜んでやるのは犬か狂人くらいだろう。

 小柄で童顔というエルシィの容姿からは想像もつかない趣味だ。


 僕が彼女の傍にいる限り、ずっとこれをさせられるのだろうか。


 そんなことを考えていたとき――


「……やっぱり止めて」

「えっ?」


 突然、エルシィは足を引っ込めた。

 懐から取り出したハンカチで唾液をさっと拭き取ると、その足は靴の中へ隠される。


「何か、思ってたより気持ちよくなかった」

「どういうことだよ、それは?」

「こうやって他人に汚い部分を舐めさせるって、どんな気分になるのか知りたかっただけ」


 彼女は僕に見向きもしないまま学生寮へ戻り、図書館には困惑する自分だけが残された。


 結局、彼女は何をしたかったのだろうか。

 その当時はどれだけ考えても分からなかった。











 後に僕は風の便りで知ることになる。


 エルシィはクアマイア家当主の隠し子であり、彼の邸宅でメイドとして暮らしていたことを。


 そして、エルシィはクアマイア家の正当な後継者であるマグリナから、性奴隷のような扱いを受けていたことも。


 エルシィはマグリナに屈辱的なことを強いられていたようだ。その行為を自分もすることで、ストレスを吐き出そうと考えていたのかもしれない。


 でもエルシィにそんな癖はなかった。

 僕に足を舐めさせても、快楽を得られなかったのだろう。


 これ以降、彼女が僕に命令を強要することはなかったのだ。

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