第45話 ロゼッタという眠り姫

 僕は目を覚まさないカミリヤを抱え、薄暗い森の中にひっそりと建つ廃屋へ逃げ込んだ。本来の住人は最近の魔蟲種騒ぎでどこかに移住したのだろう。

 彼女をソファに寝かせ、体が冷えないよう暖炉に火を点ける。


「『こいつを壊せ』……か」


 僕はバッグから紅い宝玉を取り出し、それを眺めた。

 彼女が意識を失う寸前に言ったことは完全に理解できてはないが、この宝玉を破壊しなければならないらしい。これが彼女の能力を妨げているようだ。


 カミリヤが体調不良を訴えていたのも、これが原因なのだろうか?

 あのとき勇者召喚できなかったのも、これが原因なのだろうか?


 様々な憶測が僕の頭を流れていく。

 いずれにしても、さっさと壊した方がいいだろう。


 僕はそれを破壊しようと試みた。


 屋外に出て、宝玉を切り株の上に置く。

 僕は持てる限りの魔力を杖に込めて、あらゆる攻撃用魔術を宝玉に向けて放った。


「ちっ……硬いな」


 しかし、宝玉は壊れない。

 あらゆる魔蟲種を一撃で倒せるほどの威力を持つ魔術を浴びても、それは紅く光り続けていた。


 今度は家の薪割り場から手斧を取り出し、渾身の力を込めて宝玉に叩き付けた。


 ボギン!


 しかし刃が折れて、逆に僕が斧に襲われた。鋭い破片が僕の衣服を掠める。


 どうやら、宝玉には防御結界が施されているようだ。自分を破壊しそうな攻撃に対して自動的にバリアを張る。

 この宝玉の製作者、つまりエルシィは、どうしてもこれを壊させたくないらしい。


「やっぱり、勇者召喚を封じたのは……」


 間違いなく、こいつの仕業だ。


 この宝玉は何らかの方法で、ロゼッタの勇者召喚を妨害している。

 蝿の王ベルゼブブ騎兵トルーパーとの戦いで勇者が大きな脅威であると認識したエルシィは、二度と勇者を召喚できぬよう妨害工作を開始した。

 それが帝都で勇者召喚に失敗した原因。この宝玉の力である。


 さらに、万が一敵に奪われても、絶対に破壊されぬよう防御結界を施す。

 こうして、エルシィにとって有利な状況を作り続けている。


 そうなると僕に与えられた時間は少ないのかもしれない。

 宝玉を失ったことに気付いたエルシィは、必ず奪い返しに来るだろう。それまでに破壊しないと、いつまでもカミリヤは勇者召喚できないままだ。

 敵の目に留まらぬよう移動すべきかもしれないが、今は僕もカミリヤも体力を消耗している。無理な行動は避けておきたい。


 この宝玉さえ壊せば、カミリヤは再び勇者召喚できるんだ。

 僕はそんな希望を胸に、彼女を寝かせている部屋へ戻っていった。






     * * *


 カミリヤが目を覚ましたのは、日が暮れてしばらく経過したときのことだった。


「レイグさん……?」


 暖炉から聞こえるパチパチという音。

 それに混じって、小さな呼び声が聞こえた。

 僕は彼女の起床に気付き、小走りでソファの様子を窺う。


「気分はどうだ?」

「あれ……私は……生きてます?」

「ああ。どうにかな……」

「ここはどこですか?」

「魔蟲種の巣があった場所の近くだ」


 暖炉の揺れる炎が彼女の顔をオレンジ色にゆらゆらと照らす。まだ意識がぼんやりとしているのか、彼女の目はトロンと垂れていた。


 僕はカミリヤが無事に起きてくれたことに安堵し、深いため息を吐く。肩から力が抜け、不意に笑みがこぼれた。

 出会った頃は彼女の顔を見る度にイライラしていたが、今は安心感の方が強くなっている気がする。

 やっぱり僕は、カミリヤのことを異性として好きになっているのだろう。


大丈夫そうだな」


 カミリヤは目を覚ましたが、油断はできない。

 あの宝玉は女神の能力を封じるもの。


 つまり――


「ロゼッタに代われるか?」

「いえ……ダメです。反応がありません」


 女神であるロゼッタは意識を閉ざしたままだ。


「ロゼッタさん……どうして?」


 カミリヤは彼女が消えたことに強く不安を感じているようだった。自分の胸に手を当て、何度も何度も女神の名を呼びかける。

 それでもロゼッタは応答しない。

 カミリヤの悲痛な呼び掛けが、虚しく夜の空気に消えていった。







     * * *


 それから、僕たちは軽めの夕食をとった。

 いつもと人数は変わらないのに、随分と寂しい食事会だったと思う。皿の上に盛り付けた料理がなかなか減らないし、互いに一言も話さない。

 僕もカミリヤも、ロゼッタが消えたことに動揺していたのだ。

 燭台に灯された小さな炎がやけに気になってしまう。


 夕食後、カミリヤはソファへ寄りかかるように座り、暖炉の火をぼんやりと見つめていた。長い時間を共に過ごしてきたロゼッタが消えてしまい、色々と思うところがあるのだろう。


「大丈夫か?」

「はい。考え事をしてしまって……」


 カミリヤは傍に立つ僕の袖を軽くつまんだ。


「あの、レイグさん?」

「どうした?」

「今度こそ、ちゃんと聞いておきたいことがあるんです」


 カミリヤは僕の瞳を真っ直ぐに見つめる。


「レイグさんと、エルシィさんの関係を教えてくれませんか?」


 彼女からの要望に、僕は「そうだな……」と呟いた。

 ヘレスの正体がエルシィであった以上、僕はカミリヤに彼女のことを伝えなければならない。


「私も、これから戦うかもしれないエルシィさんのことを知っておいた方がいいと思うんです」


 暖炉近くに置いてあったロッキングチェアに腰掛け、ソファに座るカミリヤと向かい合う。

 ロゼッタがヘレスの過去について話してくれた時点で、僕もエルシィについて語る準備はできていた。

 これまで誰にも話したことがない、汚点だらけの生い立ち。それをカミリヤには打ち明けられるような気がした。


「まず、僕の幼少期から話さなきゃならない……」


 僕はカミリヤに自分とエルシィの過去を語り始めた。

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